第2章 哲学における人間観

1、人間の自己理解

●自然哲学
タレス・・世界の原理を水とし、万部つの根源は水だと述べた(哲学のはじまり)
ピュタゴラス・・世界は数という秩序を原理とする
ヘラクレイトス・・ひとつの理性法則にしたがって万物は流転する
パルメニデス・・生成変化する現象の世界は本物ではなく、不生不滅にして単一不動の存在が世界の本質である
エンベドクレス・・地、水、火、風の四つの根が究極の実在であり、万物はこの四元素の離合集散によって生成し消滅する

●人間哲学の出現
紀元前5Cのギリシアでは、人間の営みについて知識を求める風潮が生まれた。そこで登場したのがソフィストと呼ばれる人間地知の教師たちである。
人間にとって関心を寄せるべき世界は、自然的世界よりは人間的世界であると考えられるようになった。

プロタゴラス・・万物の尺度は人間である

●ソクラテス(ソフィストの一人・・異端者)
自分がソフィストと言えるのだろうか・・と自分に問いをしかけた。自分を知者と呼んでいたのでは、もはやその知を吟味する手立てを持たないと考えたのである。
このような人間による人間自身への反省をソクラテスは魂への配慮と考え、自然や社会などの諸世界についての知識も大切であるが、知識を求めている当の人間への自己検討を最重視した。

このような自己理解への道を、ソクラテスはフィロソフォス(知を愛求するものの意)と呼び、ここにフィロソフィア(哲学)の呼称が生まれた。

2、主知主義

●古代と中世の哲学
プラトン・・ソクラテスがよく生きるための徳は正しい知の取得にあると述べた考えを踏まえて、肉体の条件に拘束された感覚的な知識は必ずとも正しい知識とは言えず、これを超えた理性的な認識こそ、人間によってたつ真理の根拠であると言う考えにいたった。そして、肉体や感覚に捕らわれない知的理性を人間の最も大切な本質的な働きとみなす、このプラトンの「主知主義」が、その後の哲学を支配する基本的な枠組みとなった。
アリストテレス・・人間の諸活動について語る「ニコマコス倫理学」の中で、知的理性に従う観想的生活を人間の最高位の態度と考え、観想活動体としての理性を神的なものと唱えている。
アウグスティヌス・・人間を神によって作られた神の似姿とみなし、人間は神の真理の光に照らされるとき、自己の内なる神を知る理性が働いて、学問的な永遠の真理を理解できる
アンセルムス・・知的理性と神を知る信仰が一致する「知らんがためにわれ信ず」
・トマス・・信仰の内容に理性を超える部分があるにせよ、原則的には、人間の知的理性と信仰はともに神から与えられたもので、相互に矛盾するわけでなく、あい補うものである
オッカム・・検証できる個別の実在についての真理が知的理性の対象になるのであり、神の啓示を信じることが前提になる信仰上の問題は哲学から切り離されるべきである

このように、中世の知性論は信仰と一致知る知性という立場から、信仰とは区別される立場を取り、主知主義をいっそう強めることになった。

●近代哲学の開始
ベーコン・・「知は力なり」人間の知性の働きを最重視するとともに、知性の働きによって形成される世界についての学問的知識が、人間の生活を向上させる
デカルト(近代哲学の父)・・「我思考す、ゆえにわれあり」知的に思考する理性に人間存在の根拠を置き、神の存在や物質的世界の存在を、論証的に推論していく知性によって基礎付けた。
ポップズ・・人間の感覚器官に及ぼされた外的物質の運動量に応じる内的反作用の運動を知識と考え、運動量の蓄積が記号化して理性的判断を促す
スピノザ・・人間の心に生じる知識の論理的な規則や推論の結合関係は、自然そのもののである神の精神的変容にほかならず、神の知性の秩序の表れだ。

●近代の啓蒙主義哲学
「啓蒙主義」とは、全ての人々が自然や諸社会についての正しい知識を持つならば、成長し安定した共同体を作ることが出来るという思想である。
ロック・・「経験論」知識の源泉を外界の経験に求め、観念は後天的に形成される。感覚による経験知は外界の諸性質についての知識であり、反省による経験知は表象や懐疑の推理などの心の働きそのものの経験の蓄積である。心は知性と呼ばれる理解力を身につけ、複合観念という高度な知識を作り出すことになる。
ライプニッツ・・「単子論」世界を構成する働きの単位として単子の存在を主張。単子の内容である働きとは、表象という知的な力であり、単子とはそれぞれが別様に世界を表現する知的な働きのこと

このようにして、ソクラテスの愛知の学に始まった主知主義は、西洋思想の流れの中に連綿と受け継がれ、知性を尊ぶ近代啓蒙思想の徹底した合理主義までに及んでいる。
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第1章 人間学と人類学

1、アンスロポロジー

●人間学の呼称
日本語の人間学という呼称は、英語のアンスロポロジー(anthropology)にあたる会う米語の訳語である。

●人間学の発端
1501年マグヌス・フントの「人間の尊厳についてのアントゥロポロギウム」に端を発する。ここで人間学と名づけられた学問の内容は、人体に関しての解剖と生理学に当たるものであった。
人間学はまずは人間の身体を対称にする学問であり、感覚的に検証しうる限りでの実証的な学問であった。

16世紀に誕生したこの学問は、やがて人間の身体のみならず、魂や心といった精神の働きを含むようになる。
初めて心理学の名を書物に残したのはゴクレニクスであるが、その弟子カスマンが「人間の教説としての人間学的心理学」という本を出している。このカスマンの語るところによると、「人間学の2つの部分は心理学と生体学である」と述べている。

2、人類学

●二つの人間学
16世紀~17世紀にかけての心理学は、今日の心理学とは違って、古代ギリシャのアリストテレス「霊魂論」以来の哲学の伝統と枠の中で行われる心の働きの解明であった。

近代の学問として誕生した人間学は、一方では哲学的な方法を用いて目に見えない心の働きを探求する心理学と、他方で実証的な方法を用いて目に見える体の動きを分析する解剖学との、方法を異とした二つの学問の合体だったのである。
今日ではこれを哲学的人間学・科学的人間学と言う

●実証科学の人間学
日本ではアンスロポロジーを人類学とも約している。客観的に観察される人類についての形質や文化を理解しようとする実証科学的なアンスロポロジーは、これを「人類学」と呼ぶのが日本では一般的である。

人類学はおもに「文化人類学」と「自然人類学」の二分野からなる。
文化人類学は、世界の人類の精神の諸成果の特質を取り上げて比較検討を行い、自然人類学は、世界の人類の身体の諸形質の特徴を捉えて比較検討を行う。このような点より人類学は人間の精神と身体の両面から総合的に捉えて考察を加えていることになる。

人類学といわれる学問は、文化と自然の両面の人間のあり方を、あるいは精神と身体の両面にあたる人間のあり方を、検証可能な事実に即して解明する、実証科学の人間学なのである。

3、総合的全人の人間学

●哲学の方法
・包括的かつ根源的に問うこと
・思考を巡らし得心のいく論理で答えを出していくこと

哲学的思考には、即物的具体的な対象把握ではなく、観念的抽象的な対象理解が要求される。
哲学における理論の正当性は、言葉によって繰り広げられる立場に破綻がないことが、当該の理論の正当性を裏付ける。そこで哲学では、思考の論理に倫理学を学ぶことが必要とされる。言葉を有効に用いる修辞上の技法も説得性を高める上で哲学の武器になることが多い。

●総合的全人
・カント・・・人間の能力を、認識能力のみに重点をおいて理解するのではなく、感情能力と欲求能力も加えて、三つの機能と共に検討しながらそれらを「組織化して捉えた人間についての知識の学」が人間学だ。
・ディエルタイ・・・生きた人間を説明するには「色々な力を蓄えた全体的人間を捉えなければならない」「意欲、感情、表彰のそれぞれに現れる実際の生活の進行は、全体的人間の本性のさまざまな側面にほかならない」

人間学は、人間を総合的全人の観点から扱い、人間を多機能の複合体と受け取る。そして、哲学の見地からこの総合的全人を取り上げるのが、哲学的人間学である。


第4章 国家権力と神仏信仰

1、政治と宗教の関係

●神と王の連続
現在のわれわれが知りうる最も初期の宗教は、王の神性に対する信仰である。私は、これが必ずしも最も始原の信仰であるというつもりはない。しかしながら、初期の記録を見てみると、人は神々とその地上での代理である王を崇拝していたように思える。
現在の知識では、神々への崇拝が王への崇拝に先行していると主張することはできない。多分どんな王も神なしでは、またどんな神も王なしでは、存在しなかったであろう
(人類学の古典的著作「王様」より

政治的権力と宗教的権威の双方を独占的に体現するものとして存在する個人は「神にして王」であり、かつまた「王にして神」であった。
(例)
・エジプトのファラオ=エジプトの神そのものの顕現
・イエス・キリスト=ユダヤの王
・天皇=現人神(あらひとかみ)

●日本とヨーロッパの相違
ヨーロッパは教皇権と皇帝権は相互に妥当の余地のない対立を含むものであった。だが、長い試行錯誤の末の妥協と調停の産物として、近代における政権分離の諸制度が考案されてきた。
日本は天皇の権威に由来する王法の観念と、釈尊の悟りの内容そのものである仏法とは、互いに助け合うべきものだと考えられてきた。いわゆる王法仏法両輪論、相以相即論である。

このように日本の政治と宗教は、ヨーロッパの場合をとは少なからず事情が異なり、とりたてて深刻な対立関係に陥ることはなかった。
(数少ない例外)
・一向一揆(本願寺戦争)
・天文法華の乱
・島原の乱
(重要な点)
これらの宗教勢力による班権力闘争が採取的には武力で制圧され、その後に出来上がった近世徳川政権は、こうした苦しい経験を教訓に宗教諸勢力の懐柔と体制化に数々の巧妙な政策を打ち出して、彼らを無害なアクセサリーと化すことに成功した事実である。

このように日本では宗教と政治が分離すべきだと考えられたことは一度もなかった。政教分離原則が事実上確立したのは、現行憲法施行後のたかが六十年間にすぎない。

2、いわゆる「国家神道」の成立

●近代日本の国家と宗教
神社は宗教にあらず、それゆえ国家による「神や祖先を敬うこと」の矯正は「信教の自由」(帝国憲法28条)と矛盾せず、との神道非宗教説が政府の正式見解だと説明されてきた。

しかし、GHQ神道指令(1945年)に神道と神社を国家から完全に切り離すように命令された。
島国であったため早くより単一国家を形成できた日本は固有の伝統とし、神道をキリスト教でも仏教でもない固有の宗教として強調していった。

●「国家の宗教」から「神道(神社)非宗教説」へ
明治維新政府の宗教政策は神仏分離と神道国教化を基調とするものだったが、既存の仏教教団を排斥したままの宗教政策が国民の実情からかけ離れていくことは誰の目にも明らかであった。
そこで仏教書教団と僧侶が官製国民強化策の中核要因に組入れられた。
その後宗教行政は内務省社寺局へ。やがて仏教・キリスト教は宗教局へ、神社行政は内務省神社局所轄と行政上明確に区別された。

「宗教局が管理しないのだから、寺社は宗教ではない」といういい訳がまかり通るようになる。

●島地黙雷(神道非宗教説の形成に当たって、決定的な役割をした仏教側の人)の宗教戦略
1872年から1年余りに渡って欧米の宗教事情を視察した島地黙雷は、「神道は宗教ではなく治教であって、歴代天皇が天祖継承の道として奉じ来たったものに違いない」という理論を打ち立てる。
島地のこの理論は、幕末の討幕運動のリーダーたちが「天皇を握ることこそ自分たちの目標達成の要であると自覚した政治リアリズムである。

3、靖国問題を例として
「靖国神社は特異な雰囲気を持った神社である」

日本の神社は市街地にあっては周囲の喧騒を遮断するものとして存在し、山林の雰囲気をかもし出している。そういう意味では自然への入り口へと存在しているように見える。
だが靖国神社は広大な敷地の割には樹木が少なく、巨大な鳥居も社殿も市街地と地続きになっている。それは自然に通じる通路となることをことさら避け、逆に首都の日常に向かって吐き出しの自己主張をしているように見える。それは、戦死者の「穢れ」と切り離せない存在だからであろう。

しかし、日本では恨みをもった霊はタタリ神となるが、時間の経過と共にタタリ神から守り神へと昇華していくのが、わが国の神信仰の通例である。(弔い上げ・・・死後33年、または50年)
彼ら戦死者は「英霊」として特権を与えられたことと引き換えに、死後50年以上もたった今弔い上げされない霊であることは異例である。

●「新追悼施設」をめぐる迷走
毎回毎回アジアの隣国から抗議を受けるようなわずらわしさから解放されて、首相を筆頭とする政府要人がわだかまりなく戦死者に対して慰霊・追悼の心情を表す場所がほしいというのが本音だろう。
しかし、
・翌年出された報告書では、明治維新以降の戦死者及び戦争に起因するさまざまな死者を、戦後の国際平和活動での犠牲者も含めて想定している
・神社の名称がない
・どのように使用し、どんな式典を行うか
などを次の政府に判断をゆだねただけで、腰の引けた内容である。どうやら積極的に問題を解決しようとはしていない。

●「英霊」たちの「人間宣言」
・靖国はかつての所轄が陸軍、海軍である
・天皇(現人神)自ら参拝する
以上のことから「戦死すれば天皇がみずから参拝する靖国の神になる」と言う条件付でバランスを保った。
しかし、天皇は戦後、人間宣言をし象徴となっている。ならば英霊もその時に「人間宣言」をすることが出来なかったのであろうか。
平時の死者ならとっくに弔い上げされてご先祖様になっているはずの死者の霊が、未だに「××××命」という祭神として祀られているのは不自然である。



第3章 生活の中の神と仏

1、日本人の「無宗教」性

●「無宗教」の中身を考える
日本国民のほぼ七割が「自分は無宗教である」と答えるが、、その中の四分の三の人々が「宗教は大切だ」と考えている。すなわち彼らが宗教の必要性を否定しているのではなく、単に自分が特定の宗教の信者ではないことを言いたいだけではないか。

宗教の分類
「自然」・・・未開社会が自然発生的に生み出した宗教
「創唱」・・・特定の個人がその固有の宗教体験をもとに創唱し、その教えを布教と伝道によって、広く不特定多数の人々に拡大しようとする宗教

●「自然宗教」の肯定的評価
日本人の「無宗教性」は単に「創唱宗教」の否定にあるにすぎず、そのことはむしろ「自然宗教」の信奉者というポジティヴな方向で評価しなおすべきだ。

●なぜ「宗教は怖い」のか?
「創唱宗教」は日常の陣背の中に潜む根本的な矛盾とか人間存在の不条理を鋭く抉り出し、それと真正面から立ち向かうことを要求する。
だが、実際たいていの日本人は人生の喜びも悲しみもほどほどに受け入れ、流しているので、それを疑ったり否定することはかなわないという意識から「無宗教」を標榜しているのではないか。

そもそも宗教を怖いと思う感情は西洋社会やイスラムではない。カルト教団は怖いものだが、それはカルトだから怖いのであって、宗教が怖いのではない。

しかしより根本的な問題として、日本では一向一揆や天文法華の乱という宗教戦争の歴史が見逃せないように思う。その苛烈で生々しい宗教戦争の経験を潜り抜けて作られたのが近代幕末体制である。そこでの最大の目的は、かつての巨大な宗教勢力をいかに無力化し、体制にとって無害なものにするかであり、同時にまた体制にとって危険極まりない宗教から民衆を切り離し、彼らを体制順応的な宗教のみに親しませることであった。
このように日本人の無宗教性は過去の歴史とは無関係ではない。

2、日本人にとっての神と仏

●新野の盆踊り(重要無形民俗文化財)
8月14日から三日間、夜を徹して町の通りで繰り広げられる素朴でひなびたもの。だが最後の17日に「踊り神送り」という劇的なクライマックスを迎える。歌も踊りも急テンポで勢いを増し、精霊たちの灯篭の列を必死でとどめようとする。

親しい死者たちを少しでも長く自分たちの下にひきとどめておきたい・・・そんな切ない思いが見事に織り込まれていて、居合わせたものの心を打つ。

●去来する死者の霊と神仏
盆の迎え火に導かれてこの世の家族の元を訪れる祖霊は、一刻も早く故郷に着きたいときゅうりの馬に乗ってくる。一方送り火であの世に帰るときは少しでも遅くとナスの牛に乗っていく。こういう心憎い説明が日本では残っている。
日本の民俗信仰の中に死者と神や仏の間に根本的な区別はない。

●隣り合う死者と生者
このような盆や彼岸の行事を通じて、あるいは仏壇や位牌を通じて死者と生者は互いに繋がっていると考えられてきた。
キリスト教の神の国と人の国、仏教の浄土と娑婆世界のように異なったはるか遠い世界にいるのではない。

こういう意味において日本人には死者は怖いものではなく懐かしいものであった。先祖の霊は子孫のために安泰をあたえてくれるが、供養を怠ると生者に対して災いをもたらすとも言われている。民俗宗教をそのような「タタリ」の現象に注目して理解することも必要だ。

3、生活者の要請にこたえる神仏

●「速(ハヤ)」のつく名の神々
古事記や日本書紀に記される日本神話は高天原の神々の子孫が日本の統治者になったという天皇家の支配の正統性を強調している。

・ハヤアキツヒコの神、ハヤアキツヒメの神・・・海や川の河口を司る神
・ミカハヤヒの神、ヒヒハヤヒの神・・・イザナギがカグツチの神を斬り殺した時の刀の血から生まれたと言われる。
このことから神名に含まれる「速(ハヤ)」は激しい神の霊威が迅速に現れるさまを表現している。また別例からも「速(ハヤ)」は神の霊威の力の時間的な即効性を、とりわけ罪・穢れといったこの世のまがまがしい異物を彼方の世界に瞬時に移動させる力を示している。

●悟りと救済の簡略化/速成化
「日本の仏教の特性」
・高度な悟りよりも卑俗な現世利益を目的とする
・仏・菩薩の崇拝よりも先祖崇拝や祖師崇拝に熱心である

「簡略化の例」
・法然による浄土教・・高尚で難易度の高い観想念仏の方法が無用とされ、阿弥陀の名号を唱えるだけでよい
・親鸞、一遍・・法然の勧める念仏をより簡素化した
・日蓮・・「法華経」の経名だけを唱えることを徹底させる

・四国八十八箇所めぐり・・寺にミニ霊場めぐりが設置され、それを回ると88回ったことになる
・浅草の四万六千日・・この日に観音様におまいりすれば46000日のご利益がある

●「速」から「即」へ
般若思想とか空の論理といった高度の思弁哲学に源を持つ「即」の概念は、日本の仏教においてはその理想的な要素をほぼ完璧に喪失させた。いわゆる本覚論思考において常套句となっていった「煩悩即菩提」や「生死即涅槃」の表現は便利で安直な符牒にかわっていく。
高遠・難解な般若経の哲学は寺院によってアクロバティックな行事に使われる(経の文句を読むのではなく、手に掲げた教本を空中でぱらぱらと開閉する)→経典の中身より経典そのものが呪物として扱われる

空海が強調した「即身成仏」は、この身そのまま成仏であり悟りだということだが、空海がいまも方や三の奥の院に生前の姿のまま眠るというのは大衆の承認的結果に他ならない。
われわれの罪深い肉体はそのままで不壊の仏身であるという高度な宗教的逆説は「即身成仏」という用語の通俗化によって安易な肉欲の肯定を許すことにもなった。

第2章 神国思想と天道思想

1、日本型中華意識というイメージ

アジアの東、日出る処
聖の君の現われまして
古き天地鎖せず霧を
大御光に隈なく払い・・


四大節(国民学校の児童が年四回行われる式典の時に歌われる歌)のひとつ「明治節の歌」
歌詞の内容は単純で、ようは明治天皇(聖の君)が出現し、古い社会を改革し、日本が世界に進出する機会を与えたという意味。
だが、こんな簡単な内容なのになぜこのような表現をしたのか。

「アジアの東、日出る処」
中国の王朝「隋の皇帝」の倭国伝に同じような表現がある
「古き天地鎖せず霧を払い」
江戸時代→明治維新→明治時代を表している
しかし「霧を払う」という表現は国境のない中国が徳の高い皇帝(天子)が人民を感化するときによく使われた表現である。
すなわち、中華思想を背景にした日本型中華思想が「明治節の歌」には背景にある。

2、日本型中華思想

●再び文化とは
文化の定義・・生物は所与の自然環境に適応することでしんかを遂げてきたのだが、人類は動物から進化する過程で、いわば人工的な環境として文化を創造し、文化を通じて環境に適応しようとしてきた

●中華思想と神国思想
中華思想は天道思想と結びついてきた。天道思想は普遍的な世界観であり、その天から指名された天子世界に優越するのが中華思想の一変種である日本型中華思想の神国思想である。天道思想は、太陽を「お天道様」と呼ぶなど、人々に深く浸透していった。

●「伴天連追放の文」にみる神国・仏国思想(徳川家康作成)
・第1段落・・・日本は神国・仏国である
・第2段落・・・日本は神国・仏国であるがゆえに正しい秩序が保たれている。キリスト教布教の目的は、この秩序を破壊し、日本を支配することに有る。ゆえにキリスト教は禁止されるべきだある
・第3段落・・・キリスト教布教禁止は、天命によりその位置に着いた為政者の義務である

●伴天連追放の文にみる天道思想
第3段落の冒頭で突然「天命」が出てくる。第1、第2段落で神国・仏国について述べたあとに唐突である。これはことさら説明を要しないほどに天道思想が普及していた証である。

3、神国思想と天道思想
文献では天道と天皇の関係が明記されているだけで(天皇は天の直系である)天道と天皇のどちらが上とも書いていない。

結論をいうなら、われわれの祖先は、中国古代に成立した天道思想を取り入れたが(徳の高いものがいつも上になるという革命思想)その革命理論は見て見ないふりをして神国思想(天皇が天の直系である)に作り変えた。内容的にも神国思想は中華思想の焼き直しである。

第1章 日本文化と神国・仏国思想

1文化の定義

●「文化」とは
知識・信仰・芸術・道徳・法律・慣習などさまざまな分野を通じて社会の成員としての人類が獲得した知識や行動様式が、大きな意味での文化として社会に蓄積され、成員の行動様式や考え方を規制する、そのようなものを文化と定義する。

●歩き方の文化
「なんば歩き」・・・右手・右足を同時に出す歩き方
絵画資料によって日本人が昔は「なんば歩き」をしていたということが証明されたかといえば、そうではないが、現在の左右別に出して歩く方法は近代的軍隊の創設と共に西洋式の行進が軍隊の教練に取り入れられて依頼だという説も有る。
実際のところはわからないが、変化があるということは言葉が文化であるということと同じく歩き方も文化であるということが言える。

●日本文化研究(02)とこの講義の関係
(1)歴史とは、人間集団の過去における活動の総体であり、歴史学とは、人間集団の過去における活動の総体を資料に基づいて復元しようとしたものである。すなわち、現在に残された過去の人間活動の痕跡から遡って、そこ痕跡を残す原因となった、この人間活動の復元を目指すのが歴史学である。

(2)2つの問題
A,文字資料が歴史学で圧倒的に多用されるのは
・正確な年代比定が容易
・内容の限定が容易
・思考・音声などの物理的に困難なものの復元が容易
であるからである。
B,資料学・・・痕跡からその原因を復元するのであれば、原因と痕跡との間の相互関係があらかじめ予想されないといけないこと

(3)・人間の行動はその所属する家族・集団の有形の道具や地形、無形のしきたりや制度によって決定される面が多いが、それらは過去の人間の成果である
・それらのなかで営まれる人間活動は、その所属する家族や集団の中に蓄積されて、人間の行動を規定する環境を変化させていく。
・総じて、現在の我々の前に残されている過去の人間活動の痕跡は、過去のそれぞれの時点で残されていた「痕跡」に影響されながら行われた人間活動の痕跡が、現在に伝わったものである。

2中華思想と神国思想
●中華思想・・・中国を世界で最も文明・道徳の高い地域という意味で天下の中心であると言う考え方

中華思想が普通の自民族中心主義と異なるのは、実際に政治的な制度として存在したからである。中国皇帝(天子)は年号をかえる権限を持つ。革命などで新天子が生まれると年号が変わる。この年号に関しては日本も同じ制度を持つ。

●神国思想の成立
日本も当初は中華思想を持つ国であった(参考:倭王武の上表文)

●近代初期の神国思想
秀吉・家康が神国思想の持ち主であり、その内容が中世に成立した神木仏述の宗教論理に基づく。


プロフィール

Mikami Kako

Author:Mikami Kako

おことわり

保育士・図書館司書に関しては、旧システムによるものなので、現在のもの科目編成や内容にずれがあります。放大についても閉講科目が含まれます

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