第1章 芸術文化政策原論 Ⅰ.芸術文化の定義

1、芸術=時空を超えた存在との出会い

芸術作品を通じて、過去に生きた人々や、(フィガロの結婚のスザンナのように)架空の世界に生きる人々と思いをひとつにするとき、われわれは、いつしか日常の煩事から開放され、時空を超えて永遠の世界に憩う。そういう体験を通じて、我々は、我々が生きている意味、生きていくことの意義を見出す。
芸術には、人間の実存と関わる深い意味での真実が潜んでいる。こういう意味で芸術は単なる娯楽でも装飾でもないといえる。

2、芸術文化=民族の生きた証

<例>ショパン(1810~1849)
ポーランドは1795年に3次にわたって分裂され、1918年にいったん独立を回復するが、1939年に再びナチスドイツとソ連の憂き目に見た。ポーランドの国民にとってショパンの音楽は自民族の存在の証、自国民独立の象徴と言える。
2005年、ポーランド出身のブレハッチがショパンのピアノ協奏曲第一番ホ短調作品11を見事に弾ききり、祖国に20年ぶりの優勝をもたらした際の会場からの悲鳴にも似た絶叫は、ポーランド国民のそうした熱い思いの証であろう。

<その他の例>
・チェコ・・・スメタナ「交響詩モルダバ(モルダウ)」
・フィンランド・・・シベリウス「フィンランディア」
・日本・・・法隆寺、万葉集
芸術や文化は、言語や宗教と並んで、民族のアイデンティティをあらわす

3、文化的ホロコースト
芸術文化は、このような力を持つゆえに、ある民族の存在を否定しようとする場合、その民族が生み出した芸術や文化を破壊する「文化的ホロコースト」が行われることがある。

■ナチスドイツ(第二次大戦中)
・ポーランド所有の外国の美術品を略奪
・ポーランド図書館の蔵書を解体、目録を破棄
■ソ連のスターリンの命令による
・レニングラード事件記念に博物館を閉鎖(市民から寄せられた攻防戦による資料を破棄)
■映画「戦場のピアニスト」のシュピルマンの手記
・1946年に初稿が出されるも、長いこと発禁状態であった

歴史や芸術や文化は、その背景にある人間を教えてくれる。我々が芸術や文化を保護しなければならない理由はここにもある
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第1章 芸術文化政策原論 Ⅱ.大衆社会における「芸術文化」

1、「芸術」概念の成立

■ルネサンス以前
「芸術」artにあたる古代ギリシア語は、ルネサンスまでは「手技・術」をあらわしていた。
芸術と職人の技術(技芸)の間に区別はなく、身分の違いもなかった。

■ルネサンス時代
芸術と技術の違いが現れる
・芸術・・・算術や天文、音楽、文法など生活に必要のない人間の教養としての手技
・技術・・・中世には「機械的技芸」とも呼ばれ、家や家具など生活に必要なものを作る肉体的な営みをあらわす。
(中世ルネサンスでは「絵画」「彫刻」「建築」は通俗的な職人の技芸に属した)
その後、ルネサンスの文化の流れの中で絵画や彫刻が高い評価をされるようになった。
しかし、それらを総括して呼ぶ名称はなかった

■18世紀半ば
美しい調和を持つという意味で、美しい芸術(美術)という言葉が使われる。
当時は芸術といえば美術のみであった。

■芸術の成立
このようにして生まれた芸術は、芸術家(精神=天才)、作品(精神の表現)、共有者(精神=趣味)という3項関係からなる美的コミュニケーションをしだいに確立し、基本構造とし現在のわれわれが芸術と呼ぶ範囲まで広がる。
詩・雄弁・演劇・絵画・彫刻・建築・音楽・舞踏など

2、芸術概念の揺らぎ
ところがこのコンセプトが揺らぐ(19~20C)

■マルシェル・デュシャンの「泉」
市販の便器に「R.mutt.1917」と書いて「前衛作品だ」と美術展に出展。美術館に便器を持ち込む行為は前衛作家や関係者の顰蹙を買い議論をかもし出す。

■アンディ・ウォーホル「さまざまな箱」
合板の上にトマトケチャップなどを転写。しかし税関が本物と見間違い、本来彫刻には課せられない関税の対象とみなしたことから論議がかもし出される。(画像はトマトスープ)
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この2人の作品については今なお議論されている。芸術はもはや「永遠に普遍的で、不滅な存在であり、精神(ペルソナ)に匹敵する個性を主張する独自の存在として美術館にひっそりと孤高を守るものではなく、便器やBOXのように、日常生活に使われるものと全く見分けのつかないほどに卑俗であったりする。

だが芸術作品がその境界を逸脱して拡散し、アイデンティティをなくすとき、「芸術」や「作品」という言葉が意味を喪失することに帰属する。

3、あたらしい芸術文化の創出
広告のイメージやCDが我々は美的に消費している。一方、芸術や作品という言葉がくっきりとした輪郭を失っている。我々はこれまでに蓄積された「芸術文化」を保護しようとするだけでなく、新しく芸術文化を創出しようとしたときに、改めて我々の時代の「芸術」とはなんであり、「文化」とは何なのかを根本から反省してみることが必要である。

第1章 芸術文化原論 Ⅲ、社会における人間の芸術行動

1、芸術と文化政策

■ティモシーライスの民族音楽学研究モデル
・歴史的構築・・音楽・社会制度の歴史的な変化のともに、個人の過去との出会いをも含んだ概念
・社会的維持・・・それぞれの社会が形成してきた制度や信念によって、音楽が維持されていること
・個人の創作と経験・・・個人による作曲や演奏行為とともに、個人がどのように音楽を経験し、どのように認知し、またそこから情勢が喚起される過程をも含む
これらは要因の間の双方向に影響を示す

2.ベートーヴェン作曲の第九交響曲の場合
(ティモシーライスの民族音楽学研究モデルによる考察)
過去の交響曲・フランス革命時代の音楽・・・「歴史的構築」
図書館で楽譜を見る・シラーの劇を見る・・・「個人の創作と経験」
当時のシラーの曲は不道徳とみなされていた。しかし管弦楽は社会的に維持されていた。そこで彼はシラーの上演が許可されるのを待ち、1824年に第九を公開演奏した・・・「社会的維持」

3、新しい技術:第二次口頭性と機械による大量書記性
音楽が伝承される2つのケース
①口から口へ(態度から態度へ)・・生きた人間と生きた人間との間にだけ起こるもの
②文字を使う能力を用いる方法(楽譜)

現代は「口頭伝承」はCDを筆頭に「イマ・ココデ」を実現した。20Cになるとこれは「イツデモ・ドコデモ」に変化を遂げる。
文字を使う方法はコピー・ファクス・電子メールに変貌を遂げる。
その結果、芸術の多くのジャンルがより広い地平におかれることになった。

4、助成・保護と妨害・検閲
・助成・保護・・・国・地方・企業メセナ
・妨害・検閲・・・助成・保護の対極にあるもの。

(例)
第二次大戦中のナチスのユダヤ人音楽家の抑圧
第二次大戦中の日本の敵性音楽
中国文化大革命における古典提京劇や洋楽の禁止

こうした妨害や検閲は主としてイデオロギーや道徳の要請から行われる。そこでは可能性と現実が混同されることも多い。つまり道徳的に有害になる可能性のあるものを「有害である」と取り締まることになる。

5、芸術も芸術文化政策も国境を超える
・ヴェトナム宮廷音楽を助成・保護するために日本が協力している例
・歌舞伎をフランスで上演すれば観客はもちろん出演者によい刺激を与える例

第2章 古代中国音楽論に見る芸術文化政策の諸相

1、孔子の音楽論:芸術の存在意識

1-1 「論語」
孔子の「論語」に収められた章句のうち、音楽に関するものはおよそ32篇。しかしそのうちの18篇は後代の仮託と思われるので、14篇。
内容を検討すると孔子が音楽に対して一貫した視点から関心を抱いていたことがわかる。

1-2 孔子の音楽論
■孔子が魯に住んでいたときの事件
(周王朝の舞)
8×8(64人)の舞・・・諸侯の中でも魯公のみ
6×6(36人)の舞・・・魯公以外の諸侯
4×4(16人)の舞・・・太夫
季孫子という太夫が8×8の舞を自宅で躍らせ、新王朝体制を打破しようとした。

孔子は音楽が政争の道具として使われるものに過ぎないのであれば存在する価値があるか?
という疑念に取り付かれる。
その後孔子は、魯を出て斉に赴いたときに、伝説上の帝が作ったという「ショウ」を聞きいたく感動する。(「楽」の自律的存在意識を感知する)

1-3 孔子の音楽論の現代的意義
「美を尽くし、善を尽くせり」
孔子は音楽に人間的存在の根幹と関わる道徳的価値を見出し、「善」と呼んだ。
音楽をはじめとする芸術には何かしら人間の存在の根幹と関わる自律的な存在意識がある。

2、墨子と孟子の音楽論:芸術文化政策経費を巡る論争

2-1 墨子の非楽論
奏楽が楽しみをもあらすことは否定しない。しかし為政者による華美な挙行は、種々の弊害をもたらす。
・民に税負担をかける(民の衣服が確保できるわけでもなく、戦争が収まるわけではない。つまり民に還元されない)
・演奏者を動員することは、人的資源の無駄使いである
・王侯貴族も演奏を聴くので、本来の仕事がおろそかになる

2-2 孟子の音楽論(墨子に反論)
楽の挙行が民衆に歓迎されればすればいいし、怨嗟されるのであれば取りやめるべきである。
どちらも大差ない

2-3 春秋戦国時代の奏楽の実態:曾候乙墓出土の楽器群
このように墨子・孟子も当時の華美な奏楽に批判的な見解を抱いていた。

■墓から出土した楽器類
大小65個の鐘からなる「編鐘」
32個の石琴
太鼓3
笙4
パンパイプ2
笛2
鐘を叩く棒2
鐘を打つための槌6(両手に持つとすれば3人分)
他に大量の青銅器

このような豪華な楽器群は、当時行われていた諸侯宮廷での演奏会が想像を絶する規模で行われていたことを示す。

2-4
現代に通じる墨子と孟子の音楽論
同様の議論は、現代でも起こる。
果たしてオーケストラの運営にこれほどお金をかける必要があるのかなど。
美術館の運営効率化を求める議論もこれにあたる。

3、「楽記」の音楽論:音楽の価値

3-1 音楽の適否を巡る古代中国の議論
戦国時代(BC403~221)に入ると、中国では音楽を「よい音楽」「悪い音楽」に分ける見方が盛んになった。

3-2
■「楽記」の音楽論の特徴
今日、我々が音楽と呼んでいるものを「音」と「楽」の二種類に分けている。
「音」・・・自然発生的に生じた音楽(特に優れたものを「治世の音」と言う)
「楽」・・・上記の自然発生的な音を素材にしながらも、「楽」の何たるかを理解したうえで再構成された宮廷楽を指す

3-3 「よい音楽」と「悪い音楽」
よい・悪いは好ましいもの・好ましくないものに通じる

1、西洋の例
■旧ソビエト(スターリン体制の下、社会主義リアリズム的でないと批判される)
・ショスタコービッチ「ムツェンスクのマクベス婦人」・交響曲第4番・バレエ「明るい小川」
(第二次大戦後)
・ムラデリのオペラ「偉大な友情」
・プロコフィエフ「祝祭詩曲三十年」・バレエ「蕩児」「ドン河で」・オペラ「火の天子」「戦争と平和」・カンタータ「力強き国士に栄あれ」・交響曲第3番・4番・6番・ピアノ協奏曲第5番・一連のピアノソナタ
・ミヤスコフスキー「悲愴序曲」、カンタータ「クレムリン」
・ショスタコービッチ「祖国の詩」、オペラ「鼻」、交響曲第二番、3番、8番、9番
・ハチャトゥリアン「交響詩」

■ナチス・ドイツ(反ユダヤキャンペーン下)
メンデルスゾーン・マイヤベーヤ・マーラー(3M)
オッフェンバッハ・シェーンベルク(ユダヤ人)
の演奏が禁止される(ヒンデミット事件)
多くのユダヤ人演奏家や反ナチス演奏家が亡命を余儀なくされ、あるいは強制収容所で死に至らしめられた。美術の分野でも、多くの作品が「退廃芸術」として、没収・破棄された。

■日本
ビートルズの来日を「不健全」とする見方



第3章 近代日本の西洋音楽教育政策

1、はじめに
東京音楽学校(現 東京芸術大学音楽学部)(明治20年)、その前身となった音楽取調掛(明治12年)に創設されている。当時は議会や憲法もなく、近代化に向けて音楽以外の課題が山積みであった。

西洋音楽の導入が急がれた理由は、新たに誕生した日本という近代国家にふさわしい「国民音楽」を構築することであった。人々を共通の精神や身体をもつ「国民」に仕立て上げ、彼らを束ねていくのに有効な武器として、音楽に白羽の矢が立てられた。

西洋諸国においても、19Cには国民国家の成立とともに、合唱運動の形で国民の帰属意識を高める音楽活動が盛んに展開されている。

もちろん現在、そのような当初の意図が今なお引き継がれているわけではない。それでも第二次世界大戦前の東京音楽学校には「国民づくり」を担う機関としての色彩作りがあったし、このような「国民づくり」を結びつけた音楽活動を行ってゆくことは、音楽文化全体が暗黙のうちにその方向に向いていたことである。

2、「国民づくり」の基礎としての唱歌
「文部省唱歌」
学校教育の教材であるが、それ以上に近代国家の「国民」たる心構えを植え付け、身につけさせるツールである。

■祝祭日儀式唱歌
戦前の日本の小学校で、紀元前・天長節と行った祝日に教育勅語とともに歌われた。
内容は天皇家やその成り立ち。
天皇を中心に成り立つ日本という自覚を持たせるための仕掛け。

■一般唱歌教材
・故郷・・・・架空の場所としての「かの山」や「かの川」を、人々に共通の原風景として歌い上げる
・われは海の子・・・最後は「いで軍艦に乗り組みて、われは譲らん海の国」という。心性や精神を音楽の中にしみこませている

■歴史教育愛国唱歌・・・神武天皇から明治天皇まで全88番の歌詞によって歌われる

■その他
・郵便貯金唱歌
・国勢調査の歌
・栄養の歌など。
これらは全て芸術品として鑑賞することなど念頭にはなく、近代日本にふさわしい国民に仕立てるためのツールである。
珍しいところでは「夏季衛生唱歌」がある。
これはところどころやけに具体的に衛生面を歌っており、結局このような衛生観念は、忠や孝の精神を通じて天皇のために捧げられるという位置づけがはっきりしている。

3、山田耕作と「国民音楽」-校歌の表象ー
唱歌の最終的な目的が、「国民」としての国家への帰属意識を確立し、維持を高めることであったにしろ、人々の意識は抽象的な共同体に直ちに結びつくものではない。その前に近所や学校・会社というさまざまなコミュニティに帰属している。このような意味で、校歌や社歌は近代的な国民意識を確立・強化するための格好の仕掛けであることは否めない。

校歌の制定が特に顕著になった昭和初期は、山田耕作などの売れっ子が、多くの校歌を手がけている。この時代の活動を見直してみると、今日の我々が考えるのとは相当に違う。
彼らは自分が作曲活動を行う使命を近代日本の国民が共有しうる「国民音楽」を作りあげることと考えており、校歌の作曲はそれを実現するための重要な仕事であった。

4、「国民音楽」の基礎としての民謡

■民謡
正調(正しい歌い方)・・・一般的に民謡の正調といわれているが、口頭伝承である民謡に「正しい」は存在しない。それを正しいと決め、保存しようとしたのは何か意図がある。

「正調」を保存しようとする動きは、校歌が急速に普及する時代(明治末から昭和初期)と同じ。その発想は地元で歌われている歌い方を保存すると言う意味ではなく、より近代的に普遍的な芸術的価値をもつものとして新たに作り出されたものである。
元々題名のない民謡に題名をつけ、歌詞をつけかえたり他から転用したものである。

この時代に多様化していた民謡は「近代化」され、西洋的な「作品」の基準にあうように切りそろえられ、一元化・標準化された。その切り札になったのが「正調」である。
・狭斜趣味的な内容、卑俗な表現・・・消し去られる
・遊郭の文化を連想される三味線の廃止→尺八が民謡の伴奏の定番となる
正調の主眼となっていたのは、地元のローカルな文化ではなく、中央集権である。

■新民謡・・・山田耕作などが地元の民謡をヒントに作ったもの
・チャッキリ節・・・古くからの民謡と思われているが、昭和2年に電鉄会社の作った宣伝のためのご当地ソング
この当時は「保存」と「創作」の境があいまいであった。

5、戦後の国民音楽

■うたごえの輪・・・民衆が戦前の国家主義の抑圧から解放され、自由を謳歌する空気があるように見えるが、戦前からの「国民音楽」の理念が脈々と波打っている。
・「祖国」と言う歌・・天皇ではなく、豊かな山や河であるが、戦争で荒れ果てた国土を復興させ、みなで力をあわせて日本という国を発展させるという意味がある。

声をそろえて合唱する文化は1970年代を境に衰退し、カラオケにとって代わる。このような限られた空間では、そこでの人々の歌が国民意識や国民音楽の確立に結びつくことはない。
しかし、教育の現場では日本の伝統や愛国心に対する意識を強める必要があるという議論が出ている。音楽と国家の関係を改めて考える必要があるのではないか。


第4章 ミュージアムの思想

1、展示と展示解説
ミュージアムでとまどうのは、展示品がなぜここに展示されているのか、その真意が伝わらないことである。ある品を展示する以上、その展示品の価値や、それを展示する真意が見学者にわかる展示解説が望まれる。

<展示について>
■欧米の博物館の例
歴史的事件を扱ったコーナー・・・事件発生の日時(歴史的事実)、「この事件からどのような反省が得られるか」「この歴史的事実から何を我々は学ぶ意義があるか」
ミュージアムが「歴史的事実」を学ぶことぶよって「らいの指針を得る」ことに繋がっている。

■ゴッホ美術館(オランダのアムステルダム)
・ゴッホはもちろん関係する画家の絵もある
・ゴッホが創作に使用したさまざまな品など
ゴッホ美術館は、単なる「優品展示」に終始することなく、ゴッホの絵画に関する調査や研究の成果を積極的に訪問者に還元しようとしている。

■メトロポリタン美術館館長ボーイングの言葉
「芸術を愛する人全てに、彼らにわかる言葉でじかに語りかけるのです。何が素晴らしくて、ぞくぞくするとはどういうことかを教えるのです。象牙の塔ではいけません」
展示解説で重要なことは、予備知識のないものにもわかるような解説の仕方をすることである。

■日本の博物館の場合
「郷土の英傑」「郷土の有名人」・・・地元では有名なのであろうが外部者にはわからない。なぜその展示物が展示されているのかを理解しがたい。

<解説について>
■ワシントンD.Cのスミソニアン・インスティテューションに属する博物館
・展示物の前のガラスに解説を掘り込む
・側面の壁に解説を配置する
これらは展示物の鑑賞を妨げることなく、解説を読みやすくする
(デザイナーの協力が不可欠)

2、ワークショップ
展示解説の欠を補うものとして、学芸員によるセミナーの開講や、教育担当者によるデモンストレーションなどがある。こうしたセミナーやワークショップ、展示解説やミュージアムツアーは職員に勤務上の負担をかけるし、ミュージアム側にも負担をかける。そもそも多数の入場者が見込まれるミュージアムでないと実行不可能と思われるが、それでもやはり、ミュージアム来訪者には大きな啓蒙効果を持つ

3、図録の刊行とミュージアム・ショップ
限られた字数の展示解説だけでは限界がある。こうした制約を補うものに、図録をはじめとする専門書の刊行がある。

■利点
・ミュージアムは所蔵していないが、展示していない品を紹介できる
・変色しやすい品(浮世絵など)は、光量を落として展示する方法以外に、図録で紹介する方法がある。

博物館が刊行するこのような図録や専門書は、一般書籍の販売ルートに乗らず、ミュージアム・ショップで販売されるのが一般的である。研究者にとっては、ミュージアム・ショップは単なるお土産品ではない。書店や図書館と並んで、貴重な学術資料・学術情報を得る場となっている。
日本では、最近はニュージアムショップの刊行した一部をネットで購入できるようになってきた。しかし手にとって購入したいというのが心情であろう。図録を実際に手にとって見ることのできるミュージアムショップでの図録販売の意義は大きい。

4、集中効果と分散効果

■さまざまな文化施設を一箇所に集中している例
・アメリカ ワシントンのモール・・・ナショナルギャラリー、スミソニアン・インスティテューション(自然博物館)、アメリカ歴史博物館、宇宙航空博物館、フーリア・ギャラリー、アーサー・サックラー・ギャラリー
・オランダのアムステルダム
・日本の神戸異人館
・韓国の国立音楽院付属博物館(楽器の一部はレプリカ)

文化施設の中には、遺跡やそこから出土した遺物を集めた「遺跡博物館」のように現地に行かないとみれないものもあるが、交通が不便であったりする。そういう意味で交通の便利な場所でレプリカでもよいからその地域の出土品とその他の展示品が一堂に集められた文化施設があると、ミュージアム利用者としてはありがたい。

■分散している例
日本の場合は、全ての文化施設を東京にもってこれない。

第5章 アーカイヴの思想

1、アーカイヴの重要性
何かを「知ろう」とした時には、アーカイヴの必要性を感じない。書籍を購入したり、図書館にいって関連した資料を閲覧するだけで済むからである。しかし「調べよう」とすると(誰も解明していない資料に基づいて解明しようとすると)途端にアーカイヴの重要性に気付く。これは生の出来事を検証しなくてはいけなくなるからである。

2、アーカイヴを支える意思

①あることを「記録」し、それを資料として残そうとする意思
■日本と欧米の大きな違い
欧米では客観的なデータや正確な情報に基づく状況分析を重要視するため、さまざまな事象を「記録」し、保存・活用しようとする姿勢が強い
■「個人」が「歴史」に関わるという意識が欧米は強いためか、自己が関わったさまざまな出来事を「記録」し後世に伝えようとする意識が強固である(故人が差出した手紙のコピーなどまでおいてある)

②資料を保存・収集しようとする意思
個人が私的に保存しているものは、単なる「資料」でしかない。第三者が利用できる形で保存されてこそ、はじめてアーカイヴと言える。欧米ではあちらこちらに「ここで何月何日に誰それが何をした」というプレートがある。このように郷土の歴史に対する愛着が、現在この地で生きている人々の誇りとなっているだけでなく、同時に郷土にゆかりのある人たちのアーカイヴの創設や、歴史的文化の保存を促す原動力になっている。

③資料を活用しようとする意思
欧米ではこのような資料を利用した「資料研究」が活発である。日本の文科系研究分野が、欧米での後塵を拝している印象を受けるのは、このようなことに起因するのではないか。

3、アーカイヴ資料の特性
アーカイヴの特性・・・後世になると、その資料が本来持っていた機能とは別な使われ方をすること
・バッハ研究・・・ケーテン城の会計簿から、当時のバッハがそれまで想定されていた以上に活発な創作活動を行っていたことがわかる(1978年)
・江戸時代の蘭学資料・・・本来はオランダ業務日誌であり業務報告である
・プレブル(ペリー来航時の乗り組み士官)の妻に当てたラブレターで、銅版画などを添付・・・ペリー来航時の演奏曲目やアメリカの音楽界の動向を知る大きな手がかりとなる
・オランダの蘭学者「シーボルト」が持ち帰った便所の落とし紙・・・江戸時代の生活を知る手がかりとなる

4、アーカイヴの活動の諸段階と諸問題

カーかイヴの活動
①収集・・・資料の取捨選択が必要だが、後世のことを考えると「博物学的な収集」が肝要である
②整理・・・収納スペースの問題。各自治体や関係諸機関が、自らの郷土や母校が生み出した先人の業績と栄誉を顕彰(検証)しようとする意思があるかないかにかかっている
③保存・・・資料に対する知識が必要。しかし日本ではアーキヴィストの養成システムができていない。これは今後の課題のひとつである。
④公開
・デジタル・データ化(デジタル画像化)・・・耐用年数が保証できない(媒体に資料を保存し、現物を破棄してしまうのは、現段階としてはリスクを含む。これでは結局、現物とデジタルの両方を保存することになる
このような理由から、資料の調査は可能な限りマイクロフィルムやデジタル画像を使って行い、原資料に触れるのが必要不可欠の場合に限る。


アーカイヴは、資料データーに関する場合、資料情報を着けて公開する。ところがそこにつけられた情報は、必ずしも情報を要求している側の要素と一致しない。(ネットで検索ワードと入れても欲しい情報にヒットしないのと同じ)面倒だが書庫にもぐりこんで自分で探すほうが早い場合もある。このようなミスマッチをなくすことが今後の課題である。

第6章 資料の保存・修理・測定の科学

1、日本の文化財

■文化財保護法での分類
・有形文化財・・・建築物、美術工芸品(絵画・彫刻・書跡・典籍・古文書など)
・無形文化財・・・演劇、音楽、工芸技術
・民俗文化財・・・衣食住や生業や信仰に伴う風俗習慣、民俗芸能に用いられる衣装など
・記念物・・・遺跡、名勝、動物、植物、地質鉱物
・伝統的建造物群・・・宿場町、城下町、農漁村
・文化財の保存技術・・・文化財の保存に必要な材料製作・修理・修復の技術
・埋蔵文化財・・・土地に埋蔵されている文化財
・文化的景観・・・人と自然とのかかわりの中で作り出された棚田・里山など
・民族技術・・・地域で伝承されてきた生活・生産のための用具製作技術

2、美術工芸品の材質と劣化の原因

■絵画の劣化
・温湿度などの環境変化
・膠(にかわ)の接着力の低下
・巻緒の締め方などの取り扱い
・表具に用いられた糊(のり)の硬さ
・文化財害虫による「虫蝕」

■木彫り彫刻の劣化
・温湿度などの環境変化
・漆器や漆(うるし)の接着力の低下
・木質の乾燥に伴う収縮による「やせ」「干割」
・くぎやさびの対抗に伴う矧目(しんめ)の開き
・文化財害虫による「虫蝕」

3、文化財の修理

3-1 調査(絵画・古文書)
本紙・表具の採寸のみならず、損傷箇所・欠損箇所についての現状記録。
必要に応じてX線透過写真や赤外線撮影を行う。
絹本については絹繊維の密度も計測する。

3-2 解体
顔料のある場合は剥がれ落ち止めを行った後、表具・増裏紙・本紙に直接貼られた肌裏紙を最小限の量の水または布糊を薄く延ばしたものを用いて除去する。
絹本の場合は裏からの彩色が施されてある場合が多く、その顔料が落ちないように細心の注意を払う

3-3 クリーニング・乾燥
3-4 補紙・補絹・肌裏打
3-5 表具(本来の姿に戻す)

4、考古資料の修理
美術工芸品は一定の美意識の元、人々が代々「残したい」という意識を媒体として「意図的に伝世」されてきたものである。それに対して考古資料(土器・陶磁器・金属製品・玉製品・木製品)は埋蔵条件により「残る」ことが決定されるものである。

4-1 調査
X線透過写真の撮影と実体顕微鏡による観察は不可欠である。樹種の同定などの細部の観察には電子線を用いた走査型電子顕微鏡を用いる

4-2 クリーニング
金属製品はさびに覆われているので、グラインダーなどを用いて物理的に処理する。表面に金メッキが施されている場合は顕微鏡を用いて除去する。
木製品の場合は水の中で刷毛や筆で丁寧に土を落とす

4-3 脱塩処理
金属製品のみに行われる。さびの原因は塩基性イオンであるため、アルカリ性水溶液に一定期間浸し、水酸化物イオンに置き換える。また高温高圧タンク内で脱酸素水に浸して脱塩処理を行う方法もある

4-4 樹脂含浸
さびの原因は空気中の水蒸気でもあるので、金属表面を合成樹脂で被う方法もある。これで新たなさびの進行を阻止する

4-5 接着・補填・着色
4-6 民俗資料の修理
膠(にかわ)を筆で塗布する
4-7 考古資料の保存処理の特徴
考古資料は土中というきわめて特殊な保存環境の中で保存されてきた。しかし発掘調査により空気中に晒されることになり、酸化による劣化や水分蒸発による変化が加速度的におこる。大量に出土されることが多いため、短期間に集中的に保存処理をしなければならない。

5、収蔵施設

5-1 収蔵庫の内部・・・安定した高温高湿を保つ必要がある
5-2 地震対策・・・収納庫の棚に落下防止の扉を設置(阪神淡路大震災後)

6、まとめ
文化財の保存は修理を低規定に実施することにより、その生命が保たれている。こうした技術は伝統的な技術が伝承されはじめて成立する。こうした修理技術者と化学者の連帯が文化財の保存に大きな役割を果たしている

第7章 無形文化財のドキュメンテーション

、ドキュメンテーション(記録化)とドキュメンタリー

どちらも語源はラテン語の「doceo」に由来する。
・ドキュメンタリー・・音楽そのものをはじめから終わりまで正確に記録するというのではなく、その音楽がなぜ知られているか、それを伝承している人々の想い等をナレーションによって構成するものである。従って、音楽そのものの記録化よりも、作り手の観点が重要。

・ドキュメンテーション・・対象とする音楽を徹底的に可能な限り客観的に記録するもの

2、ATPAにおけるドキュメンテーションと「フィールドバック」の概念
■ATPAとは
アジア伝統芸能の交流(Asian Traditional Performing Arts)の略。
1774年、故小泉文夫(東京芸大 音楽学)・山口修(大阪大学 音楽学)・徳丸吉彦(お茶の水大 音楽学)が企画。
①3年を一周期とし、できれば5周期行う
②各周期の一年目は事前調査、2年目は会議、3年目はドキュメンテーションの公刊
③ドキュメンテーションは録音・映像・文書で行う

■第1回ATPA(1976年 東京)
インドのスンダ、タイのバンコク、フィリピンのカリンガ、マレーシアのクニャ、日本の伝統演奏家が佐参加。(インドネシアも参加させたかったが、当時インドネシア政府は海外で印刷されたインドネシア語の文書(論文)を持ち込み禁止にしていたので断念する)
報告書・・・アジアの観点からのアジアの音楽(1977)

■第2回ATPA(1978年)
報告書・・・アジアの音楽的な声(1980)
参加国のビルマに報告書、レコード、フィルムを送ったところ、レコードプレーヤーがないのでカセットテープに変換して欲しいと要請があった。当時ビルマの国立音楽大学にもレコードプレーヤーがなかった

■第3回ATPA
報告書・・・南アジア演劇における舞踏と音楽(1983)
ATPAは第5回まで続いたが、報告書は第3回以降発刊せず。

■徳丸の考え
報告書は全て現地語でフィールドバックさせるべきである。現地での研究成果は現地の言語で現地に帰す。そうすることで、彼らは英語を読めなくても報告書の中の採譜や歌詞を、また録音や映像を直接に利用できる

3、ヴェトナムにおける二つのドキュメンテーション
ヴェトナム政府とユネスコの会議
議題1、中部ヴェトナムのフエで伝承されてきた宮廷音楽の状態を改善すること
議題2、50以上の同国少数民族の文化の保存

■議題2について
「ベトナム少数民族無形文化遺産調査・映像記録化及び人材養成プロジェクト」(RVMV)
①ヴェトナムやハノイだけでなく、他の地方から選ばれた文化政策や映像の若手専門家が、ハノイの国立民族学博物館に一週間滞在して、日本から参加した録音・映像の専門家(大阪芸術大)から録音とビデオ撮影の訓練を受ける。また日本とヴェトナムの研究者から楽器計測の方法や調査する少数民族に関する講義を受ける
②次の一週間はメンバーが3、または4に分かれて、異なる少数民族の村に滞在して、録音・録画・調査を行う。各グループ構成は常に日本人とヴェトナム人
③その後ハノイに戻り、映像の編集や記録文書の作成を行う

<ATPAとRVMVの違い>
アジアの音楽ドキュメンテーションについてATPAは日本の専門家が行ったが、RVMVはヴェトナム人自らドキュメンテーションを行った。

4、ドキュメンテーション概念とフィールドバック概念の拡大
■議題1について
「ヴェトナム宮廷音楽の再活性化プロジェクト」
1945年に国王が退位し、宮廷がなくなると音楽の伝承者も四散してしまった。
そこで国立フエ大学芸術学部に宮廷音楽専攻コースを作り、活性化を図ろうとしたが、予算が困難であったため日本政府が補助。その結果現在フエの遺跡保存センターに所属する楽団で演奏活動に従事するものも出ている。

宮廷音楽がなくなっても、それはヴェトナムの問題で日本は関係ないと言う声もあった。また、宮廷音楽というひとつの様式を保存するにはこれだけでは十分ではない。様式の保存は生きた人間による伝承が続くことでなければならないからである。映像や記録がいくらあっても不十分である。また、当然さまざまな変化が生じることもありうる。

5、日本における広義のドキュメンテーション
日本政府が、特定の芸能を重要無形文化財に指定し、あるいは、その芸能の優れた伝承者を人間国宝に指定するのも、ドキュメンテーションの方策であるといえる。

■文楽の場合
文楽の構成・・・人形遣い・太夫・三味線ひきが将来不足することを予測して、文楽協会と国立劇場は1972年に養成を開始。現在の活動員のうち半数が養成所出身である。

■組踊(沖縄)の場合
せりふ・歌・音楽・舞踏からなる琉球の古典劇
元は男子によって上演されたものであるが、現在は女性の演者が多い。国立劇場では男子の演者の上演を再び活発にすることを考え、男子だけを募集している。一期生は2007年度修了。

第8章 エリート文化と大衆文化

伝統的な考え
・真の文化・・・唯一無二のオリジナルな芸術作品を頂点とするエリートによる高級文化
・えせ文化・・・一般大衆が喜ぶキッチュ(模造品・陳腐品)やオリジナルの大量複製品からなる大衆文化
誰もがあるいみ大衆である現代社会において文化の真正性とは何かを考える

1.「芸術」と「「よい趣味」の解体

芸術家・天才・・・・・→作品←・・・・・享受者
精神          創造      精神の向上
創造力         自己表現   趣味
独創

芸術はルネサンスまでは「手技・術」を意味し、大工職人の術と異なった特別なものではなかった。
芸術家と職人の身分の差もない。
17C後半になって詩・劇・絵画・彫刻・建築・音楽・舞踏は「美と調和を目指し我々に快楽を与えるもの」と考え、これらを「美しい術(美術)」という名で呼ぶことになる。これが18Cを通じて定着し「芸術」という名で呼ばれるようになる。

■「趣味」について
「よき趣味」・・・・・貴族の普遍的人間性・・・・・高級文化(美術館のサロンなど)

啓蒙

「悪趣味」・・・・・大衆・・・・低俗・・・・・・低級文化

2、大衆社会のキッチュ現象

現代の社会は、かつての貴族の「よい趣味」を人間の普遍性と主張することができない。
■理由
・古典的ジャンルの解体
・映画、TV、CDなどの美的経験の多様化

しかし、普遍的と見えるこうした趣味の基準も、一定の規範のもとにある社会に生まれ、美的教育を受ける中で自分の好みを養うものが互いに批判したり認め合ったりして、新たなコンセンサスを形成しそれが新しい規範や慣習となる

公的な趣味・規律・・・・・教養文化

批評・コンセンサス・・・・・目利き・批評家

個々人の趣味・・・・好き嫌い

■アメリカの美術家グリーンバーグの説
アヴァンギャルド(前衛芸術運動)・・・・正式・真正の文化

↓(互いに影響を与える)
キッチュ・・・・代用文化

■キッチュについて
キッチュとはオーソドックスな芸術品の代用品を意味し、そこから転用される美的に粗悪なまがい物やがらくたをを意味する。
キッチュという美的態度にとって本質的なものは、たとえ代用品でも、安価な粗悪品でも、自分の気に入ったもので日常生活を飾り立て、それを心地よく快適なものにしようとする点にある。

・美術作品・・・自律性の美学
・美的対象のキッチュ…寄生の美学・際物
キッチュは以前「まがい物」として非難されていた。しかしそれは違う。美学が違うのだ。今日我々は美術作品を通じた美的経験もあれば、キッチュを通じた美的経験もある。

■クラシック音楽とロック
クラシックファンがロックファンを「悪趣味だ」と言うのはフェアではない。ロックは音楽「芸術」ではないが、そもそもクラシックとは異なった音楽なのである。クラシックファンがロックファンを悪趣味だと言うとき、実際に表明しているのは、個人的趣味のレベルで、彼がロックについて無趣味であるという事実にすぎない。
我々の人生の美的生活が「芸術」だけで成り立つわけではなく、キッチュとyばれる美的現象も、それを構成する不可欠な一部である。

■今日の美的状況の特徴
・漫画やアニメの村上龍の作品
・元々永続性を保証しない砂糖菓子のシュガークラウン
(芸術は永遠なり・・を完全否定)
1nishiyama.jpg
▲西山美なコ 《シュガークラウン》 2004
砂糖、卵白、ゼラチン
H14.0×14.0×10.7 cm
写真:末正真礼生

・ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展「おたく:人格=空間=都市」など

3、オリジナルとコピー文化
■ローマ時代
ルーベンス、ラファエロなどの画家は、弟子の練習に自分の絵を模倣させたし、自身で複製もした。
贋作も多い。コピー作品は今の時代だけではない。
では、オリジナル作品と完全なコピーは美的品質は同じか?

■4つの場合
①コピーにレンプラントの署名がしてある場合・・・・贋作・・・オリジナルと同じ美的経験を持つ
②コピーが贋作だと知れた場合・・・・美術館から撤去される(専門家を欺く模倣の技術は評価される)
③コピーに「これは完全なオリジナルのコピーです」とキャプションがつけられて展示される場合・・・オリジナルの代用として同じ美的経験
④コピーにレンプラントの署名に代えて、21世紀のオランダ画家の署名がある場合・・・作者のオリジナル作品として独自の美的経験

人はコピーであることを知らない場合は、オリジナル作品そのものを見る美的経験を持つ。どうあっても本物と向き合わなければ本当の美的経験がもてないという人は、「現代では完全なコピーは作り得ない」という事実に基づく主張か、さもなくは単なるフェティシズムである。

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Mikami Kako

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