第1章 才能は教育できるか

1、才能という言葉の定義
才能と能力。ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力(広辞苑)

■才能という言葉の一般的な使われ方
・「ピアノを習ったが才能がないので辞めてしまった」「才能に恵まれている」
遺伝的な影響の強い能力を示す
・「才能を磨く」「才能を伸ばす」
訓練すれば向上する可能性のある能力を示す
・「語学の才能がある」「スポーツの才能がある」
万能ではなく特異的なことを達成を成し遂げられる能力を指す

■才能の定義

特異的な目的を達成することが出来る、遺伝的な要素が強く影響するが訓練をすればそれだけ高度になる能力


2、顚才教育と早教育と天才
(1)顚才教育
■乙竹岩造「顚才教育の要領」より教育者として要請される能力
①教師の実力が高くなくてはならん
②非教育者を能く知り分ける
③教師が活社会を能く知っていなければならん

(2)早教育と天才
■ルソー
「ここに二匹の犬がいる。同じ胎から生まれ、母から同じ教育を受けたにも関わらずひとつは賢く、ひとつは愚かだ」(天賦に重きを置いて、人の運命は天賦の如何によって定まる。教育の価値をあまり認めない)
■ペスタロッチ
「瓜二つの馬がいた。ひとつは金儲けのために使われ駄馬になり、もうひとつは賢い人の元で教育されたので千里を走る競馬になった」(教育の重要性)
■木村久一
「門前の小僧は習わずしてよく経を読む」(教育(環境)の重要性)

3、アメリカにおける天分を有するものの教育
20C初頭は、ダーウィンの進化論の影響を受け、「強いものが生き残る」ことを社会の進化とみなす。コレに対しWardは「生物学の根本原理は自然淘汰であり、社会の根本原理は人口淘汰である。もし自然が弱者の滅亡によって進化するものであれば、人間は弱者の保護によって進化する。」この考えは現代の現代の教育機会均等の思想につながる見方である。個人間の能力差を完全に否定する能力=平等主義の考え方ではない。

■音楽とスポーツについて
ショパン8歳、リスト9歳、ヴェルディ10歳、シューベルト12歳、ロッシーニ14歳で演奏会を開く。ボビー・ジョーンズは14歳でゴルフのチャンピオンになった。演奏には腕や指の長さ、スポーツでは筋力や持久力が必要であるが、それは成熟をひつようとするはずであるから、上記の人々は例外としか言いようがない。

■Presseyの「1世紀以上前に天才音楽家がたくさん輩出された理由」
①早期に音楽やスポーツを実施する環境にあった
②初期から継続して優れた指導を受けられた
③上達していく過程で、頻繁にそして連続して練習でき、さらにその能力を広げることが出来た
④音楽にしろスポーツにしろ、その分野の専門家と接する機会が多かった
⑤自分の能力を発揮する機会があるたびに、それなりの成功をおさめていった

4.イギリスの学校教育の総合化
1944年の教育法では、初等教育(5~11歳)、中等教育(12~15歳)の義務教育を受けることになり、中等教育では3つのカテゴリーに分けられる。
グラマースクール(この生徒のみが大学進学教育を受ける)
テクニカルスクール
モダンスクール

その後、中等教育の総合制度化が遂行され、ほとんどの子供が普通科学校へ進学するようになり、専門教育は学校内で行われるようになった。社会的平等と言う理由のために、優秀さが犠牲にされている。選択可能な裕福な親は高い学費を払ってまでも子供を私立学校へ進学させている。

しかし、イギリスは生産力のある人口を出来るだけ増やし、支援を必要とする人口を出来るだけ少なくすることが、国家的重大事である。イギリスが必要とするのは優秀な人材ではない。イギリスが必要とするのは、自分たちの生活を自分でまかなえ、他人の生活に寄与でき、働いて余暇を楽しむことの出来る人たちである。

5、日本での英才教育、才能教育
第二次世界大戦終了前は、学業に優れた子供たちは、中等教育から高等教育へと精錬されながら教育されていった。また飛び級制度も実施してきた。

第二次世界大戦終了後は、沢山の国立大学の創設によって、中程度の能力を有する職業人の育成を図り、高度工業化と経済復興という成果を生んだ。高校教育では普通科以外に商業科・工業科・農業科などの専門性を取り入れた才能教育がなされ、1980年代には芸術やスポーツコースを設けて才能教育を図った。また1990年代には高校二年生の大学入学や大学三年生の大学院入学など飛び級制度が一部で設けられている。

以上のように、過去150年間の日本の教育制度を見ると、才能教育には特別な考慮がなされてこなかったといえる。国家として横並びの教育が強調され、早期からの英才教育は個人に、すなわち私学に任せてきたといえる。

6、英才を見つけ出す方法、試験制度
試験制度は「才能」を見つけ出す手段としてではなく、子供の能力を序列化し競争心をあおる、あるいは教育効果の判定資料を提供する存在となっている。またコンクールや競技会でも「優勝劣敗」という必然性に依存した選抜、すなわち勝ち残った選手を選んで育成しているにすぎない。

7、身体活動の分類
トレーニングによって能力は向上するし、動かない状態(運動不足)が続けば低下していく
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第2章 身体活動能力開発と神経系の可塑性

1、人間の生活は身体活動によって成り立っている

(1)運動の定義
生物であろうと無生物であろうと、また全体であろうと一部であろうと、また人間の場合は意識的であろうと無意識であろうと、時間とともにその空間的な位置が変わること

■生理学的定義
①安静の対立概念としての定義
「生理学的な意味で、骨格筋が活動している状態」・・分子・原子・素粒子の動き、河の流れ、地殻変動
②安静を特に意識しない定義
「健康や体力を増進する目的意識あるいは暗黙の期待感を持って体を動かすこと」・・意識がある人間に限定され、激しく体を動かす点を強調した言い方

(2)身体運動の定義
「人間の身体または外部から観察可能な身体の一部分が、生理学的原因(骨格筋の活動)もしくは物理学的原因(外力)によって、意識的無意識的を問わず、時間とともにその空間的位置を変えること」

骨格筋自体の伸縮運動を身体運動とは言わない。心臓や内臓、声帯なども言わない。外部からの観察が可能である眼球・皮膚の運動は身体運動である。

2、随意運動と不随意運動

(1)随意運動
①意識の監視の下に意思によって開始され
②その運動の目的と結果が運動時に何らかの形で意識されているもの
(喜んで行われているかいやいやかは関係ない)

(2)不随意運動
①意思に余らず開始され
②その運動の目的や結果が運動時に意識されない身体運動
反射・自動運動・情動運動・疾病の症状としての病的運動がふくまれる

■反射の種類
・伸張反射・・・脚気の検査
・緊張性頸反射
・屈曲反射・・・熱いやかんに触れたときに刺激から遠ざかる
・緊張性迷路反射・・・頭部の重力方向との関係によって体肢の筋緊張が修飾される反射
■自動運動
呼吸や心臓の拍動のような運動
■情動運動
喜怒哀楽の感情に伴って発現する身体運動・・「思わず顔をを覆う」「怒りのあまりこぶしを握り締める」
■病的運動
転換発作、ピック病

3、随意運動の巧みさとスキル
■巧みだと穂行かされる7つの行動
①キャッチ:捕球・打球
②的あて:サーブ・シュート
③フェイント:ボクシング・フェンシング
④かわす:相撲の肩透かし
⑤姿勢の安定:安定したスキーやスケーターの滑走
⑥繊細な動き:舞踏や職人の道具を操る動作
⑦複雑な動き:ピアノ演奏
「巧みさ(うまさ)」は結果を評価する言葉ではない。常に「上手な動作が出来る人」「上手な動作の結果を出せる人」を言う。

■スキルの4要素
「状況把握能力」「正確さ」「反応開始や反応切り替えの素早さ」「集中力」

4、行動をコントロールする神経系
スキルという能力を司るのは脳である
■スキルと脳
<状況把握の例>

状況変化

音や光などのエネルギーに変化

感覚器に接続するニューロン(神経細胞)にインパルスという電気信号を発生させる

感覚が生じる


■脳の運動中枢
ニューロンが活動するとある特定の機能が発現するとき、その部位をその機能の中枢という。前頭葉には、一次運動野・運動前野・眼球運動野など多くの運動中枢がある。「体で覚える」ということは「脳が覚える」ことである。

■ニューロンと神経系の構造
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■運動制御
体が目的にかなった動きをするように、身体の運動関連諸機能を調節することを運動制御と言う。

5、練習や学習の神経メカニズム
■上達の生理学的メカニズム
随意運動は練習によって上達し、初心者もやがて熟練者となる。
動作の自動化・・・初心者はいちいち動作を確認しながら行うが、熟練者になるとその必要がなくなること

生理学的には、練習によって繰り返し同じ動作を行うということは、脳や脊髄の同じ運動中枢を繰り返し使うことで、インパルスが繰り返し同じニューロン回路を流れることである。

繰り返し同じシナプスが使われると、シナプスが肥大、分枝したり、伝達物質が増加したり、受け側の感受性が増強する。このような変化を「可塑性」と呼ぶ。熟練者が動作を無意識のうちに正しく素早く行えるのは、このような神経メカニズムのおかげである。

脳の重量は12歳ごろに成人の重さに達するので、スキルを要する巧みな動作の練習は、出来るだけ早いほうがよい。多数の運動を経験し、多数のシナプスの伝達効率を浴しておくことが、大人になってからの上手下手に大きく左右する。ただし幼児や児童は骨や筋肉が未発達であるから、特定の体の部分に負担のかかる運動を繰り返すことは避けなければならない。

6、練習の原則と上達の特性
練習によって運動を習得していくことを「運動学習」と言う。

■上達の原則
①動機付け・・・何かをしたい・しなければならないという気持ち
②練習の目標と手順の把握・・・練習の目的・内容・ポイントなどよく考えること(明確な目的意識をもって練習するほうが、漠然と動作を繰り返すより身につく)
③繰り返し同じ動作をすること・・・ただし、機械的な反復は避けなければならない。同じ準所の課題のみを繰り返すブロック条件より、3種類をばらばらの順序で行わせるランダム条件の方が成績がよい
④レミニッセンス・・・練習をサボってしばらくして再開したら前よりよかったというようなこと。根を詰めて疲れたらしばらく休むのも効果的である
⑤過剰学習・・・ある行動を達成してからもしばらく続けること。週1度練習を行うのであれば、基準到達日までに要した施行数の約半分を余計に行っておれば、練習効果の保持がよい。うまく出来たところで練習をやめてしまわないこと。
⑥イメージトレーニング・・・初心者は実際に行動したほうがよい。イメージトレーニングは若干経験のあるものの方が効果がある
⑦転移・・・ある技能を修得することによって、他の学習に影響があること
先の学習が後の学習効果を助ける場合を「正の転移」といい、反対を「負の転移」という。
⑧フィードバック・・・動作者に対して動作の結果に関する情報を知らせること。自分の責任だけでは決められない不確定要素の強い技術の習得には、結果の知識が必要である

第3章 身体活動能力開発と筋骨格系の可塑性

1、骨格筋の成り立ち
■筋肉は可塑性(刺激に対して事故を変える能力)が高い
筋昨日を中心に身体活動能力を高めるには遺伝的素質だけでは不十分であり、骨格筋の可塑性をプラスにトレーニングが必要である

■筋肉は筋繊維からなる
・遅くて力は弱いが粘り強い「Ⅰ繊維」
発揮できる力は弱いが、酸素を使ってエネルギーを作り出すミトコンドリアが多いので、持続的に収縮し続けるのに適している
・早くて力が強い「Ⅱ繊維」・・多くの種類がある

■タイプⅠ繊維とタイプⅡ繊維の比率は決まっている
骨格筋に閉めるタイプⅠ繊維とタイプⅡの比率には個人差がある。生まれつきⅠ繊維の多い人やⅡ繊維の多い人がいるということである。これは生まれつきマラソンや短距離走に向いている人がいるということになるが、持久的トレーニングをすれば、Ⅱ繊維にⅠ繊維の性質を持たせることが出来る。しかしⅠ繊維にⅡ繊維の性質を持たせることは出来ない。

2、筋収縮とトレーニング
■身体運動は筋肉の収縮によって行われる
筋肉は縮むばかりでなく、伸ばされながらでも力を発揮することが出来る(伸張性収縮)一般的に短縮性収縮より伸張性収縮の方が、発揮する力は大きい。大腿四頭筋は階段を降りるときに瞬間的に大き力を出すし、物を持ち上げるときより、受け止めるほうが瞬間的に大きな力が必要になる。重量挙げもあげているときよりおろすときにより大きな力が必要である

■筋肉だけでなく腱も重要な働きをする
飛び上がる前にまずひざを曲げて沈み込むこと・・反動動作
このような反動動作によって、筋肉に弾性エネルギーが貯められるので、より大きな力が出る。この筋肉のバネ的な性質は、筋肉より腱のほうが知っている。

■太いほど力が出るが比例はしない
筋肉は太いほど大きな力が出せるが、単位断面積あたりの筋力は必ずしも一定ではない。筋繊維は筋肉の進行方向に対して必ずしも平行に走っておらず、斜めになっているからである。

■力発揮にはスピードや負荷も関係する
■筋肉の肥大と萎縮
筋肉がトレーニングによって肥大するメカニズム

トレーニングによって筋肉に小さな傷がつく

筋力の低下

ダメージの収縮

以前より高いレベルに達する(超回復)

筋肉のたんぱく質は、約90日で入れ替わるので、筋力トレーニングは数ヶ月単位で考える。また筋肉は使わないと一日に1%の筋萎縮がある。(寝たきりで筋萎縮がおこること・・・ベットレスト)

3、筋力トレーニングの新たな見方
■ホルモンや遺伝子ドーピング
外から人為的なホルモンを体内に投与すると、本来の自分自身がそのホルモンを分泌する機能が低下する。また精神的に負の影響を与える。

遺伝子操作で筋力を肥大させようとする「遺伝子ドーピング」では、ミオスタチン(筋肉の発現を抑制するたんぱく質)の発見や、IGF-Iというたんぱく質が筋力の増大を促進することがわかってきた。動物実験で実証済みである。しかし、こういう遺伝子ドーピングは、筋ジスなどの患者に使うべきであり、安易に悪用してはならない

■加圧トレーニング
近年盛んになっている加圧トレーニングは、発揮している力は少ないのに大きな筋肥大が起こる。しかし、ベルトを巻くことで血圧が上がったり、筋肉が痛くなったり、赤血球破壊に繋がったりする場合もある
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バンドを強く巻き、静脈血をためて、筋肉が膨れた状態にして運動する方法

■筋肉痛とトレーニング
山登りなど、のぼりのほうが体は辛いのに、下りのほうが伸張性収縮が起こるので筋肉痛が出やすい。しかし、筋肉が傷つき、筋低下が起こっても修復されれば超回復が起こるので、筋肉痛がおこるぐらいトレーニングしたほうがよい。しかし、超回復には時間がかかるので、筋力トレーニングは一日程度あけて行うのが普通である。

■筋疲労のメカニズム
「乳酸」・・・よく言われるが、乳酸は運動中にたくさん出ても、運動後30分~一時間でなくなるので、翌日出る筋肉痛の原因ではない。
「りん酸」・・・これも近年注目されている。りん酸はカルシウムの働きを阻止するので、運動の時にりん酸が多量に出来ると、体内のカリウムが筋肉の外にでてしまうのではないかと言う考えである。

第4章 身体活動能力と呼吸循環系の可塑性

1、糖と脂肪の利用と酸素摂取

■運動のエネルギーは糖や脂肪を分解して得られる
生きているエネルギーは、主として糖や脂肪を分解してATP(アデノシン3りん酸)の形にすることで得られる。そしてその最後の段階で酸素が必要になる。

■無酸素運動はありえない
筋肉内のATP量は多くはなく、1~2秒間運動できる程度の量しかない。ATPは必要に応じて貯めておくものではない。一方ATPは、より安定なクレアチリン酸となってある程度は貯められている。

クレアチリン酸は筋肉内でATPの4~5倍の量があるので、一般論では、運動開始にはこのクレアチリン酸がまず使われ、その後酸素を必要とするエネルギー再生が行われるということから、短距離走は無酸素運動とみなされた。しかし、人間は生きている限り心臓が動いて酸素を取り入れ、筋肉内に運ばれている。血液を伴い酸素は少しは筋肉内にあるので、文字通り「無酸素運動」というのはありえない。

2、LTと最大酸素摂取量

■糖の利用とLT
党派運動時のエネルギー基質として最も重要である。運動強度により糖と脂肪の使われ方が変化し、運動強度が高くなると糖の利用が高くなる。それもある強度から急に高くなる。この過程で乳酸が出来る。つまり糖の利用が急に上がる強度は、血中乳酸濃度が急に上がる強度になるので、このことを「LT」と言う。

<LTを筋繊維の観点から考える>
●タイプⅠ筋繊維(遅筋)
ミトコンドリアが多く、貯蔵糖であるグリコーゲンが少ない。
乳酸を使ってエネルギーを生み出す
運動強度が低い場合は運動はタイプⅠ筋繊維で行われる
●タイプⅡ筋繊維(速筋)
ミトコンドリアが少なく、グリコーゲンが多い。
糖を分解し乳酸を作る
運動強度が上がるとタイプⅡ筋繊維も使われる→乳酸が作られる=LT


■最大酸素摂取量とLT
最大酸素摂取量は、一分間当たりに摂取できる酸素摂取量の最大値である。また、全身のミトコンドリアで利用できる酸素の総量を示す。

マラソン選手の中で比較すると、最大能力として最大酸素摂取量が高いレベルにあることは、選手として成功に必要である。それを踏まえたうえで実際の持久力の指標としてはLTが有効である。

3、持久的トレーニング
■最大酸素摂取量と持久力が伸びる
何も運動をしていなかった人が持久的トレーニングをすれば、最大酸素摂取量もLTも伸びる。このことは心臓が大きくなったり、肺の酸素取り込み能力が高くなったりという、呼吸循環能力が向上することにまず関係している。また、作業筋ではミトコンドリアや毛細血管が増え、糖よりは利用しにくい脂肪の利用が容易になる。

持久的トレーニングは筋肉のタイプⅡに繊維にタイプⅠの性質を持たせることでもある。持久的要素は後天的トレーニングによって変化出来る可能性が高い。逆に言えば、遺伝的に恵まれていても、トレーニングしなければ才能の開花はない。

■持久的トレーニングの三要素

強度・時間・頻度


●最大酸素摂取量に働きかける
・強い運動と弱い運動を繰り返す・・・インターバルトレーニング
・インターバルトレーニングよりセット時間を長くして高い強度で繰り返す・・・レペティショントレーニング
●ミトコンドリアや毛細血管に働きかける
時間をかけたトレーニング・・・クロスカントリーなど

■中距離選手の持久的トレーニング
中距離選手には、強度を上げた状態での酸化能力や呼吸循環機能の向上が必要である。きつく追い込むばかりがトレーニングではないが、長距離選手よりは、追い込むトレーニングの頻度を高くする

■球技での持久的トレーニング
トレーニングで能力を高めることだけでなく、試合時間を考えて最後まで力をもたせるような加減をすることである。特に前半に抑えたダッシュをしていくことや、状況を見てダッシュをするべきときだけするといった判断が重要になる。

■年齢に応じたトレーニング
成人では心臓や血管は成長期に比べると大きくなりにくい。かなりトレーニングされた20代後半の選手は、トレーニングをしても最大酸素摂取量には変化がない。しかし、トレーニングをしないと落ちる。

一方で筋力の酸化能力は20代後半の選手でも伸ばすことが出来るので、トレーニングをすると最大酸素摂取量はそのままでLTが伸びる場合がある。マラソンで成功した選手は、性冬季に中距離走をしていた場合が少なくない。

4、持久的トレーニングの新たな見方

■高所トレーニング、低酸素トレーニング
・標高の高いところでのトレーニング
酸素が少ないところで運動すると、酸素を運搬するヘモグロビンが増えるなど、血液性状の変化から酸素摂取と運搬能力が向上する。しかし、平地でのトレーニングよりスピードが上げられないことや、負担が大きすぎてコンディションを崩す選手が出るという問題点から、以前は標高2000メートルを越す環境で行われていたが、現在は1500~1800で実施されている

■遺伝的要因と持久力
持久的才能に遺伝的要因が含まれることは間違いない(双生児のマラソン選手が多く出ている)ミトコンドリアには核DNAとは別に独自のミトコンドリアDNAがあり、このミトコンドリアDNAは主に母親から受け継ぐ。持久的能力の遺伝的要因には母親からの影響が大きい。

ただし、ミトコンドリアDNAからのたんぱく質発現も核DNAからの制御を受けている。またミトコンドリアDNAは核DNAより情報が少ないので、子供の持久力は、やはり母親だけでなく父親からも受け継ぐものである。とは言っても血統の優れているウマが、必ずしもよい成績を残すわけではないので遺伝的要因は不明である。

■持久的トレーニングと栄養
近年あまりのも容易に「これを摂取すると代謝が変わる」という情報が多く見受けられる。適正な栄養摂取は必要だが、栄養がトレーニングの変わりになるわけではない。サプリメントはあくまで補助である。

第5章 記憶能力と計算能力ーアナログとデジタル/コンピューターと人間ー

1、人間を人間足らしめる天賦の才:万人の「天才」を開花するために
生物学者のTolstenは三つ子の魂百までを述べている。しかし、ゲノムですべてが決まるという先入観は、バナナと人間のゲノムが50%は同一であるということからも正しいとは言いがたい。スポーツ選手のように特定の身体のサイズなど適正が分かれるものなどは否定しないが、多くの事象について人間には可能性が開かれている。その考えに基づいて才能教育を考えるのが建設的である。

2、エピソード記憶と手続き記憶
■エピソード記憶
「昨日のあなたの行動を思い出して述べよ」と言う場合、言語や文字に表すことが出来る。このような記憶を言う。

■手続き記憶
「平泳ぎの仕方を人に説明する」と言う場合、図や文字や言語で表すより、直接的な身体訓練によって伝達するほうが効率がよい。このような記憶をいう。赤ちゃんの基本的生活習慣の獲得の過程など。

人間の脳は言語活動を含む知的能力を潜在的に持っている。これを「生成文法」という。この場合言語などの高次機能を駆使する場合やエピソード記憶一般を考えるとき、人は「これが生きた人間の証である」という観点が極めて希薄になる。脳を語るとき、一般的に身体の観点が忘却されやすいのは、科学研究の枠組みがもたらす視野狭窄であり、研究の未完熟によるものである。

■速読のポイント
早く読むことではなく、読んだ後に想起できることである。これは音楽の反射的な身体機能である絶対音とピアノの指の訓練と関係していることと同じである。演奏する身体(脳中枢)と末梢の関係から考えると生理的に妥当なものである。

3、アナログ計算とデジタル計算
現在私たちの周りで使用されているコンピューターはノイマン型デジタル計算機、あるいはプログラム内蔵型・直列計算機と呼ばれるものである。

■デジタルとはdightの略、すなわち「度数」の形容詞形であり、三角形の度数のように、ある大きさを示す量があるとき、それを単位となる度数の量として離散化して演算することが、デジタル計算の基本的特徴である

■アナログ計算機の有名なものは計算尺である。温度計やオーディオのスピーカーなどがある

4、直列デジタル計算と超並列計算:コンピューターの演算原理
人間の脳が持つ驚くべき「才能」が行う計算は、デジタル計算とアナログ計算が高度に結びついたものである

■公理論的脳理論
脳はニューロンという神経細胞を単位とし、ニューロンは活動(興奮)と沈静(休止)という、スイッチのON・OFFににている。このON・OFFが信号として伝達される

■人間の脳や身体はどのような計算をしているか
感覚器官はバイオセンサーそのもので、アナログ計算機的に振舞っている。しかし信号の電波経緯を見ると、すべて神経回路網による信号伝達によって演算が事項されていることがわかる。すなわちこれは、直列的な一本線の構造ではなく、網目状の結線構造を持っている・・超並列演算
人間の神経伝達は、狭義のデジタル演算の限界を超えた、アナログ演算とデジタル演算の中間的なものである。

5、アナログ的な計算:人間ならではの才能を伸ばす
「才能教育論」の原点に立つとき、私たちが目指すものはコンピューターの模倣をすると言うことになりがちだが、むしろコンピューターに可能で得意なことはコンピューターに任せ、人間にしか出来ないことを伸ばすことが、才能教育論の重要な点である。

■東大教育学部の実験(コンピューターのタッチタイピングと筆記)
タッチタイピングでは、ブラインドタッチで正しい指使いで打鍵することで手書きより著しく単位時間当たりの文字定着を効率的に行うことが出来る。一方手書きは低速であるが、記憶に残りやすいなどの別の利点がある

6、アナログ的な記憶:画像・空間・経験
文字で表される情報・・・テクスト
文字で表せられない情報・・・非テクスト
非テクストの中の画像情報については、構成要素を離散的に分解したベクターと、画素のひとつひとつを指定する非ベクターがある。非ベクターであってもデジタル情報であることは間違いない。

■人間の主観における、記号化された画像の情報
①自宅から駅までの地図を書かせる課題・・・略地図の回答が多く、これはシンボリックな記憶/計算と考えることが出来る
②母親の顔を書かせる課題・・・よりアナログ的な回答が多く、これはノン・シンボリックな記憶/計算と考えてよい
③25の人の人名を覚える課題・・・言語として覚える場合、7±2が標準。25すべてを記憶している場合は語呂合わせや画像化、連想などなんらかの記憶と想起に関するテクニックを用いている。

才能教育は、人間の生理特性の弱いところを補い、結果的に著しい効果が上がるように反復トレーニングを行うことである。

7、手続き記憶とその計算
通常、健康な成人が「当たり前だ」と思っていることの多くはきわめて天才的であることは、それを失ったときにわかる。介護認定の項目がいい例である。

■自転車に乗ること
自転車に乗るという行動をロボットに取らせることは、現在の科学では難しい。自転車に乗るという、コンピューターには難しい行動能力を人間が維持するには、自転車に乗り続けること、に他ならない。

■生涯に渡って芸術を実践すること
工芸の人間国宝が一般的に極めて長寿で、人生の最期の日まで認知症を罹患することが少ないのは、自分の身体の微細な差異に敏感であることではないか。生涯に渡って芸術を実践することの圧倒的な利便のひとつはここにある。

「世阿弥の初心忘るるべからず」
自分の技芸を通じて自らの心身の状態を常に意識する日常を送るものが、自分の衰えを意識し、それを補って芸の質を維持向上させようとする、その最初の心を決して忘れるべからずとの教え。

8、あらゆる人間のための才能教育論:自分らしく生きるために
一部の特殊な人間が「才能を持つ」という考えの大半は、思考停止に繋がり、可能性を否定するものである。才能教育論は一部の成長期の子供だけを対象とするのではない。人は、その人生の最期に至るまで、驚くべき能力を発揮して生を全うする。むしろ高齢者や要介護者の才能にこそ注目し、それを伸ばし、そのプロセスを学ぶ「才能教育論」こそが求められている。

思春期以降、自我が発達した人間(成人)が、自分で何かを選択し、あるいは何かが好きになり、何かに憧れ、それを目指して努力する人に希望を与え、的確な方途を示し、自分の羅針盤を自分で読み解く「セルフオリエンテーション」の力を与えることが重要である

第6章 作曲家と演奏家の違いー中枢神経と末梢のはざまでー

1、作曲家と演奏家の相違とは「けじめ」に他ならない
夫を亡くした女性が、母であっても妻ではないように、演奏家であっても作曲家でないことは現実には存在するが、「演奏はより創造的であるべきであり、作曲はより実践的であるべきである」と言うことに尽きる。

2、作曲とは?演奏とは?
■作曲(コンポーズ)・・・ひとつの楽曲を構成する音楽要素を構造的に定着すること
それを楽譜に書くことは「書法」といい、和声学・対位法・器楽法・楽式論など多彩な内容を含む。

■作曲に必要な能力
・ソルフェージュ・・・音感基礎
・アナリーゼ・・・分析
・エクリチュール・・・書法


西欧近代由来の音楽では、このようにして「書かれた物」を読み解く「読解」、あるいは「解釈」という能力が必須不可欠である。自分で音楽を作り出したわけではなくても、この音楽がどのようにして書かれたのか、きちんとした背景や文法を理解できなければ、独立した人格を持つ演奏家とはいえない。このような「楽譜を読み、音楽を創造的に想起する能力」はイマジネーションの領域である。

コレに対して演奏は、声楽なら肺・声帯、楽器奏者なら関連する体の器官と言うように、すべての身体の器官を動員して、実際に音楽を生み出すというプロセスが付随する。

シンガーソングライターという音楽のあり方は、古代ギリシャでも吟遊詩人がいて、彼らは造り、奏で、歌う音楽家であった。日本でも雅楽・能楽・三味線できわめて高いレベルの創意工夫が求められる。

1980年以降、電子音源を駆使した自動演奏が一般化したが、機械による演奏は限界が明らかであり、音楽を作る要素はいまだに人間による演奏を陵駕するには至らない。すなわち、演奏家の能力のうち、「演奏構成能力」というべき部分は、「作曲能力」と重なる部分である。

3、「フィルハーモニー」ということについて
■フィルハーモニー・・・音楽を愛する、あるいは響きの調和を愛すると言う意味

歌がうまい=音楽の成績がよい、絵がうまい=美術の成績がよいと言うのが、日本の芸術教育の気穂的な考え方である。しかし「それだけそれを好きか」「どれだけそのことについて考えたか」ということは、現在の日本の義務教育ではでは問われない。

スポーツでは、まず子供がその競技を好きになり、切磋琢磨し、結果として技量が上がり評価されるという極めて自然なプロセスを踏んで才能を伸ばしていく。芸術教育でも、まず子供たちに「感動し、好きになる」という経緯を一人一人に持たせないと、才能教育論はただの技術論になる。日本の理科教育においても「知を愛する」ということが徹底的に欠如している

4、中枢と末梢の対話:作曲と演奏
■西洋近代音楽の専門技能
・器楽のソルフェージュ(初見能力)・・初めて見る楽譜を、適切に音にして表現する能力
・ソマティザシオン(より高度なソルフェージュ)・・・楽譜から得られた音楽的な情報の本質を、身体の深いレベルで咀嚼し、演奏に関わるあらゆる身体部位の隅々に至るまで、統一的に実現すること

よりよい作曲のためにはソルフェージュやソマティザシオンの観点が決定的に重要である。

5、作曲家の手仕事

徹底してその音を脳裏でイメージする

実際に音を響かせる

実際に響く音を徹底して聴く
音自体を突き放して聴く(ソルフェージュ)

音符をメモする
どの音を選ぶかということを、独りよがりではなく、内面の絶対の確信と、楽員や徴収の合理的納得と音楽的納得が得られる音の取捨選択をしなければならない

未知の第三者に、自分の楽案が音楽として伝わるか、それを楽譜として定着しきる力が求められている(エクリチュール)


6、演奏家の手仕事

机の上に楽譜を開き、音楽自体と全身全霊で向き合う
(事前にその音楽を聴いたことがあれば参考になるが、それらに頼って音楽に触れた気持ちになってはいけない。あくまで自分の中に音楽の像を結ぶことが決定的に重要である)

整合した句読点が打たれたような形で音楽を自分のものにすること(アーーティキュレーション)


■自分のソロ、リサイタル
音楽の全体を自分の身体の中にそっくりそのままいれておかなければならない。
■アンサンブル
固定的名像を作りすぎると、合奏ではマイナス。伴奏という持分では、ソロ楽器のいかなる繊細な呼吸で伴奏をつけることを求められるので、「どこからでもかかっていらっしゃい」というある意味幅を持った解釈の偶然を楽しむ余裕が必要不可欠である。協奏曲で指揮者がソリストにテンポの指示などをしすぎる場合は、ソルフェージュの弱さを吐露している場合が多い

3つの暗譜
目の暗譜・・・音楽の過去と未来を見通すことができ、フォルムの感覚に有用である
耳の暗譜・・・音楽の響きを覚えていること
手の暗譜・・・・体の暗譜


■近赤外光脳血流可視化システムの実験
①ワーグナーの作品を暗譜で指揮する
脳の前頭葉に活性部位が局在し、40~60秒程度の周期で興奮・沈静を繰り返す。
②楽譜を見ながらブーレーズの作品を指揮する
運動末梢に駆動する中枢は活動しているはずだが、前頭葉がクリアである。

■アマチュアとプロの違い
アマチュアは、好きな作曲家を答えられるが、プロは音楽を好き嫌いで見ていない。自分が演奏すると決めたらその作品を愛することが、よい演奏のすべての大前提であるから。また、アマチュアは自分の演奏に100%のエネルギーをつかうが、プロは自分の音を余裕を持って出しながら、頭上3mぐらいの客観的なところから音楽が成立しているかを見ている、冷静な音楽家の自分がいるかどうかが、プロには問われている。

7、末梢の反射訓練について
楽器を扱うという身体末梢訓練は初歩的な部分に属し、音大受験から20代あたりまでがピークである。演奏の技能は、この末梢的な反射の部分ばかりに目が行くが、幼児期から習得をはじめても、思春期があけているころには完成しているので、これらを過剰に評価しても音楽として得られるものは少ない。またプロならこれらは出来て当たり前で、出来なくなってしまったら引退するしかない。

20代以降のプロはどこかに身体上の故障や弱点を持っているのが普通である。そういった事情を聴き手にはわからないように音楽を演奏する人生を全うするのがプロという人生を選択することに他ならない。プロの演奏家とは、音楽する身体をすべて透視しながら実際の音楽を現象させる職業人の謂である。

アマチュアはほんのちょっとした体調の変化が演奏に現れることが多いので、大きな疾患を見逃すことなく長寿社会に結びつくことが少なくない。

8、「シテ」という考え方

シテ・・・能楽の職分。主人公を舞うものを言うが、実際は地謡も歌い、舞台装置、面の扱いからお金にまつわることまですべての裏方の仕事も担当する。家元でも同じ。

演奏家か作曲家かといったことを超えて、「音楽家」としての枠組みをさらに凌駕して、社会人としていかに芸能を持って生涯を全うするか、それは「死ぬまであらゆる雑務の一切を怠らずに、すべてに愛情を持って責任を取る」ということを、世阿弥は代々に教え諭している

第7章 偏差値に基づく能力評価の意味と限界

1、偏差値とは

■偏差値とは
あるひとつの基準で測定される課題の達成度(パフォーマンス:そこから潜在的な能力が推測される)は、対象が人間であり、しかも一般の人々を代表すると見なせるほど大きな集団であれば、ほとんどの場合に「正規分布」すると言われる。
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人間のパフォーマンス分布がこのようになるという経験的事実は、平均を集団の代表値とする一般的な慣習の根拠となる。ただ、個人差(ばらつき)についての情報は全く得られない。そこでばらつきの指標として「標準偏差」(S」がある。
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(こういうのは苦手なので説明は飛ばします。さっぱりわからん・・)

■偏差値の実用上の意味と限界

あるひとつの基準(方法)で測定された

ある特定の集団のパフォーマンスの中で

パフォーマンス分布の正規性を前提としている

すると理論的に
・異なる基準で測定されたパフォーマンス同士は比較できない
・同一の基準で測定されても、異なる集団から得られた偏差値は単純に比較できない
・そもそもパフォーマンスが正規分布しない場合には解釈が難しい
等が導かれる

2、具体論から考える偏差値の意味と限界

■体力が低下している子ども・青少年は誰?
子ども・青少年の体力が低下しているというのは、今日ではもはや常識である。しかし一方では、国際的なスポーツ競技大会で10代の日本人選手の活躍が目覚しい。全国高校体育連盟の記録では、陸上競技においてはまったく低下が見られず、むしろすこしづつ向上していることがわかった。

■推論
現象1・・・子ども・青少年の運動能力の低下
現象2・・・トップレベルの水準はむしろ向上
このことにより、個人差が下方へと拡大しているのではないか

3、学力とは何だろう?
入試上位者のうち入学後も成績が上位だった人、逆に入試下位者のうち入学後も成績が下位だった人の割合はともに55%であった。特に成績下位者が下位に留まるという点で、入試成績よりも高い相関がみられる

■推論
①入試後の成績の相関
一般入試の成績<高校(AO、推薦入試)の成績
②入試後の成績の水準
一般入試の入学者<AO、推薦入学者

大学入試センターによれば、全国の大学が掲げる「求める学生像」には、基礎学力や教科学力に続いて興味、関心、思考力などの語が頻出する。後半の三つは通常の筆記試験で測ることは難しい。一般的な入試の成績と入学後の成績の相関が低いことの背景には、おそらくそういうものがあるだろう。

3、まとめ
偏差値が便利であることは間違いない。しかし、正しい意味や限界を踏まえてデータを吟味する姿勢は必要である。

2004年、国際数学・理科教育動向調査2003で、各新聞が「理数の学力 小中も低下」と見出しをつけ、1999年から2003年までの4年間、中2の成績がに579点から570点に低下したことを記載。これにより大騒ぎになる。

しかし、翌日「平均点を500点として相対的に算出した」との記載があり、結局これでは日本の国際的な偏差値は、前回より平均に近づいただけであることがわかる。偏差値に基づく能力評価にまつわる問題の多くは、偏差値それ自体の性質よりも、人々の利用、応用の仕方に起因する。

■報道問題からわかること
①平均得点の低下(579から570)
②得点は全体平均を500点としたときの相対値
これにより学力が低下したとはいえない

第8章 身体活動能力とその発達に及ぼす遺伝的要因

1、遺伝学研究の方法

■動物実験にみる遺伝の証拠
「親から子へ」というのが、文字通りの遺伝の概念であるから、累代の表現形(外から見てわかる特徴)を観察して筆禍うするのが最もシンプルで説得力がある方法である。

米国のラットの持久的運動能力の遺伝の証明
メス・オスそれぞれ96匹のマウスの運動能力を測り、最も高い群・低い群の中だけで交配させるという操作を6代まで繰り返す。その結果、世代が下がるにつれて高能力群と低能力軍の差が大きく開くことがわかった

■人間の遺伝学研究
家族(家系)内の類似性を手がかりに遺伝的効果を探る。遺伝子を一定の割合で共有する血縁者の間に類似性が認められれば、その形質が遺伝的に決定されていることを示唆する。しかし、2万はある人間の遺伝子の中から目的のものを探し出すのは容易ではない。
・表現型から遺伝子へ・・・トップダウン
・遺伝子から表現型へ・・・ボトムダウン

2、遺伝的効果の捉え方(双生児を中心に)

■類似度の定量
双生児データの有効性


遺伝子の共有割合
対差の由来
生活環境の類似度
一卵性
100%
環境
同じ
二卵性
平均50%
遺伝子
環境
同じ

■遺伝率の解釈上の留意点
①級内相関係数(R)、遺伝率(H2)は分数の比
・表現型分数(VP)は、標本分数の「社会」に依存・・・トップダウン型研究に共通
②双生児対の生育環境の類似度
一卵性>二卵性なら遺伝率は上昇

3、身体活動能力にみられる遺伝性
■遺伝率・遺伝的分散
遺伝子の関与は、持久的運動能力ではあまり強くないが、瞬発的能力ではかなり強い可能性がある

■遺伝子の探求
①ACTN3遺伝子と運動能力
<性質>
・速筋繊維に特有のたんぱく質を作る(働かない人が一定割合存在する)
<研究方法>
オリンピック選手などの一流選手
3タイプ(RR・RX・XX)の出現頻度を比較

②ACE(アジシオテンシン変換酵素)遺伝子
・Ⅰ型、D型→3タイプ(Ⅱ、ⅠD、DD)
・心臓機能と関係している
・運動能力との関連

このような運動能力に関連するとみられる遺伝子はいくらでも見つかっている

■身体活動能力の成長・発達
若い人を対象とする場合の難しさは、彼らが発達途中であると言うことである。最終的名到達レベルへと向かう過程にみられる個人差まで扱うことになる。

PCI(成長・発達を通じてパフォーマンスが高い・低いことを表す成分)に遺伝関与が見られることは従来からわかっている。片方が早熟ならもう片方も早熟で、晩熟ならもう片方も晩熟である。

4、まとめ
・遺伝率X%→個人能力のX%が遺伝で(100-X)%が環境
・対象はあくまで集団である
・社会のありかたを反映している
・遺伝子の力を表す絶対的な値はない
そういう意味で、「遺伝子ですべてが決まる・決まらない」の論議は無意味である

第9章 絶対音感と学習可能性ー反射と随意性をめぐってー

1、絶対音感とは

音の高さの認知に関する一群の条件反射的能力をさす。職業的な音楽製作において、主に準備段階で有用である。また適切な統御を欠くと、音楽製作上に支障をきたすことがある

2、条件反射としての絶対音感
日本でのみ、何か神秘的な能力であるように取り上げる。悪質な興味本位の本が出回ったなどの経緯があるのであろう、絶対音感に無用の価値を付与する傾向があるが、よくて興味本位、悪くてモーツアルトの売り出しと同様、営利のためのデマと疑えるケースも見え、またこれに対して認知科学者が鷹揚であることも、誤解の根を深くしている。

■無条件反射の成立
誘発刺激・・・大きな音がする、熱いやかんに触れる(何らかの生得反応が起こる)
中性刺激・・・小さな音が遠くでする(生得反応が起こることはない)
これらが恒常的に繰り返されると、無条件反射が誘発される。これを古典的条件付けと呼ぶ。

■早期教育において行われる絶対音感の訓練
正解を教えて慣れさせていき、正解した時には著しくほめると言う事を繰り返していくと、子供はほめられたいのでこのプロセスを繰り返すようになり、ついには音を聴いただけで正しい音名が言葉や色で見えるようになり、同時に「これで正しい」と言う納得の感情を持つようになる。早期教育で、効果的に音感を伸ばすことは事実であるが、成人後でも訓練によっては可能である。

3、ソルフェージュの中でのピッチ=音高識別能力
音を単に当てるだけではなく、その音の高さを認識する能力のこと。ピアノのように定まった音程に調律されていない楽器(ヴァイオリンなどフレットのない楽器や声楽)には、自分で音(声)を作り出す必要があり、専門家には求められる。

絶対音感とは、音を聴いたときに反射的に音名が意識に浮かぶという認知現象である。弦楽器出身の音楽家は音程に感覚を持っているが、絶対音感とは無関係に高い仕事をしているのは、そのような初歩的なレベルをクリアしたあとの音楽家を対称にしていて、より高次の音楽つくりをしているからに他ならない。

絶対音感は、音を聴いたときに、反射的に意識にあがってしまうというきわめて受け身な反射である。このような反射は、創造的な音楽作りにはほとんど役に立たない。ピッチに直結する感覚をより多く恵まれるのは、ひとつひとつ音を作り出す弦楽器である。ピアノではない。

■バイオリンの調弦
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ニ長調やト長調などの楽案は極めて弾きやすく、楽器もよく響き陽気な印象を与える。逆に嬰ハ長調などは、ひとつひとつの音程を意識して取らなければならず、楽器も自然に鳴るとは言いがたい。

グスタフ・マーラーは交響曲5番(嬰ハ短調)で、その楽器でその音を作り出すことによって、自然に弱音器がかかったような特異な響きが出るというように作曲されている。このような例が高度な音楽作りに直結するもので、単に音あてゲームのような絶対音感の神話は役に立たない。

4、絶対音音痴

■絶対音音痴とは
①弦楽器などで、自分の中に強く音名の感覚がありすぎると、弦楽四重奏などで、合奏の全体がより低い基準音にシフトしてあわせる、といったアンサンブルの緩急につけることができなくなる
②声楽などで、伴奏ピアノの調律が狂っていると歌えない。また、伴奏が転調すると楽譜を見ていると歌えない
③合奏で、ピッチの狂った音が入ってくると、過度にそれが気になって演奏上に支障をきたす

各種の音感は、自分の身についている反射的な音感を、随時組みなおしていくことが、音楽家には求められる

5、ソルフェージュと自覚的な音楽作り:オペラント条件付けへの転化

■基本的なソルフェージュ教育
①楽譜を見てそれを歌う「視唱」
②音を聞いてそれを判断したり書き取ったりする「聴音」

ピアノなどの平均率で過剰な絶対音感を持っていると、平均率の音のにごりや純正調の調和感などが感じ取れなくなってしまう(音名ばかりが意識に上る)「絶対音音痴」の是正策のひとつとして、固定ドと移動ドの双方を自由自在に行き来できる訓練がある。

■ソルフェージュの内容紹介
音部記号読み(ト音記号・ヘ音記号・ハ音記号)
リズム打ち
音程調
ポリフォニーの聴音

音感を音楽作りに積極的に役立つ力に転化するには、幼児期には古典的な条件づけのようにして与えられる各種の音感を、音楽環境の中で自分の主体的な行動に結びつける二次的なトレーニング、端的に言うなら「オペラント条件付け」への主体的な努力が必要である。「オペラント」とは学習理論において、自発的に行う行動を言う。

6、音感利用の実際:ディチューンの技法
十分によい耳を持った職業音楽家(とりわけ声楽家、弦楽器・管楽器奏者、ティンパニ奏者、指揮者)であれば誰しも、わざと音程をずらすという技法を知っている。

■正しい音程が「音楽的に正しい」とは限らない例
①ヴァイオリン協奏曲では、ソリストが音程を少し高めにとることで音楽のラインが引き立つ
②イタリアオペラの伝統の微妙な音程のずれの存在
・わざと低く・・暗めになる
・わざと高く・・明るめに
③リズムにおいては、一定前向きに傾いたようなリズムが音楽的に正解

職業音楽人として高い成果を目指すのであれば、まず標準的なソルフェージュの基礎を確立するとともに、それを自在にずらし、求める音楽の表現を作り出していく能力を磨くべきである。日本人音楽家は「技術的には世界一」と評価を獲得したが、先に進めないのは「微妙なずれをどう作り出していくか」が問われているのである。洗練の極みとは、絶対音感などではなく、むしろ微細な差異にこそ宿る。

7、微細な差異の体系:能楽・一子相伝される音感
能の伝統は、凡庸な言い回しをいかに回避し、ずらしていくかということに圧倒的な配慮がされている。(例:能管は正しい音程をとらないようにわざと細工がなされている=ディチューン)まず初心者には正しいとされる伝承を、まず型から教えていく。幼少期からこのような経験を十分積んだ上で、青年期から老年期に達する長い過程で、年相応に極めていく。

■能シテ方観世流 二十六世宗家 観世清和師と息子三太郎の場合
(3つの舞台「鞍馬天狗」 仕舞「老松」 能「隅田川」の稽古を例に)

隅田川の「お念仏」の謡いの稽古
観世清和はただ単に謡ってみせ、余計な講釈はせず息子に真似をさせる。元気よく大声で発声できているとほめる(これが十分でないと事後の過程で、謡の身体が十分に伸びない可能性がある)
                           ↓
隅田川の「仏陀」
節回しがあるところで清和師が手のしぐさで音調を示され、そこではじめて三太郎は音高(ピッチ)の存在を知る。ここで自然に親と同じ音程で謡うようになる
                           
「まず元気よく歌い、それをよくほめ、芸が嫌いにならないように、お父さんと一緒に稽古することが好きになる」ように、能楽の一子相伝はなされている。このように、芸を喜び、芸を愛し、芸とともに生きるということを、人生の最初の時点で思う存分身体にしみこませることは重要である。能楽師はまず型から入り、今度は内側から見出していけるかということが、能楽師が成人する家庭で問われる大きなステップである。

清和師自身、高校2年のある日いきなり稽古が変わって、大変厳しい能の稽古への移行があった。これは、幼児期の条件反射的な絶対音感を、成熟した能楽師として自分自身がオペラント条件付けしていけるかという、愛情のこもったシフトチェンジである。

8、複数の音感:レジスター聴について
レジスターとは、ある発音体が基音や倍音系列のどのあたりであるかを指す言葉である。おのおのの楽器の第一音域(基音周辺)、第二音域(第二倍音の領域)、第三音域以上(人間の声なら裏声など)などの差は聞き手に異なる影響を及ぼすものであり、決定的に重要である。

能楽の舞事や囃子は、比較的限られた種類のパターンを、曲により、または人によって変化させて演奏し、その差異の部分に主に名人上手の技量が現れる。それを聞き分けるのは、反射的なピッチソルフェージュでは役に立たない。「絶対音感」などという術語がよろしくないと指摘するのは、このような実態があるからである。

9、総括:市民にとって芸術の才能教育とはいかなる意味を持つか
「美術教育」は絵がうまく書けることが目的ではない。結果に目的があるのではなく、むしろその「プロセスを生きる、動く人間の心と身体」が重要である。同様に音楽も「歌や楽器がうまくなること」「音楽の小理屈を知っていること」が目的ではない。「世界の聴きかた」「森羅万象への耳の澄まし方」と、そこでの精神を教えることが重要であり、生涯にわたって終わることがない。

自分が作曲、演奏することで作曲家、演奏家になるのではなく、人が自分の作品を演奏してくれて、あるいは演奏家として受け入れてもらって、はじめて職業音楽家は社会の全体の中で生命を持つことが出来る。また、職業的であるなしに関わらず、あらゆる人が、おのおのの百人百様の才能に向かって、全面的な可能性が開かれている。

第10章 身体を動かす能力の開発

1、からだを動かす能力が身につくプロセス
■随意運動への発達パターン
からだを支えて床に足をつけると歩くように足を交互に動かす・音のするほうに振り向くなどは出世時から認められる。こうした反応は、主には大脳皮質下の働きと言われている。ところが、これらは生後1~4ヶ月の間に消失し、再び随意運動、すなわち大脳皮質が調節の主体となった動きとして現れる。この消失の間に、動きを司る主体が皮質下から大脳皮質へと移行する。

また、物をつかんだり、手を伸ばしたりする手の操作は、わしづかみから指先への精巧な動きへと進歩する。このようにからだの動きは身体の中央部から末端への発達パターンを持つ。

■随意運動の成り立ち
大脳皮質の運動野から筋肉に指令が伝わるルートは、大きく2つに分類される
①錐体路・・・巧みな動きを支配する主体
②錐体路以外のルート「錐体外路」・・・反射や動きの円滑化に寄与する
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2つのルートがこのような役割分担になっているので、随意運動として出来上がった動きには、錐体外路による変動の幅と、錐体路による動きの「まとめ」としての変動の幅とが重畳される。例えば、歩く動作のようにまとめ方が比較的単純であれば、その人独自のパーツが目立つ動き、すなわち、生まれつきと思える動きとなるし、投げる動作のようにまとめ方が複雑であれば、まとめ方の巧みさが目立つ動き、すなわち、学習の仕方によると思える動きになる。

■動きの「まとめ」と習熟
日常生活での多く使われる動きは、特別な練習を必要としない。しかし、習熟のためにその動きを改善しようとすれば変わる可能性が高いが、改善しようとしなければ「まとめ」の固定化が進む。錐体外路による動きのパーツが目立つ動きは、習慣化されてクセになってしまうと改善しにくい。

遊びやスポーツの中で使われる動きとなると、うまく出来ることが要求されるので、特別な練習の中で習熟のために繰り返しの練習が必要となる。そして、手先の操作機能の習熟には幼児期から小学校低学年期が重要な時期と言われている。

どのような動きでも、はじめは大脳皮質からの指令が的確でなく、筋肉には不要な活動や余計な緊張が見られる。その的が絞られて「まとめ」が進む。そこに視覚や自己受容期を通したフィードバック制御による微調整が進むと、動きは巧みさの高いものとなる。それが繰り返されて自動化されると、記憶が出来て学習が成立した・習熟したということになる。

2、自発的な学習によるのか、他者の指導によるのか
■幼児期までの指導効果
アメリカ小児医学会では、早期教育は効果なしと言う立場をとっているにも関わらず、乳幼児期には「安全で、動きをはぐくむ内容で。出来るだけ自由に遊ばせる」ことを親に勧めている。一見矛盾しているように思えるが、この時期からの長期の学習がその後の動きの効果は明白ではないが、ネガティヴに働くことがないという考えに基づいている。また親や家族のライフスタイルが、この時期での子供の動きの開発には大きく影響する。親がよく身体を動かすライフスタイルであれば、子供も身体をうごかすようになる。

■幼児期からの指導効果
物がよく見えてそれに対しての理解が深まるのは幼児期以降と考えられ、主体的に自発的な学習が出来るようになるのはその頃からである。

(例)小学校1年生と4年生のボール投げ練習で同じ内容を指導する
               ↓
①1年生は練習する前に投げた距離に関係なく飛距離が伸びた
②4年生では練習する前に投げた距離の短かった子供ほど飛距離が伸びた(練習内容をよく理解している)
③4年生では練習前に飛距離の長い子供はそう伸びなかった(日常の動作で形が出来ている)

幼児期から小学校低学年には、言葉での説明よりテレビやビデオで模範的な動きを見せたり、指導者がデモンストレーションを見せることが必要である。

プロフィール

Mikami Kako

Author:Mikami Kako

おことわり

保育士・図書館司書に関しては、旧システムによるものなので、現在のもの科目編成や内容にずれがあります。放大についても閉講科目が含まれます

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