第11章 民族文化から芸術活動へ:文化の創造的動態

1、はじめに
若手女性サーミ画家ランティラは自らが「サーミ・エキゾティシズムのとらわれ人」になることを拒もうと努めている。
80年代はシャーマニズム色の強い作品を描いた
90年代に入ると、自画像を描き、その多くが怒りと苦悩に満ちている

2、「芸術=文化システム」への導入と抵抗:イヌイトアート

■イヌイトアートの魅力

イヌイトアートは美術雑誌で紹介され、熱心なコレクターを対象に美術画廊で盛んに取引されている。人々を魅了してきたのは、そこに表象されている独特な世界観と美学である。これらは、狩猟・漁労・採集という生業活動を通じて培ってきた極北の環境に関する詳細な知識なしにはありえない。

しかしイヌイトが彼らの生活を芸術を通じて世界に発信すると言う考えがあったわけではない。「芸術」を特権化して流通させる美術市場の基礎をなしている(文化システム)

■イヌイト・アートの展開:「芸術=文化システム」への編入

・欧米社会との接触が始まる16,17C~20C前半(歴史時代)
カナダを時々訪れる人にお土産として彫刻を売っていた
(あくまで自分たちで享受するためのものであって、外部世界を意識したものではない)
・1949年 カナダの画家ヒューストンが彼らの作品の潜在的な可能性に気づき、育成のために乗り出す
・1957年 イヌイトとともに版画制作という新しい手法の開発に挑む
・1960年代 カナダ連邦政府の積極的な援助を背景に「工芸プロジェクト」が組まれる
「極北の芸術家にしてハンター」というイメージが定着していった。

■イメージをめぐる論争:イヌイトアートの現在と未来
1970年代 美術市場から一方的に送られてきた美術評価に対してイヌイトから批判が出始めた。
作品を平等に買い取る平等主義的な販売・流通VS優れた「芸術家」の育成を求めるエリート主義的な美術市場

伝統的な狩猟・漁労・採集のみを作品にするのではなく、変化しつつあるイヌイト社会を描き出す作品が増え始める
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第10章 メディアと先住民:表象する側とされる側

メデイアと先住民:表彰する側とされる側

1、先住民と新聞:カナダとグリーンランドの事例から

■カナダの主流社会の新聞

<グローブ・アンド・メール紙>
・特に先住民に好意的なわけではない(中立的)
・国内外の記事に力を入れており、先住民の記事は少ない
・先住民の問題よりも、ヒーリングやスピリチュアル的な記事が目立つ

<ナショナル・ポスト紙>
・先住民に対して批判的な記事を掲載することが多い
・先住民を甘やかしているものだという意見が多い
(この姿勢は19Cの植民地的な姿勢そのものである)

■先住民が主催する新聞(ともに英語で書かれている)

<ウインドスピーカー>
・政府の補助金を断った背景から自由で不偏不党の方針を掲げる。
・告発や抗議ではなく、他の報道で先住民に対する目に余る報道を指摘する程度でとどめている。(先住民のアイデンティティを維持することを重視)

<ネイティヴ・ジャーナル紙>
・先住民にとって明るい報道で紙面を構成している
(主流社会に統合していくことが先住民の歩む道だという方針)

■グリーンランドの事例(イヌイト語とデンマーク語で書かれている)

<アトゥガッグリウト紙>
デンマークによるグリーンランドの「近代化」のため侵食されていくイヌイト文化と言語を継承する使命感を持った人々に創刊された。現在もグリーンランド(国内)報道を相対的に重視する

<セルミツィアック紙>
デンマークの国内政治経済の報道に重点を置いている

3、先住民と博物館:カナダとデンマークの比較考察

■コペンハーゲンのデンマーク国立博物館
イヌイトホールでは数千点の民俗資料が所狭しと並べられている。採取地や年代の説明もなく専門家でも迷うほど。
グリーンランドでは平和的な関係が継承されている背景があり、イヌイとからの抗議がないので、その結果イヌイトとの共同作業のない、旧態依然とした展示が今も続いている

■カナダ国立文明博物館
石器時代の生活を今でもイヌイトが営んでいるような展示があったので先住民が抗議をした。
このような要求が実を結び、学芸員が先住民と手を結び新しい展示は
・先住民の歴史的変遷
・ヨーロッパ人の浸出とその影響
・不平等条約
・強制移住や指定居住地の様子
・先住民の現状と直面している課題に対する写真と説明
がある

第9章 アフリカの焼畑と混作 在来農法の語られ方

1、はじめに

一般的に、アフリカで先住民という言葉がさすのは「ブッシュマン」や「ピグミー」などの狩猟採集民と、遊動活動を営む遊牧民である。

2、焼畑と混作

■焼畑の定義
火入れなどで整地した土地に、短期間作物を栽培した後、畑地を長期間放置して自然の植生で地力を回復させ再利用する方法

■混作の定義
ひとつの畑に複数の作物を植えつける方法

3、カメルーン東南部における焼畑の事例

一次林・・・それまでに畑地として利用されたことのない森林
(整地するのに時間がかかるが土地が肥えている)
二次林・・・畑地として利用されたことのある森林
伐採作業は男女ともに関わるが、それ以外の農作業は全て女性が担う

4、焼畑・混作の生産性と持続性

■焼畑の生産性に対する評価

否定的評価の論拠
・アフリカは人口が増加するのに需給率が低いのは、集約性の少ない焼畑をしているせいである
・焼畑は世界の森林破壊の元である

肯定的評価の論拠
・土地を焼くことは土地を活性化させるために必要である
・森林破壊は商業用材伐採が主原因
・焼畑は生態学的に環境適応的である

■混作の評価
・高さや形状が異なる作物を植えることで空調や日光を有効利用できる
・作物によって必要な養分が違うので、土壌の栄養分を有効利用できる
・異なる作物が障壁になるので病虫害が広がりにくい
・植え付けの時期が異なるので労働力が分散される
・長期間作物が存在することで、雨や太陽から土壌が保護される

■焼畑の分類
伝統的・・・長期の休閑期間(環境適応)
準伝統的・・・休閑期間の短縮(環境劣化)
非伝統的・・・土地の使い捨て(環境破壊)

5、いきざまとしての焼畑・混作

単作の世界では、1つの種子からどれだけの収穫があるかが一番の問題である。しかしクムの村では、多様な土地にそれぞれ見合った作物を植え付け、その全てが育つことがよしとされる。
そこでは人が植えた作物対雑草という対立は見られない。そもそも雑草
とは人間の好悪と植生の人為的によって位置づけられる連続的な概念である。
人間は自然を一方的に「管理する」存在ではない。アフリカの焼畑農耕においては必ずしも「管理」という言葉では語りきれない。

第8章 先住民社会の変化と女性

1、ジャンダーの視覚の誕生と展開

西洋において、宗教的権威が明確であった時代には、男性が世界の中心であり、女性がそれに従うのは自明とされていた。それこそが神の示した道であり、疑問を抱くものもなく、男性が優位であることを強調する必要もなかった。

しかき中世の終わりに宗教的権威が弱まり、その結果として男性が優位であることを改めて説明する論理が必要になった。キリスト教に代替するような性差のある説明が必要になってきたのである。

男女差が生物学的決定論の研究が積み重なられると、われわれの価値観にも影響を及ぼしてきた。このような生物学的決定論に疑問を持ち、異議申し立てを行ったのがフェミニズムである。ここからジェンダーという視角が生まれてくる。

身体的性差→生物学的決定論←(批判)フェミニズム、社会的性差

■第二次世界大戦後のアメリカ
フェミニズム運動が盛り上がりを見せる。それまでは学問の世界では大多数は男性であり、研究対象としての「人間」は男性を指していた。
そこで女性に関する諸事実についての知識を補うことが指摘された。これが「女性学」である。
するとこれまで人間として公的社会領域としてのみ扱われてきた男性が指摘領域を無視されていたと主張し「男性学」がうまれた。(メンズリブ)

フェミニズム人類学とジェンダー研究

「人間」というと男性を中心に扱ってきたのは文化人類学においても同じだった。しかし、婚姻・家族関係を考察する折には女性の存在は無視できない。だが、その扱い方はあくまで男性から男性へ交換されるための客体であり、女性を主体的な存在として観察されることも記述されることもなかった。

フェミニズム文化人類学は調査の焦点を女性にあてた。しかし、女性の記述を豊かにしていくことだけでは「みえなさ」は解決しない。

男性は、社会の主流であり、彼らが主流となる理論的枠組みを統制し、支配する権利を持っている。その中にあって、女性が主張するとすれば、主流社会の理論的枠組みの中で行わなければならない。それでは女性の声は弱者少数者の声であり続ける。
女性の声が政党に聞かれるようにするには、文化人類学の理論そのものを再構築しなければならない

<問題点>
・女性だからといって女性がわかると言い切れるか
・女性文化人類学者は男性文化人類学者と異なった世界に対する見方をするか

■フェミニズム=抑圧の解放・平等化
■ジェンダー人類学=女性への視点・私的空間への注目

ジェンダー枠組みの変化(例)ヨルング社会

1)婚姻

イトコを妻に出来る制度を持つ一夫多妻制(「義理の母の贈与」)
・理由1、婚姻規則を守る
・理由2、妻の数を保証
・理由3、妻の年齢が若くなる(女が生まれて20年後に自分の妻になる約束が出来ているから)

現在は、一夫一婦制が奨励され、一夫多妻制を持つものでも多くて3人ほどの妻しか持たない。年齢差も縮小した。しかし、厳密な意味での婚姻規則に外れる結婚や未婚のまま子を産む女性が増えた。

2)市場経済

市場経済では、以前女性は狩をする夫に付随するものであった。しかし
食料のほとんどを市場で買う生活になり、いっぱつ当たれば大きい狩より民芸品を作る女性の経済力のほうが大きくなる。

また、男性は成人するまでに学校を離れて遠隔地で儀式を行う儀礼があることから、高等教育を受けるのは女性が圧倒的に多い。専門職や資格職も女性が多くなっている。

3)神話と女性

男性が儀礼に関する全ての権利を持っている。しかし女性はそれを知らないわけではない。最近は神話儀礼(門外不出)に関する絵を描く女性も出てきた。

しかし彼女らは「これは神話ではない。男性の許可があって書いているだけ」という。ジェンダーの壁を壊すことを避けている。知っているが知らないフリをしている

歴史的なジェンダー視線の欠如

結婚にたいして決定権を持つのは男性である。女性に決定権はない。しかし、男性も本人に決定権があるわけではない。みな親族が結婚相手を決める。

第7章 ロシア極東地域における先住民企業の生き残り戦略

シベリアは太鼓からロシアの領土であったわけではない。

1、はじめに

シベリア先住民問題の根源
1、帝政ロシア支配以前の歴史に根ざす問題
2、帝政ロシアによる征服と収奪の歴史に根ざす問題
3、1917年以降の社会主義体制に根ざす問題
4、1992年以降のソ連崩壊後の混乱に起因する問題

2、社会主義と北方先住民族

ソ連は成立した当初から先住民を「遅れた文化を持つ人々」と認識していた。ソ連はマルクスとエンゲルスによって提唱された史的唯物論に基づく、人類社会の発展段階論を信奉していた。それらは人道主義的・理想主義的ではあったが、同時に強権的かつ形式的でもあった。

ソ連の都市型村落(バショーラク)の必須インクラ
・ロシア式の暖房施設(ペチカ)を備えた木造住宅
・初等、中等教育のための学校
・公民館やクラブ・博物館・図書館などの文化施設
・商店・市場・パン工場
・電気・ガソリン・灯油などのエネルギー供給
・郵便・電信・電話などの通信網

上記のような建設的な施策と同時に、反対する人々を弾圧していった。
・旧来の権力構造を解体するために、人々を富農・中農・貧農といった社会階層に分け撲滅を図る
・反宗教キャンペーンと名をつけたシャマニズムの弾圧
(このとき一番弾圧されたのは、実はソ連が上の施設などで育成したエリートが多い。闇から闇に葬られた=やらせあり)

3、ペレストロイカ期の先住民運動

コルホース(集団農場)ゴスプロムホース(国営企業)

■先住民が抱える2つの問題
1、鉱工業優先の開発政策(トナカイ飼育の土地を奪い汚染)
2、国有文化振興政策の形骸化(学校が統廃合され、子供は寄宿舎に入り固有言語教育が親から受け継がれなくなった)

4、ポスト社会主義時代のおける先住民系企業の挑戦

■モスクワでの混乱が北方先住民の生活と経済を直撃した理由

・ソ連時代に国家の経済政策の一翼を担う
・そのために国家の経済政策に従う
・ソ連崩壊と計画経済の廃止
・市場原理の導入
・混乱の他方への波及
・先住民主体の国営企業の破綻
・現金収入への道が絶たれる

■ビギン川のウデヘの民族企業がロシアの経済危機を乗り越えてきた理由

・林業部門売り上げで他の部分の赤字を補填
・クロテンの毛皮を維持
・少数民族復権運動と伝統的自然利用領域の確保
・エコツアーや山菜、薬草類生産も行う多角経営
・日本や欧米のNGO・NPOの支援

ウデヘの民族企業が抱える諸問題

・企業内での利益分配システムの不備
・両氏の後継者不足
・ロシア内外の他の企業との競争
・地方政府内にくすぶる開発優先の政策
・他方に蔓延する闇経済の誘惑
・モスクワからの政治的統制の強化

5、ポスト社会主義社会を生きる先住民を研究するには

・社会主義経験を持つ先住民たちの民族誌
・そのような民族誌や論文を書くために欠かせない知見、視点
a)マルクス主義に関する基礎的な知識
b)旧ソ連の基本的な国家理念に関する知識
c)社会主義体制の生成から崩壊までの過程
d)先住民社会の変化をc)と結びつける視点
・歴史認識の再検討






プロフィール

Mikami Kako

Author:Mikami Kako

おことわり

保育士・図書館司書に関しては、旧システムによるものなので、現在のもの科目編成や内容にずれがあります。放大についても閉講科目が含まれます

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