第15章 若者をめぐる社会・文化的課題(2)

EUの青年政策における3つの課題

1)若年者雇用政策
2)若者の社会的排除に関する政策
3)若者の意思決定への参画とシティズンシップ政策

●EUの参画とシティズンシップ政策の展開

1985年 国連世界青年年に登場
1989年 子供の権利条約の国連採決で正式に認定
1990年 具体化に向かって進む
2001年 若者に関する白書による明確化

●EU白書における若者政策の三つの柱

1)若者の積極的シティズンシップ(社会に完全な形で参加すること)
2)計画分野の拡大
3)若者の自律autonomyを促す

●スウェーデンの若者政策の特徴とその構成

<若者政策の2つの重要な傾向>
・レジャーや文化より若者の生活条件と着地のチャンスが政策の前面に出ていること
・若者政策の政策の制定と、内容に関する関心が高まっていること

<若者政策の大きな3つの目標>

・若者の自立
・現在及び将来において若者がメンバーとして社会に参画し、影響力を持つこと
・若者のコミットメント、創造性、批判的思考力を社会は資源として生かさなければならない

<若者政策の5つの柱>

1)成人期への移行を促す
2)積極的シティズンシップを活性化する
3)若者の生活条件に関する情報を収集する
4)公的活動/政策の調整をはかること
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第14章 若者をめぐる社会・文化的課題(1)

1990年代半ば以降、EUでは「社会的排除」という言葉を用いて、学業・雇用・訓練のどこにも社会的地位の定まらないステイタス0の若者を政策の対象とすることになった。

1、若者雇用者問題と社会的排除

1)イギリスにおける若者の社会的排除の実体

<学校で何が起きてるのか>
・柔軟性のない、魅力のないカリキュラム
・義務教育とその後の教育のギャップ
・教育・訓練に対する経済的サポートの不満
・不十分なキャリア教育
・キャリア教育・情報・ガイダンスが遅すぎること
・教師、アドバイザーの認識の狭さ

2)中卒以後の教育訓練生殿体系性がないこと
・どの制度、組織からも落ちこぼれるNEETの若者の放置
・職業紹介センターは手立てをとっていないこと

3)15歳以後の教育・職業訓練参加のために財政的援助が必要

4)社会的排除の状態に陥りやすいグループ
・失業中の家庭、貧困家庭、エスニックマイノリティ、家族を介護しているもの、若すぎる親、施設出身者、学習障害者、心身の障害を持つ若者、精神疾患、ドラッグ・アルコール常用、犯罪歴のあるもの、失業地帯。

●研究プログラムの報告
1)リスクの高い若者には、私生活と教育/訓練、仕事の持続性や、安定したサポートが欠けている。彼らにはもっと柔軟な道程が必要である。
・授業開始時刻の多様化
・再入学のための複数のチャンスへ容易にアクセスできること
・コネクションズアドバイザーから高度に個別化したサポートを受ける期間を延長すること
2)NEETの社会統合を進めるために、職業コースの質と地位を高めること
3)貧困地帯では、貧弱な職業君レインと仕事機会しか与えられない
4)若者のやる気、労働市場、訓練提供を相互にマッチさせることが必要である
5)自己選択と責任というレトリックで表現される現在の子湯行く施策は不利な若者には不利である
6)中学段階で社会的スキル訓練が行われるべきである
7)貧困な地域への投資の必要性。
8)頻繁な怠学は、長期に渡る社会的排除をもたらす
9)社会的排除の若者は、長期失業者(働いていない)というよりも、政府スキーム、学校、低賃金、低スキルの臨時仕事の間を周期的に移動している。失業しっぱなしということもなく、政府福祉に依存する気もない。

●若年者労働市場政策の多様化

1)有給の雇用という形に至らない、訓練的、ボランティア的性格を帯びた活動を、職業に到達する道筋として位置づけ、こうした積極的活動を支援する政策。

2)社会サービスと青少年サービスの分野で、若者のための仕事を創出するという方法

3)第三セクターを若者の内的動機作りに効果的なインフォーマル、ノンインフォーマル学習を提供できるメリットを持つものとして位置づけ、若者に自信をつけさせながら、若者が自分自身の生活暦を形成するために必要な機会を提供する方法

2、イギリス、コネクションサービスにみられる政策アプローチ

●4つの特徴

1)さまざまなバックグラウンド(経験・訓練・出身)を持つパーソナルアドバイザーのネットワーク
2)複数の専門の異なるスタッフ・機関の協同するマルチ・エージェンシー
3)行政セクターの壁を打ち破る革新的サービス
4)サービスの設計・提供のあり方において、若者に相談、協力の参加と関与

●コネクションスの具体的な目標

1)NEETの若者を減少させる
2)公的資格なしの義務教育卒業者を減らす
3)低学力の生徒の学力を引き上げる
4)未婚の母。施設出身者。犯罪暦のあるものを雇用・訓練へ
5)薬物使用者へのサポートを増やす

3、スウェーデンの若年者雇用支援の手法

●若者雇用政策の特徴

1)移行支援とスティタス
2)大人としての地位の獲得と社会への統合
3)以降政策の要素
教育訓練制度。雇用制度・社会保障制度・住宅対策
4)雇用重視→教育重視

第13章 社会変動と若者ー研究の方法ー

●社会的排除とは
社会的に要求された諸条件へのアクセス不可能な状態
社会生活上、孤立・周辺化した状態

●若者研究の新しい手法
・ホリスティック(全体論的)アプローチ
・若者研究分野の統合
・子供期・青年期・成人期の連続性プロセス
・さまざまな移行形態への着目

●成人期への移行研究の重要なテーマ
・労働市場への移行の様相
・転職と家族形成との関係
・国家責任と家族責任との緊張関係
・経済的依存から自立への移行の様相

●若者のシティズンシップの特徴
・親を介したシティズンシップ(親の反映として国からシティズンシップを受けている)
・半シティズンシップ的位置づけ(移行期)
・親元からの自立=一人前の市民になること

●なぜ離家に着目するのか
・離家は移行上の重要なイベントである
・私的世界から公共世界への前進
・離家は複雑なプロセス(結婚だけでなく、出たり入ったりする)
・選択による離家?制約による離家?

●若者についての社会的排除のプロセスについての総合的研究
4つの骨子
1)若者から大人への移行
2)若者の脆弱性と排除のパターン
3)若者の世界観
4)重複する不利な状況とその影響の検証

家族問題を抱えていたり、離職をした25%がホームレスになる。

●研究結果の包括的テーマ
青年期の不平等
・長期化する移行⇔短期の移行
・豊かな若者⇔貧しい若者
・資格を持つ若者⇔資格を持たない若者

第12章 現代イタリアの若者

1、成人移行期の長期化と親元同居

30歳で約60%の男性が親と同居。それより少ない数で女性も同居している。女性の数が少ないのは日本とは逆の現象である。

●原因
裕福な家庭でも親元を離れないので、経済が原因ではなくあくまで障害の範疇を出ない。根本の原因は「将来を見通す(想像できない)若者の増加」
家を出るということは過去との決別になり、決定的な要因となるので出来ない。全てにおいて「やりなおしのきく方法」を選ぶ傾向にある。
失敗しても元に戻れる事を望む。

●学業
大学生のおよそ60%が退学・留年をする。これは他の国ではみられない。

●ピストイヤ社会調査研究所の結果
イタリアの地方によって異なる社会現象を調査することを目的とする。調査した結果は研究者だけでなく、あらゆる人に共有される財産だと言う考えを持つ。全ての人たち(行政・政治家・各機関の担当者)に行き渡らせる

●インタビューより

若者の現状に関する構造的なデーター分析。
(市町村の雇用センターを利用して、若者各人の基本データや個人情報の分析を行った。突っ込んだ形のインタビューも実施した。
このインタビューでわかったことは、若者の考え方や生き方を理解するのに大切である。

今回の調査で興味深かったことは、親との同居が長引いてることの裏に若者がグローバル化に不安を抱いていることが分かった。地元に愛着を持ち、そこにとどまっている。
最も政策に反映すべきものはコミュニケーションである。若者は社会に対して疎外感を持ち、自分たちの声が大人に届かないことに不満を持っている。
彼らに社会的主役の座を取り戻させることが今後の政策の課題であろう。

●現代のイタリアの若者の状況

・高い留年・退学率
・高い失業率(2000年から改善の兆し)
・未婚化・少子化の進行
・高い未婚者の親元同居率
・成人移行期の長期化
・地域格差(南北問題)
・グローバル化(EU化、移民)

芸術文化政策2 試験問題

問1、文化政策における1980年代の文化的背景について延べよ
問2、文化会館におけるマネージメント確立に向けての留意点についてのべよ

こんなに簡単でいいのかな?ふっふっふ~~。
もうバッチリできました☆ルンルン~

第15章 文化政策の今後の方向

1、文化政策の背景にある2つの方向

●普遍化と個性化

明治維新以来、わが国はそれまでの制度・監修を捨て、欧米を範としながら、戦前は富国強兵と殖産産業を国是とし、戦後は高度経済成長の道を突き進んだ。この戦前の欧化主義と戦後の対米一辺倒の姿勢は、高度経済成長が終焉するまでわが国に見られる一般的な潮流であった。
各種の政策は、普遍的価値を持つと考えられた欧米文化の中に身を投じ、その一員になることであった。

他方、狭義の文化政策は、ほぼ一貫して「芸術文化」「生活文化」「国民娯楽」「文化財」「国語」「著作権」「宗教」を固有の対象領域としてきた。これは、わが国文化の固有性を想起し確認しようとする個性化の方向といえる。

●両方向の調和と均衛

普遍化の方向は、1970年代の2度にわたる石油ショックを契機とする高度経済成長と共に強く反省された。
日本は「不確実性の時代」となり、欧米文化も世界文化のひとつと捉えられた。

高度経済成長期には、人々は自分の周囲を見渡す余裕もなく、郊外と自然破壊が蔓延していった。安定成長の移行と共に、人々は心のゆとりを回復し、「環境の質」を問い、「生活の質の向上」を求めるようになった。1980年に入って提唱された「文化の時代」はこのような状況を言う。

地方公共団体は、環境破壊の過酷な洗礼を受け、現実的な対応を迫られた。文化的環境の実現は直接地方公共団体が担うべき課題であった。
文化的環境の要因は、極めて地域的な課題であり、地域に密着した政策展開が要請される。

わが国では、まだ欧米近代文明の普遍性を消し去ることはできない。
今後なお、調和と均衡を保ちながら推進されていく必要があろう。

2、文化政策の深化と拡大

●文化政策の中核領域

1)中核領域の一層の深化

文化の頂点の伸長と文化の裾野の広がりを軸にし、これに文化遺産の保存と活用、文化の国際交流、及び、これらすべてを通ずる文化基盤の整備に集約される。

2)「表現」に関わる施策の導入

個々人が、文化の享受者であると同時に創造者でもあるといった状況が生じ、両者を不分明にする傾向が強まっている。今後「創造」と「享受」の間に「表現」という範疇を導入した新たな施策の展開が必要である。

3)創造と享受を「媒介」する機能の強化

これは市民と芸術の相互関係を構築することを意味し、わが国文化発展の鍵となるものである。

4)生活文化への対応

アマチュアを中心とする表現活動の活性化は、生活全体の文化化を意味する。

●マルチメディアの普及に伴う芸術文化の変容への対応

芸術文化活動はこれを行う「主体」
享受する「客体」
両者をつなぐ「場」
これらを支える「支援者」
で成り立っている。

プロとアマチュアの区分も不明瞭にし、現在地域の参加活動に見られるのと同様の構造が、プロの芸術活動においても一般化していくであろう。
マルチメディアの発達は「異分野の融合」「新分野の創造」「新たな演出・展示の方法」などとともに、映像・音響技術の分野を変容し、発展させていく可能性がある。

3、総合文化政策の確立

1)教育・経済・民間団体との関係の強化

かつて教育はチャージであり、文化はディスチャージだと言われたが、
文化活動は、それまでの蓄積を示す一つの領域となる。教育と文化はっ相互に密接な関係にあり、今後さらに強い関連を持って推進される必要がある。

今日では「メセナ」の名のもとに経済界からの文化支援の気運が高まり、国(地方公共団体)・芸術文化団体・民間企業のパートナーシップが求められるところとなる。
さらに今後の文化振興において、民間の非営利団体やボランティアが重要な役割を果たすと予想される。

2)文化政策形成過程の洗練とマネージメント性への配慮

文化政策の形成においては、学識経験者・文化団体代表者などの意見が反映されるが、評価システムは極めて弱体である。民意が的確に反映できる磨きがかけられるとともに、評価システムを開発することが求められる。

●総合文化政策の確立にむけて

わが国の文化政策のあり方は、これまでのやり方を遺しつつ、勧められるべきであろう。国、地方公共団体と民間企業、民間財団、ボランティア団体が役割分担を明確にし、協力し合い、融合しつつ、全体としてわが国の文化の進展に資するような枠組みを構築することが大事である。

第11章 現代日本の若者(2)

1、パラサイト・シングルの誕生

●パラサイトシングルの誕生

学卒後も、親に基本的な生活を依存し、リッチに生活を楽しむ若者を、親への寄生とみなして名づけたものである。親の建てたマンションの一室を占拠し、家事・雑事はほとんど母親まかせ、収入のほとんどを小遣いとして自由に使える若者が出現した。

●パラサイトシングルが生み出される理由

<若者の「意図的」結婚行動規定要因>

A>B結婚を抑制  A<B結婚を促進
A:結婚生活に期待する生活水準
B:カップルが稼ぎ出せる所得水準の将来見通し
親同居が多い社会では、親との同別居や親の生活水準が影響する
性役割分業の下では「若年男性の仕事状況」がBに大きく影響する

<戦後日本の少子化要因の変換>
A:生活水準 B:将来見通し

1954~1974 A上昇=B上昇  結婚を促進
1975~1995 A上昇>B伸び変化 結婚を抑制
1996~現在 A不変化>B低下 結婚を抑制

2、経済社会の構造転換とパラサイトシングルの変質

●パラサイトシングルの変質
1)パラサイトシングルの高齢化
予定通り結婚出来なかった30代の親同居未婚者が増える
2)しかたなく同居
収入が低くて、家を出たくても出られない20代のパラサイトシングル

●1998年問題
自殺者がとうとう年間3万人を突破。これは「ニューエコノミー」と呼ばれる社会経済構造の大転換が日本にも起こり、社会が不安定化した現象だと考えられる。

<オールドエコノミー>(工業社会)
・大量生産、大量消費
・男性は企業に入ってスキルアップする
・終身雇用
・年功序列

<ニューエコノミー>(ポスト工業社会)
サービス産業・情報産業・文化産業
・グローバル化による競争激化・
国際感覚や貿易業務・語学力を持った人の需要が高まる
・専門家の需要、マニュアル化
「少数の正社員」とマニュアル通り動く非正社員

3、フリーターの増大

●夢見る使い捨て労働者としてのフリーター

1997年までは「やりたいことをみつける」「組織に縛られない自由な生き方をするため」という意味が強かった。
しかし現在は企業側が正社員を大量に削減したことによる。

80%が親と同居。未婚男性は結婚のためいづれ正社員になろうと夢を見る。女性はフリーターのままで相当の収入のある男性とめぐり合いたいと思う。

4、希望格差社会
●戦後家族モデルの黄昏

戦後の若者は将来の生活に希望を持つことが出来た。ほとんどの人が結婚し、夫は仕事、妻は家事を持って豊かな生活(住宅・家電・子どもの学歴によって象徴される)を築くことが期待されたからだ。

しかし21Cの若者は希望の持てる人と持てない人に分裂している。
まず、妻子を養って豊かな生活を出来るほど稼げない男性が増えている。また「家族を持ちたい」と強く願うほど家族を持ちにくくなるパラドックスを強調している。

●若者家族の空中分解

これからの若者は3つのタイプに分かれていく

1)経済的に余裕のある中で、子育てに取り組むカップル
専門職や企業中核社員、公務員同士のカップルで、共働きでリッチな生活をしながら保育園やベビーシッター、育児休業をうまく利用する「勝ち組」家族。
専業主婦とキャリア男性のカップルは減っている。その反対もしかり。

2)子どもを預けると生活が苦しくなるから、結婚や出産を先送りする層=パラサイトシングルもここに入る。しかし、先送りしたとて、希望の条件が揃うとは限らない。

3)経済的不安の中で子どもを育てなければならない層。できちゃった婚など。25歳以下で出産した6割の女性がこのタイプである。

今の若者の結婚形態は多様化したと言われているが、不本意な多様化である。

●若者の希望格差

希望・・・努力が報われると感じたとき
絶望・・・努力がむなしいとき
希望を失った若者は、あるときはひきこもり、享楽的行動・反社会的行動に走る。社会的対策を早急にする必要がある。


第14章 まちづくりと文化政策

1、まちづくりと都市景観
●生活スタイルの変化とまちづくり

1980年・・・「文化の時代」(環境の質・生活の質の回復を求めるようになったこと。個人が個性と多様化を追求し、自己実現を強く願うようになったこと)
1990年・・・実利よりも快適性やゆとりを求め、ものからこころへと価値観を転換し、遊びや感性を重視する

●文化施設と都市景観

まちづくりのハード面は、景観計画、アメニティ計画などとして現れる。

1)美術館・文化会館が、単一の施設として設置される。
建設自体が先行しているため、都心から離れた場所に設置されることが多い。都市景観の意識は薄い。
2)都心の再開発に伴い、文化施設を併設する場合
最初から都市計画の中に位置づけられ、都市景観形成を思考した施設として設計がなされている。
3)文化公演などとして一挙に文化施設群として同一地区に集中させるケース
その地区がエリアの一つとなることが志向されている。
4)遺跡などを中心とした博物館・資料館の設置の例
極めて属地性が強く、事柄の性質上、都市内ないしその周辺に点在している。
5)その発展形態として、特有の歴史や地域的特性を持つ一定の地域全体をミュージアムかしようとする場合
まち全体の博物館化(エコミュージアム)といえるが、この場合は、地区内全体に施設を配置し、固有の景観形成に意が用いられている。

文化施設は、特にそれが群としてまとめられ、また一定の広がりを有する場合には、そのシンボル性と、本来の機能であるソフト事業の展開とあいまって、景観形成上におかる意義は極めて大きなものとなっている。

2、地方公共団体の文化振興指針
●文化振興指針に見る地域文化政策

1)基本的に共通する事項
・目標:個性ある地域文化の創造、地域文化の世界に向けての発信
・方向:文化活動の振興、文化団体・人材の育成、文化施設の整備と文化活動の場の確保、文化遺産の継承・保存、文化の交流、文化情報システムの整備とネットワークの形成

2)近年取り込まれた事項
・文化的生活環境の形成・文化に配慮したまちづくり、美しい町並み・景観の形成、みどりとの共生
(現在では、文化施設の単発的な整備のみならず、歴史的環境の保存、自然環境の保全まで視野に入れたトータルな文化環境(アメニティ)の形成が地域文化の主要な内容に位置づけられている)
・文化的産業基盤の創出:文化産業の育成、観光・レクリエーションの連携、商工業・農林水産業との連携
(最初は伝統産業に目が向けられていたが、次第にデザイン産業などの先端領域が含められ、商工業、農林水産業全体が文化の名の下に総括され、さらに観光と文化との結びつきも強く意識されるに至っている)

3)福祉領域への拡大
4)学術文化の創造

3、文化を核としたまちづくりによる地域活性化の試み
●長浜市の「黒壁ガラススクエア」
高度経済成長期以降、大都市への若年層の流出、大手スーパーの郊外展開により、町の中心部の活力が低下。
1988年、「黒壁銀行」と呼ばれた旧第百三十銀行の建物を中心に株式会社黒壁を設立し、周囲の町並みを保存しながら現代感覚にあうガラス作品の展示・創作・販売を行う

<黒壁が成功した要因>
1)第三セクター方式と若手職員の採用
長浜市は資本金の3割を出資したが、経営は民間ベースに委ねた。
若手社員(特に女性の採用)を行い、そのセンスを活用。
2)古いもの(歴史的建造物)と新しいもの(ガラス)の組み合わせ
3)見る・作る・売るの3つのバランス

●ハードとソフトを調和させたまちづくり

まちづくりといえば、往々にして景観、建物などのハード面に目がむけられがちであるが、地域の活性化はハード面だけの整備だけでは達成できない。そこには多くの人が訪れ、賑わう「行動文化」表出のための仕掛けが必要である。

第13章 美術館(2)

1、社会教育政策・文化政策・学術政策と美術館
●社会教育政策による位置づけ

<博物館法>
博物館の定義、博物館の事業、学芸員制度、登録、公立博物館、私立博物館、博物館相当施設の指定について基本的事項を規定し、施設・設備・職員・学芸員数・資料数・展示方法・教育活動・開催日程などに一定の要件を定め、社会教育施設としての水準が保たれること期している。
博物館は、社会教育施設とはいえ、文化施設としての側面を持っており、特に美術館においてはその傾向が強い。

●文化施設における位置づけ

文化庁の付属機関であった国立の博物館・美術館は、当初から文化施設として位置づけられていた。
以上のように美術館は、一方で博物館として社会教育政策の一環とされつつ、他方では文化政策の対象にもなるという二重の網がかぶせられている。

●学術政策における位置づけ

研究施設としての博物館は、大学共同利用機関、大学付属博物館の形態により、学術政策の対象として設置されている。美術館としては、東京藝術大学美術館、京都工芸繊維大学工芸資料館があるが、博物館でも多くの美術資料を保有している。

2、美術館政策の性格・現状と管理・運営

美術館といえども、博物館法による最低限の用件を備え、その上で、美術館独自の機能を発揮することが最も適当である。

●美術館一般に関わる政策

1)「文化のまちづくり」の一環としての美術館の活性化
展覧会の充実、他の館との共同参画、文化財の保存活用などが主な対象とされている。

2)美術館学芸員の専門研修
美術館関係者から、美術館学芸員の専門養成機関の必要性が指摘されているが、例えば現在の資格は基礎資格とし、その上に、各分野ごとの研修コースなどを授けるのが当面現実的な方策であろう。

3)美術品などの流動性の促進
展覧会に出展される美術品などについては、保険をかけることが国際的な慣行となっている。欧米諸国では一定額を超える範囲においては国が補償する。わが国においても、このような国家補償制度を設けることが今後の課題である。

●設置者としての美術館政策

<文化庁が国立美術館を設置して運営する意味>

1)国家的観点からの美術館活動の展開
2)国際的観点からの美術館活動の展開
3)文化政策全体との関連
4)他の美術館に対する指導的な役割

<国立美術館に関わる具体的施策>

1)国立美術館の整備充実
2)新しい国立美術館の整備
3)文化情報に関する総合的なシステムの充実

●美術館の管理・運営
近年、公立美術館では、美術館を積極的に市民一般に公開しようとする動きが見られるようになって来た。
留意点としては
1)地域全体ないし地域経営の一環という「総合的視野を持つこと」
2)単なる行政の管理・運営の対象から脱し、経営体として機能するため、「経営的視点」を導入すること
3)自立的な機能を維持するため「事業展開についてのノウハウの蓄積」を図ること

第12章 美術館(1)

1博物館一般の性格

美術館は博物館の一種である。博物館は、現行制度のうえで、社会教育施設としての博物館、文化施設としての博物館、研究施設としての博物館に性格上区分される。

●社会教育施設としての博物館
地方公共団体の設置する「公立博物館」と、その他の法人の設置する「私立博物館」に区分し、いずれも都道府県教育委員会の登録を受けることを要件としている。

●文化施設としての博物館
国立博物館・美術館は2001年に独立行政法人に移行した

●研究施設としての博物館
大学の共同利用の機関

●「文教」政策の対策としての博物館制度
博物館は「教育・学術・文化」全ての面に関わっている。
博物館に教育=社会教育の面だけが強調される理由は見出し難い。
また、博物館に教育・学術・文化の3つの側面があるからといって、それを均等に備えなければならないと言うものでもない。

2、美術館の意義

美術館には、形式的意義の美術館と実質的意義の美術館がある。
形式的美術館は、美術館という冠をした施設を言う。例えば単に展示機能のみを持つ施設(ギャラリー)など。

実質的意義の美術館は、美術館としての実体を備えた施設を指す。
美術館については、「美術に関する資料」の「収集・保管」「展示・公開」「調査・研究」「教育・普及」の機能を有する。

●「美術に関する資料」の範囲
絵画
彫刻
工芸品
書跡
典籍
古文書
湯系の文化所産で歴史上または芸術上価値の高いもの
考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料

●求められる4つの機能とその相互関連

美術資料の「収集・保管」は、美術館が美術館として成立するための本質的な機能の一つである。
「展示・公開」もまた、美術館の本質的な機能のひとつである。
開かれた美術館の役割を果たしていくためにこの機能の充実が強く求められている。
「調査・研究」は美術資料を収集・保管し、展示・公開し、または教育・普及活動するに当たっての基礎となるものである。
「教育・普及」も美術館の基本的な機能の一つである。

●美術館の概念と性格

美術資料、すなわち絵画・彫刻・工芸品、書跡・典籍・古文書その他の有形の文化的所産で歴史上または芸術上価値の高いもの、ならびに考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料を収集・保管し、公衆の利用に供するための展示・公開するとともに、これらに関する調査・研究及び教育・普及を行う施設である。

したがって、美術館は原則として「文化政策」の対象としてこれを認識することが適当である。


第11章 文化会館(2)

1、文化会館の運営

●貸館性から創造性への転換

文化会館は、一方において、地域住民に対し中央の水準の高いプロフェッショナルによる舞台芸術を鑑賞する機会を提供すると共に、他方、市民による多彩な文化活動の利用に供することを目的とした。
文化会館はこの2つの目的を満たすための貸館としての性格異常に出るものではなかった。

しかし、鑑賞の場としてであれ、市民文化活動の場としてであれ、文化会館に求められたのはあらゆるジャンルに対応できる多目的性にあった。
一方、1980年ごろから、文化会館が全国的に設置されたこともあって、音楽や演劇といった特定のジャンルに特化した専門のホールが設置された。尼崎の青少年創造劇場「ピッコロシアター」はその先駆けである。

●創造プロセスにおける2つの視点

わが国の文化会館は「貸館性」「外部組織依存性」「外部施設依存性」の3つの特徴があるという。
すなわち事業・施設・組織ともに自主性が乏しいということである。

また、文化会館は市民(アマチュア)の文化活動に力を注いでいるが
プロの導入と定着がなければアマチュアは育たない。
一般市民の活動を締め出す場合はともかく、市民が利活用できるような施設が複数存在するような地域では、プロに特化した創造活動の場を授けることは地域住民にとっても財産である。

●地域舞台芸術の創造に向けて

第一段階  各種の舞台芸術に係るイベントの実施
第二段階  プロの誘致公演
第三段階  フランチャイズ制、またはレジデントの導入
(プロの公演団体や芸術家と契約を結び、日常的な稽古や定期演奏会の場を提供し、活動の拠点としてもらうことである)
第四段階  芸術監督制の導入
芸術監督には一定の人気を就任してもらい、館の運営、特に芸術部門の運営に関しては人気チュ全権をゆだねる。

2、文化会館をめぐる課題と経営的視点の必要性

地域舞台芸術の創造という大きな目標を達成するために、どのような方法があるかを模索し、多様な手段を駆使して館の運営に当たることが必要だ。
文化会館は「ハコはりっぱだが、中身は陳腐だ」といわれてきた。
住民の側からもどうせ作るなら立派なものをという要求もあった。
しかし、近年はこの反省から専門ホールの設置が次第に見られるようになってきた。

会館運営のための費用は地域舞台芸術の定着と発展を念頭に置き、行政サイドでは、可能な限り必要な措置を講ずべきである。

館を運営する人は地方公共団体の出向によるものなので、
2~3年ごとに異動し、専門家としての素養に欠けたものが館の運営に関与することになるため、全体としてソフト面が弱くなるという指摘もある。文化会館が、地域の舞台芸術を担う施設であることを考えれば、それなりの固有の人材を確保していくべきであろう。

●経営的視点の必要性

文化会館が1つの経営体として認識されることが必要である。
文化空き缶を経営体として捉え、人的、財務的な面全てを行政におぶさることなく、ボランティアの組織化やメセナの誘導によって多面的な運営を図ることは、文化会館の自立性の確保につながっていくものであり、今後、このような視座の転機を図っていくことが望まれる。


第10章 文化会館 (1)

1、文化会館の性格と概念
●文化会館の性格の変遷

文化化機関の前身は、公会堂にあるといわれる。大阪市中央公会堂にはじまる初期の公会堂は、集会や講演会などを目的とする講堂的存在であった。その後、日比谷公会堂、名古屋公会堂など文化的な催しを念頭に置いたものが出現し、やがて音楽会、舞踏などに多く利用されるようになった。

文化会館の建設は、1969年代に入ってから次第に盛んとなっていった。大都市と地域との文化格差が大きく、地域に文化施設がほとんどなかった時代に求められたのは、芸術文化の鑑賞の機会であり、あらゆる文化活動に対応できる舞台施設であった。その意味で、文化会館が多目的ホールとして建設されていったことに充分な理由がある。

1970年代になると、この文化ホールも「どの種目においても完全な公演が出来ない」という欠点が指摘し始められた。

1980年代ごろから、尼崎のピッコロシアター、宮崎のバッハホールなど、多目的性を脱し、演劇、音楽専用ないしこれらを明確に分類したホールの設置が行われた。
「優れた機能を有するジャンル別ホール」

●文化会館の特質・範囲と概念

1)地方公共団体によって設置された公共の施設であること
2)音楽堂・劇場・展示場などの機能を備えた施設であること
3)地域住民に対し、音楽、演劇、美術などの鑑賞の機会を提供するものであること
4)地域住民に対し、文化活動の発表の場を提供するもの

2、公民館と文化会館ー社会教育行政と文化行政
●公民館と社会教育行政

公民館は、戦後、わが国独自の社会教育施設として提唱され、整備が行われてきた。地域住民の学習活動の拠点として重要な役割を果たしている。

公民館は、住民の文化活動すなわち芸術文化の面を直接の対象としているとはいえない。そして、公民館を中核施設として位置づける社会教育においては、芸術文化は二次的な存在であったと言わざるを得ない。その意味で公民館は文化会館の範疇から除く事が適当である。

●文化会館と文化行政

相当数の市町村では、社会教育担当部局で併せて文化行政を担っているのが現状である。その意味で、特に市町村では、文化行政が社会教育行政から完全に独立しているとは言いがたい。

しかし最近は社会教育行政組織の一環にあっても、文化行政としての独自の領域が形をととのえるようになった。

文化会館の設置がおおむね全国的にいきわたったことに加え、自治省の支援する地域総合整備事業による文化活動建設のほうが、地方公共団体にとっても有利なことから、文化庁の補助金に対する需要が減少し、そのため総務庁から見直しの勧告を受けた。

文化会館は、舞台芸術それ自体を志向する一方、場合によってはプロフェッショナルに傾斜した方向に特化するか、それとも、あくまで地域住民の生活とのかかわりの中でコミュニティの核として機能するかと言う問題である。

第9章 文化施設の設置・運営ー設置者行政ー

1、文化施設の概況

国立の劇場としては、国立劇場と新国立劇場が設置されている。
また、国立組踊劇場(仮称)の設置準備が進められている。
厚生年金会館や郵便貯金会館も存在している。

公立文化会館は、建物の設置が先行するあまり、その多目的性や事業内容に関し、これまでさまざまな評価がなされ、批判もされてきた。しかし今日、文化会館は、まちづくりの中核的な施設として、地域舞台芸術の創造・発信の拠点に位置づけられようとしている。

●美術館・博物館(2001年、独立行政法人に移行)

文化庁の管轄する国立美術館・博物館は下記の7つがある。
東京・京都・奈良の国立博物館
東京・京都の国立近代美術館
国立西洋美術館(東京)
国立国際美術館(大阪)

<補足>

国立大学の付属美術館・博物館
文化財研究所(文化財や美術作品の研究)

2、地域文化施設の今後のあり方

●文化施設の地域における意義

地域文化政策は、まちづくりを視野に入れた幅広いものとして展開しつつある。近年人々は、生活の質の向上のため、文化と生活空間の緊密化、文化性の高い生活空間のデザインを志向するようになった。

文化会館・美術館・博物館などの文化施設は、景観形成、アメニティ創生の重要な要素として、都市計画の中に積極的に位置づけられるようになった。

●アートマネージメント確立にむけて

<留意点>
・地域全体の中での位置づけ
文化施設は、地域全体ないし地域経営の一環という総合的な視座を持つことが必要である
・経営的視点の導入
・事業展開についてのノウハウの蓄積
今後文化施設は一層市民に開かれたものとなることが求められる。独自のノウハウを確立し、外部関係者との利害調整を行いつつ、主体的、自立的な機能を維持することが必要である。

これまでの文化施設は行政によって措置された予算・ないし人員以上に、その運営の範囲を拡大しようとはしなかった。館の利活用に関する住民の要求に対し、メリハリをつけることもあまりなく、館が独自にプロデュースして創作活動を行うことも一部の例外を除いてなかった。
特に美術館の企画展に関しては、一般のニーズから逃避した企画を立てる例が少なからず見受けられた。

今後、文化施設には、広義・狭義にかかわらず、アートマネージメント能力の向上が望まれる。それには、それぞれの立地条件を考慮しつつ、独自のマネージメントのあり方を確立していく必要がある。




第8章 文化政策の構造(3)-文化法制と文化予算ー

1文化法制

●文化法制の全体像
一般的には、文化に関する法制は教育基本法に求められる。
文化ないし文化政策をそれ自体として直接に規定しているのは行政組織法である文部科学省設置法である。

・文化に関わる個別法制
「文化財保護法」
これを社会的に保存し、活用を図ることによって社会的価値を発生させるような方向付けを行う
「著作権法」
その利用者から生ずる利益を創造者に帰せしめ、それによって創造活動を活発化させ、いづれも文化の発展に導こうとするもの

・懸賞に関する法令
文化勲章令・文化功労者年金法・日本芸術院令

・文化の振興に関する法令
日本芸術文化振興会法

●地方公共団体にかかわる法制と文化振興条例

<地方自治法>
従来教育委員会は、芸術文化と文化財保護について、包括するのを常としていたが、1980年代以降、首都部局において、いわゆる自治体文化行政が直接推進されることになった。
現在では、首都部局で文化振興一般を所轄し、教育委員会では芸術文化の一部と文化財保護を扱うのが多くの例となっている。

<文化振興条例>
地方公共団体は、その所轄事務において条例を定めることが出来、便か施設の設置運営や文化振興のための基金を設ける場合、条例によることが義務付けられている。

●「文化圏」と「文化基本法」に関わる課題
文化を教授する権利(文化権)については、今日、自由権と社会権の両面から説かれるようになった。
自由権の観点からは、幸福追求の権利が基底に置かれる。
社会権の観点からは、憲法上で明確な規定を欠いている。

2、文化予算

1990年から右アガリになり1997年には二倍になった。
文化庁の文化政策は文化財の保護に多く比重がかけられている。
文化財保護の中では、史跡の保存・活用が大きな割合を占めている。

●地方公共団体の文化関係経費

次第に減少傾向が見られるようになってきた。これは施設経費の減少が主な原因といえる。

第10章 現代日本の若者(1)

発達論では、仕事を持ち自らの経済的基盤を確立すること、もう一つは結婚して家庭を持つことだと考えられている。つまり従来は、仕事を持ち家庭を持って「一人前」という考えに立っていた。

ところが1080年以降、先進諸国の多くで結婚しない・結婚できない若者が増えてきた。こうした未婚化・晩婚化が少子化を促している大きな要因のひとつだといわれている。ここでは「結婚しない若者」について考えてみよう。

1、ライフコースの変化

●女性のライフコースの変化
70年代半ばまで女性は結婚・もしくは出産を機に仕事を辞めることが当然と考えられてきた。
しかし高度経済成長後、学校を終えた女性たちが大量に採用されるようになり、かつ、その女性たちが結婚時期にさしかかった70年代後半から徐々に変化の兆しが生じ始めた。しかし、社会進出を果たしたものの
結婚後も働き続けるには制度的にも心理的にも90年代半ばまで抵抗が強かったのである。

●ライフコース・パターンとジェンダー
日本においても70年代半ばまで結婚もしくは出産後家事に従事することが理想とされてきた。しかし、70年代後半から子どもが大きくなったら再び仕事を持つという「再就職型」が支持し始め、他方、結婚後も仕事をもち続けるという「両立型」も徐々に増え始め、その傾向は90年代後半から顕著になっている。

しかし、女性自身が考える「両立」は現実には専業主婦を理想とする人も両立を理想とする人も結婚したら「再就職かな」と考えている。
これは仕事をしながら子育てをすることは現実的に困難であること・仕事を完全に辞めることが困難であることを意味している。

前者は夫や地域・職場や保育施設の整備などへの不安、後者は仕事を辞めて専業主婦になることへの社会的立場への不安である。

ここで問題になるのが男性とのミスマッチである。仕事も家庭もと願う女に対して男の意識の相違がある。

2、未婚化社会の進展

●未婚化の社会的背景
産業構造の変化が80年代に未婚女性の労働市場を拡大し、また当時高学歴化しつつあった女性のニーズともマッチして休息に女性の社会進出が進んだ。こうした女性たちが80年代以降の大量の20代・30代未婚層を形成することになった。

●恋愛結婚主義
結婚は恋愛と連動する事柄とみなされるようになり、「ある程度の年齢までに結婚するつもり」が減り「理想的な相手が見つかるまで結婚しなくてよい」が過半数を占めるようになった。年齢にこだわらず理想の相手を求める傾向が強まっている。

●未婚者の親元同居
1990年代以降顕著になったことは、若い成人の早期独立を促す文化的規範の弱さに加えて、同居の子どもに親が様々なサービスを提供し、子どもを支援し続けていることであり、このことも居心地のいい親元をなかなか離れたがらない理由になっている「パラサイトシングル」

親が子どもへの援助をいつまで行うかについては「学生の間」と考えるものが一番多い。だが教育機関の長期化で20歳を超えても学生であることが多くなってきた現代、「おとな」の概念も変わらざるを得ない。
また、わずかだが「結婚まで」という回答もあり、未婚の子に対して親が援助し続けていることがわかる。「仲良し母娘現象」もこうした寛容な親と未婚期が長期化している娘の、親依存のひとつの形である。

3、若者の結婚観
●結婚しない理由・出来ない理由
「交際している相手が居ない」が最も多い。つまり「理想の相手」が現実にはなかなかいないことがわかる。
結婚出来ない理由は第一位が「自由や気楽さを失いたくない」だが、1997年以降は「必要性を感じない」が同じぐらいの割合で増えている。

4、未婚化現象への視覚
親元同居未婚者の一部には「親の家を出たくても出れない」人もいる。
それは不況で安定した職業に就けないことが要因である。

いまや「離家」や「結婚」という人生の節目の決定が、若者自身の「自己決定」の問題とされるようになってきた。

第9章 現代社会における若者(2)

1、「戦後型青年期」の解体と「成人期への移行」過程の流動化・多様化

<1990年代の社会的変化>

・階層格差の顕在化
雇用の流動と所得の停滞が理由となり、正社員でない働き方をする若者が増えた
・中流神話の崩壊
実際、所得格差が顕著になっている
・教育競争の弛緩と崩壊
一流高校→一流大学→一流企業という流れに乗れないものがいるという実体は過去のもので、いまや意として乗らない若者が増えている

2、欧米先進国の若者に生じた変化とその背景

・教育費と教育効果のアンバランス
・失業率の上昇
・チャンスが来るまで待機する姿勢の増大
・特定の就職コースに乗ることの延期
・働くことに対する意識・行動の変化
・結婚の先延ばし

3、「成人期への移行」パターンの多様化

非連続性(19C、20C初期)

連続性(20C中期)
学校を出る→就職する→就職する→結婚する→子を持つ・・などが一本化している(工業化の時代)

非連続性(20C末期)ポスト工業化

●ライフコースの多様化・個人化は選択か?それとも構造的制か?
これは主体的に職業を選んでいるかどうかで決まる。

4、長期化する「親への依存期」のパラドックス

●長期化する依存期の光と影
・ミドルクラスの減少(中流階層)
・ワーキングクラスの現象(労働者階級の階層)
どちらの現象にフォーカスするかで決まる。

親の経済的援助の影響力が大
これにより
・ゆっくりした成人期への移行
・性急な成人期への移行(義務教育すら満足に出来ない子どもが社会に飛び出す)

●長期化する移行期を保証するのは誰?
国家?
雇用?
家族(親)?
このバランスはイギリスでもバランスが壊れ、ジレンマに陥っている。



<1980年代に生じた主な現象>

1)

第8章 現代社会における若者(1)

1、青年期の形成:モラトリアム期の出現
■日本での戦後型青年期を生み出した3つの社会的背景

・他国に例を見ない教育水準のめざましい上昇があり、大衆的規模で拡大したこと
・新規学卒採用が一般化し、学校から雇用へのスムーズな移行が確立したこと。その背景として若年者の完全雇用市場があったこと。
・明確な性別分業体制が確立したこと。その背景に専業主婦の保護政策があったこと

2、大衆教育社会の形成と「成人期への移行」パターンの変化

■戦後復興期(戦後~1954年)=抑圧された競争期
青年期のモラトリアムを許されたのは、恵まれた社会階層に属する若者に限られていた。

■高度経済成長期(1955年~1973年オイルショックまで)=開かれた競争期
学校教育の社会的使命は確立しており、地域社会における学校の地位は確保されてた。男女差も徐々に解消し、1969年には女子の高校進学率が男子のそれを上回る。1975年には、高校進学率は9割を超え、それ以後は大きな変化は見られない。

■移行期(1974年~1989年)=閉じられた競争期
大学・短大進学率は過去最高を記録し、3人に1人が進学する時代に入った。子どもにかける費用を減らすよりも子どもの数を減らして教育負担に対処するという戦略がとられた結果、1990年代に入ると著しい出生率低下が進行したのである。

■構造転換期(1990年~現在)=競争の弛緩と崩壊期
完全雇用の崩壊・終身雇用制の廃止、新卒卒業者の就職難が深刻化、特に高卒就職が悪化したことは、これまで学校教育が持っていた信頼性を急速に弱めることになった。勉学からドロップアウトする者が増加した。

一方では教育制度の再編成と高度化は進み、その波に乗れる者と乗れない者が出現する。塾通い。

3、若年労働市場の展開と「成人期への移行」パターン化

■戦後復興期
1951年中卒者の2割強が直ちに農業に従事した。また、進学者でも就職者でもない「無業者」が男子で13%、女子で16%

■高度経済成長期
人口大移動が起こる。中学・高校の新規学卒者が地方から大都市にへと集中した。この時期の若者の移動の特徴を見ると、男子が女子を上回る。
1)娘は結婚までは親元においておくという親の意向
2)繊維女工のように中卒後数年で退職して親元に戻ることが女子のライフコースだったこと 
3)都市側で地方出身の女子若年者を20歳代の半ばまで雇用しようとする需要が弱かったこと

4、「戦後青年期モデル」の確立
1960年代から70年代初頭に渡る重化学工業中心の高度経済成長に独特の枠組みを持って出現した青年期を「戦後型青年期モデル」と呼ぶ。

最終学校卒業=就職と言うイベントを境に峻別するパターンが基本的に確立した。
求人が充分ある若手労働市場が存在した。

このような戦後型青年期は男女に等しく機能したわけではない。明確な性別分業体制と専業主婦保護政策が、戦後型青年期のもうひとつの面であった。終身雇用制という企業慣行は、成人男子の長期雇用を前提としたもので、女性労働力はあくまで補助的役割を担わされたにすぎなかった。したがって、稼ぎ手としての男、家事・育児担当者としての女という性的分業に基づく近代家族は日本の雇用制度によって出現したものである。



第7章 文化政策の構造(2)

関連領域の拡大と「自治体文化行政」

1、関連領域の拡大と文化庁の機能

1)国際文化交流
「顔の見える日本」の基礎となり、外交政策の基礎を成すもの。これまで国際文化交流は、文化政策、外交政策それぞれの立場から実施されてきたが、今後は両政策が緊密な連携を保ちながら推進される必要がある。

2)生涯学習と文化
生涯学習政策は、生涯にわたって自主的に学習し、文化の創造に参加できるせいびをはかることにあり、文化の振興はそのような生涯学習の目的と大きく重なっている。

3)町づくりと文化
近年は文化性の高い空間のデザインにも目が向けられ、アメニティの形成を目指すものとして定着し始めた。

4)産業経済と文化
デザイン産業、ファッション産業、余暇関連産業、映像情報産業等の文化政策が相互に交錯し、協力すべき接面となりつつある。

5)情報化社会と文化
今の高度情報化社会において、最大の機能を発揮するのがマルチメディア技術である。一方マルチメディアの発展は、著作権の問題と共に、芸術文化全体にわたり、大きな影響を与える可能性が出てきた。すでに新たな芸術分野として、コンピューター・アートも生まれている。

6)観光と文化
観光に対する認識も高度化し、その他の文化・芸術・生活に触れることが求められる

7)社会福祉と文化
衣食住の基本的なニーズに加え、文化的欲求の充足が避けて通れない重要な課題として浮上しつつある。

●文化省設置問題と文化庁政策庁への位置づけ
国の文化政策が、文化庁を中心としつつ、実質的には他省庁もこれを担っていることから、文化省設置の問題が浮上してくる。
その後の社会状況の変化により文化政策も実質的な広がりを示すようになった以上、文化庁を省に格上げし、強力な文化政策の推進機関を設置すべきではないかと言うことである。

しかし、文化省の設置は、行政改革において文部科学省の外局とする結論が出たい上実現は困難である。

2、地方公共団体の文化政策
地方公共団体の文化政策は「地方の時代」の名の下に1970年代以降大きな飛躍と遂げた。これらの背景として1960年代の高度経済成長に伴う負の効果に対して強い反省が生じ、人々の価値観がものからこころへと転換して行ったこと、企業・情報・文化の東京一極集中に対し、地方自治への強い危機感が生じ、地域の主体性・自立性を確保するために文化行政の重要性が認識されたことなどが挙げられる。

文化行政は「地域の活性化や年の経営戦略と密接に関わる様に」なり、
「地域や都市の経済活性化と直結した路線として最高潮のうねりをみせた」のがバブル経済最盛期である。

●自治体文化政策基本モデル(互いに関連しあう)

市民文化   都市文化  行政文化

表現(パフォーマンス) 交流    蓄積(ストック)

ヒューマンウエア  ソフトウエア  ハードウエア

これが自治体文化行政の閉塞状態からの脱却モデルである

●地方公共団体の文化政策の方向性
1)ものからこころへと価値観の面で大きく変化している
2)歴史を通じて変わらないもの(不易)と時代と共に変化するもの(流行)の調和と、それによる新たな生活文化の形成が求められている
3)国際化により、日本のアイデンティティ確立の必要性がある

このような中で「生活文化」の充実が求められるようになった。生活文化は突き詰めれば生涯学習活動と文化活動に整理される。
昨今はアメニティの形成も重要視されている。

これまでの首長主導の自治体文化行政は生活文化に傾斜し、芸術文化への視点がなおざりになってきたことは否めない。芸術文化と生活文化は相補の関係にあり、地方公共団体の文化政策において、総合的な目配りをする必要があると考えられる。

第15章 新しい芸術文化政策を求めて

1、現代の芸術文化

■国や公共団体の芸術文化に対する支援

想像する側←行政指導→享受する側
     ←経済的援助→

2、フランスの文化政策

■フランスの文化政策の基本方針
1、文化の民主化
2、文化遺産の保護
3、芸術創造活動の奨励

フランスはヨーロッパ諸国の中でもいち早く、防衛や教育とひとしく文化を全国の製作の対象としている。作家アンドレ・マルローを文化担当国務大臣に任命し、文化省を設置した。

<マルローの言葉>
自由のない創造はない
国は芸術を指導できないが、芸術に奉仕することは出来る


■フランスの文化への公的資金援助内訳
文化省19.1%
国50.1%
地方公共団体49.9%
しかし、公的にいくらお金を導入しても優れた芸術家が出ない。
芸術文化がその対象が社会であることから、民間の支援が欠かせない。

■芸術文化に対する支援
・公的資金(基盤の整備・芸術文化遺産の保護)
・民間資金(芸術創作活動・芸術鑑賞活動)
このように役割を決めて設定する必要がある。

3、芸術文化遺産の保護政策
国際協力と芸術文化の枠を超えて自然環境の保護へと結びつけることの二点が大事である。

4、アーツ・マネージメントの必要性

芸術文化の奨励策・支援策を行ううえで考慮しなければならないこと
「19C以来の近代資本主義社会において、作品が商品としての性格を帯びてきたこと」である。

映画会社では監督や俳優のような芸術家は雇用人、あるいは資本労働者となり、営利目的の経営者から指示される立場に鳴ると芸術家の自主性は損なわれる。このような社会状況の中で、作品の商品化を好ましく思わず、創造を貫きたいとする芸術家がいてもおかしくはない。ただ芸術は作品を創造しただけではまだ芸術作品と呼べず、観衆・聴衆によって享受されてはじめて作品は芸術作品になる。

上のような事由から芸術家や芸術家集団を作品を介して鑑賞者と結びつけ、単なる作品を芸術作品にする活動をする「アーツ・マネージメント」の必要性が叫ばれるようになった。また、アーツ・マネージメントは広く商品にならない作品を鑑賞者に送り届けて芸術作品とする役割も有する。

したがって、アーツ・マネージメントは営利を目的とするのではなく、芸術家と鑑賞者への奉仕活動である。どのような理由からこのような活動を行うかといえば、芸術文化によってしか得られない感動・悦び・楽しみを出来るだけ多くの人と共有したいからである。

第14章 芸術文化政策の現代的課題

1、日本の芸術文化政策の範囲

十阿野に日本の芸術文化政策には、世界における自分の役割の認識が不足している。そこで、日本の芸術文化政策の現代的課題を考えるために「多様性」と「国際性」の2つのキーワードについて考える。

■多様性の例(スウェーデンのニッケルハルパ)

index_r2_c3.jpgこの楽器は1960年ごろにはなくなってしまうはずであったが、ヤン・リング教授が広めたおかげで今も弾く人がいる。
(インタビューより)
この楽器を広め、伝承することは自分のルーツ探しである。昔は音大でニッケルヘルパを教えるというと、新聞に「冗談だ」と書かれた。そんな状態だったが今は専属の教授がいる。生徒はとてもうまい。いい文化が育った。

伝統は生まれた国だけで伝承されるのではない。世界の中で伝承されていくことこそ「文化」と言える。

■国際性

・国際伝統音楽学会会長 クリスティ・アルム(談)
国際的に文化を考えることは権利・言語・音楽を保護することだと考えている

・新国立劇場館長 海老沢敏(談)
自分は西洋音楽を日本に紹介し、研究している。国立劇場では芸術監督が総監督ではなく、オペラ監督・演劇監督・音楽監督と3つのジャンルに分かれた監督が存在し、演目は各監督が決める。
資本は国の補助によるが、参加企業の支援を期待している。

2、音楽からの問題の再認識

■上からの文化政策
役人の考え通りにコントロールする

■下からの文化政策
個人が責任を持って考えて実行することが大切。
例えば学校の音楽室に邦楽の作曲家ではなく、バッハやベートーベンなどの肖像画があることを不思議に思うような啓発など

第13章 音楽博物館の思想と実際

1、音楽博物館の思想

博物館とは社会とその発展に貢献し、研究・教育・楽しみの目的で人間とその環境に関する物質資料を取得、保存、研究、伝達、展示する公共の非営利常設機関である。

音楽学者田辺尚雄「音楽博物館計画と東亜音楽文化展覧会」

田辺は準備事業として1939年、10日間上野の東京科学博物館の一部を使って「東洋音楽文化展覧会」を開催した。
楽器の展示だけだはなく、中国の琴の演奏やレコードによるアジア音楽の紹介もあった。

<7つの品目>
1)日本及び世界各国の楽器
2)核楽器の製造工程及び機械装置の分析的説明装置など
3)各国の音楽書
4)各国音楽の楽譜
5)各国音楽の蓄音機レコード
6)蓄音機及びレコード製作工程説明装置
7)その他凡ゆる音楽参考品

田辺の着想は現在、さまざまな博物館で部分的には実行されている。
しかし、底に行けば日本の楽器とその音楽が系統的に調べられ、楽譜も閲覧でき、楽器の作り方もわかるという死説は残念ながらまだない。

2、浜松市楽器博物館とスウェーデン音楽博物館

●浜松市楽器博物館

浜松市楽器博物館では、館内での演奏や講演のほかに、楽器を持ち出して学校訪問を行っている。

博物館で専門的な仕事をするには、博物館学芸員資格を取得することが必要であるが、そのために必要な「博物館実習」の単位を大学で得るために実習生の受け入れをしている。

●スウェーデンの音楽博物館

<展示の仕方の視点>
1)過去の遺産を保存するために収集を行い、それらの計測図を作成する。これは複製を作って人々に利用してもらうためである。
2)複製楽器を普及させること。そこ楽器と結びついた音楽の演奏に使わせるためだけではない。むしろ、古い楽器で新しい音楽を創作することに重点を置いている
3)復元に欠かせない楽器製作の工房を展示している。
4)楽器の構造を理解させるために、特別な配慮がある。例えばPog
の構造を理解させるために触れる異なる大きさのパイプが置いてあるなど。
5)博物館内に演奏会用のホールを持っていること。

3、音楽博物館の機能

第一の機能  保存。物質的資料を集めると同時に、その背景にある人間の音楽活動を知るための手がかりとして位置づけることが必要である。
第二の機能  研究。現在の人間はどんな音楽活動をしているのか。また過去においてどのような活動をし、その結果どのような音楽を後生に残したか。
第三の機能  教育。音楽を聴き、楽器に触れ、音楽とは何かという疑問を持つことにすること。

<特記>
扱うべき音楽の問題として、少数民族の音楽活動を忘れてはいけない。

第12章 美術館の思想と実際

1、美術館と美術展

美術館は美術展を行う場所のような印象を受けるが、美術館は美術展を開催するだけの役割ではない。今美術館と美術展を切り離して、それぞれの歴史について簡単に振り返る。

■美術展覧会(美術展)

<美術団体展の始まり)・・・貴族の趣味で始まる
・サロン展 ルイ14世の頃のサロン展覧会
・アンデパンダン展 アンチアカデミックスやサロン展に落選したものの展覧会
<グループ展の始まり>・・・気の合ったもの同士の集まり
・印象派美術展 1874~86(第一回展覧会)
<個展の始まり>・・・個人の展覧会
・クールペ 1855
・モネ 1867
<国際的な美術展>
・ヴェネツィア・ビエンナーレ
・ミラノ・トリエンナーレ

■美術館

ルーヴル美術館 1793年
ベルリン国立美術館 1830年
ヴイーン美術史美術館 1891年
プラド美術館 1819年
エルミタージュ美術館 1764年

美術館の設立は比較的新しくても、それに渡る2~3世紀の収集の時代があり、したがって美術館に展示されている美術品は過去の作品・美術遺産であって、新作は展示されていない

2、博物館としての美術館

博物館は収集されたものが美術品に限らずあらゆる人工物・自然物(生物も含まれる)に渡るため、博物館の方が概念の外延は大きい。この点からすれば美術館は正確には「美術博物館」と呼ぶべきであろう。

■博物館

国際博物館協議会の定義には「博物館は社会とその発展に奉仕する非営利の恒久的機関であり、公衆に開かれていて、研究と教育と楽しみのために、人々とその環境についての資料を取得し、保存し、調査し、伝達し、展示する機関である」とかかれてある。

そのなかで最も大事なのは「保存」である。
国宝・重要美術品などの美術遺産は日本という国のアイデンティティであり、これを保護し保存することは国の責務である。そればかりか、未来の文化は過去の文化を基に建設できるのであるから、国は未来の世代のためにこれらを守り伝える義務がある。

3、教育機関としての公立博物館

昭和25年 「古社寺保存法」に代わって「文化財保護法」が設定される
平成13年 国立博物館は文化庁の管轄となり独立行政法人に移行される

他方では、教育基本法により文部省は昭和24年「社会教育法」を制定し
そこに社会教育の施設として公民館、図書館、博物館、青年の家をあげた。このうち図書館と博物館においては図書館法・博物館法を制定。

しかし、地方公共団体ではベビーブームと6・3制の義務教育が相まって手が回らず、それらがようやく落ち着き、高度経済成長の波に乗って
美術館は建物自体が美術品ではならないという主旨から豪華で立派な美術館が多数建てられた。

4、公立美術館の現状と問題点

・建物が公立とは思えないほど豪華なものが多い
・肝心のコレクションは建物に反比例して貧弱である

■特色のある美術館

・郷土作家の寄贈によって設立された美術館
・名画がある美術館(全国的に有名になり観光コースになっているが、
高価な購入代金が公金で支払われているから、公立の美術館としては問題がないとは言えない。

■近年、地方財政の悪化につれて作品収集費や運営費の削減が行われている。

第11章 地域社会の芸術文化政策

1.地方の芸術文化の活性化と宮崎県の事例

伝統音楽が現代社会へ以降するのを地方はどのように助けるか。
これは以下の五項目に要約される

1、伝統音楽を生の演奏で行うための新しい脈略の創出
2、地域の伝統を録音・録画するための援助
3、地域の音楽番組を制作するための放送の確保
4、小国の間での国を超えた直接的なネットワークの強化
5、教育用の材料を作成するための安価なマス・メディア技術の使用

■宮崎県椎葉村の場合

1983年 「宮崎県総合文化公園建設構想」を発表
1993年 残響時間の異なる三つのホールを建設(Pogを持つコンサートホール・演劇ホール・イベントホール)全てのホールに10の練習室が儲けられ、オーケストラの入れる練習室から外部に音の漏れないROCK用もある)

・演奏会では宮崎県内の小・中学校から生徒が抽選で選ばれ招待される。子ども達が参加する過程を放送番組として作られることもある。これは(3)に値する
・宮崎には多彩な芸能があるので、毎年多彩な芸能が紹介されているが、招かれた人や付き添いの人は練習過程を通じて相互に知ることになる。これは(1)に値する

1997年 椎葉民族博物館設立(実物の展示だけでなく、録音資材や音響資料もある。これは(2)に値する

■博物館館長のインタビューより

踊りを舞う「舞子」の子どもの後継者がいない。最年少でも26歳なので
子どもにもっと知ってもらいたい。海外に遠征する意欲もある。
ひえつきの里なので実際にひえを作って栽培し、出荷している。
そうでないとただのひえつきだけが孤立してしまう。
そもそも椎葉村の神楽はひえつき栽培の終結を表す行事だから、そういうことを実際にやらずに神楽をしても意味がない。

<特長>
・人的交流(学会で他国の人が来る)
・高齢者の参加(高齢者は物知りなので高齢者がいないとはじまらない)
・焼畑を子どもも利用している

今までは特色を打ち出すことばかりに注目していた。例えば○○の駅など。そういうハードルを自ら作って人を集めようとするが、地域の文化を使えば十分発信できる。
地域の人も孤立するのではなく、発信して行く事が大切。すると大きな文化が小さな文化を抑圧することはありえない。



第10章 少数民族に関する芸術文化政策

1、なぜ少数民族を扱うか

・少数民族の音楽をきちんと文献に残すことは後生の研究に役立つ
・少数民族だからこそ、残す必要がある。なくなる可能性が高い
日本音楽を考える場合、今はもうハワイやアジアの周辺の国々で日本音楽がどう扱われているかを考えなくてはならない。伝統音楽はもはやその位置にいる。

2、「アジア伝統文化の交流」企画から「ヴェトナム少数民族映像記録」へ

ワークショップ受講生の作成テープの傾向
・カラオケテープの映像に似ている
・絵と音があっていない
・演奏と風景をごちゃ混ぜにしてしまう

以上のことから文献として残せるような映像を作る必要性がある。

■アメリカでカンボジアの伝統舞踊を教える人のインタビュー

・なぜヴェトナムの舞踊をしようと思ったか

国を離れるのが怖かったからです。大学時代は海外にも舞踊をしに来ましたが他にメンバーもいたけれど、今回は一人だからです。
そのとき自分に唯一あると思えたものがカンボジア舞踊でした。
私が得意とするもので、誇りに思えるものだったから、それを伝える事で社会に貢献したかったからです。

・現状について

アジアコミュニティの支援はあります。アメリカでのカンボジア人の雇用促進や医療サービスもあり、舞踊のレッスンは無料で受けられます。
楽器や衣装を手に入れるのは難しいです。
カンボジアでは舞踊のレッスンはプロの舞踊家を育成するためにありますが、ここアメリカではカンボジアの文化を知り、理解することが目的なのでレッスンの厳しさが違います。ですがそれでも私は例えば手の向きなど細かいところまで注意するように教えています。
文化があるからこそ孤立しないと思っています。

第9章 国を超える芸術文化とその政策

1、芸術と越境

芸術文化が他の芸術文化に接するためには、芸術文化自体の移動が必要である。その移動には大きく分けて2つの形がある。

1、芸術文化、例えば音楽が人間の移動を伴わずに移動する場合。日本への西洋音楽の移動は、楽譜を中心に導入されたもので、人間の移動を伴わないほうに分類される。

2、芸術文化が人間の移動を伴って移動した場合。移民など

2、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の実験

国を超えて芸術文化がが移動し、なおかつ人間の移動を伴って起こった例を一番良く持つのはアメリカである。アメリカは移民の国である。
「民族音楽学」という名称が1950年代に提唱され、定着したのが1960年代である。

特徴①アジアやアフリカなどの音楽様式の伝承者を大学に招いて、実技指導を開始した。
②アメリカの学生を、アジアやアフリカに長期的に滞在させ専門教育者を育成したこと。
③当該地域の音・映像・楽譜・文献を集めた資料室を作ったこと

これらにより「音楽は一種類ではない」ということをまず世界に発信した。これはとても重要なことである。

3、日本とヴェトナムの関係から

雅楽は韓国語でa aku、ヴェトナム語でnha nhacとなる。この3つの地域はそれぞれに中国の宮廷音楽を移入して、それぞれの文化にふさわしい形に変容した。

1945年になってヴェトナムでは戦争のため宮廷音楽が消滅。後に(1970年)トヨタ財団の研究助成でベトナムに行くと、現地調査の結果、若い伝承者がいないことが判明した。そこで協議の末、大学レベルで教育することが望ましいという結論に達した。
その後2000年には1期生11名が卒業した。

■なぜヴェトナムに援助する必要があるのか

日本がユネスコに拠出している費用が、様々な国の芸術文化に使用されていること。また日本政府がワルシャワ音楽院に15台のグランドピアノを寄贈したこと。いずれも、その背景にあるのは、ある芸術文化は、それを作り、伝承し、保存してきた民族や国だけのものではないということである。芸術文化は国を超えるので、その政策も国を超えて考えなければならない時代になっている。


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