第14章 インドネシア・バリ島の芸術文化政策

1.オランダ植民地時代とバリ芸能
1908年~1940年の約30年間、オランダの植民地となる。
その時創り出された「バリ文化」が楽園バリの格好の宣伝となり、舞踏とガムラン音楽は植民地における権力者と被権力者の不平等な関係(権力者のために芸能を上映するまなざし)ととれる。また一方、異文化の人々にこれらの芸能を見せる視点を獲得したともいえる。

<その他の例>
19431年、パリで行われた国際植民地博覧会のパリ芸能公演では、西洋人に見せるために新たな演出が施された。

これらの例は、植民地政府主導による具体的な芸術文化政策の成果というより、むしろ植民地政策の中の観光政策の中で行われた。しかし、バリの人々に芸能が文化的資源であることを教え、資源の有効活用を示唆したことになり、後のバリ芸能に大きな影響を与えることとなる。
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バリ島のガムランと舞踏


2、スカルノ政権下の芸能文化政策とバリ芸能
大統領スカルノの元、独立戦争の後、1949年インドネシア共和国発足。1965年までにスカルノが行った主な芸能文化政策
・バリ州教育文化省による活動
・国立伝統音楽学校の設立
・バリにおけるインドネシア国営ラジオ局の放送

■バリ州教育文化省による活動
海外向けの文化使節団としてバリ芸能グループの派遣、海外の国賓のバリ芸能の鑑賞
■国立伝統音楽学校
バリの有名な演奏家や舞踏家が教員となり、出身村に戻った後各地に伝承した。この学校は村落の口頭伝承ではなく、カリキュラムが組まれたものであったことから、斬新な教育システムであると言える。また伝統学校は伝承だけでなく、新しい芸能の創作とその普及にも力を注いだ。
<例>スンドラタリ
観客向けに創作された芸能。ガムランを背景に上演者は言葉を発さず、身振り手振りで物語や歌を語る
<例>「はた折り」「労働」「猟師」などのテーマの舞踏
スカルノは積極的に海外の観光客に向けて踊るように命じている。純粋な創作作品なのか政府が絡んでいるのかは定かでないが、政治的ブロガンダを行う役目を担ったといえよう。
インドネシア国営ラジオ局の放送
放送を行うために地域の優れた演奏家や役者を職員として採用して放送局劇団を立ち上げ、定期的にバリ芸能を放送した。

こうした、村落を越えた「バリ」を単位とした様式の創作こそが、インドネシアの芸術文化政策の重要な成果であった。
■ゴング・クビャルの誕生
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この楽器は20cに創作されたもの。これが以前の宮廷対象だった音楽を一般市民に普及させた。またインドネシア政府は積極的にこのゴング・クビャルのガムランを文化政策に利用した。
その後に続くスハルノ政権のものでも、これはより積極的に推進されることになる。

3、国民文化の創出
第二代大統領スハルトは地方文化に対する芸術文化政策を推進した。ここでいう各地方の文化とは、各行政州の文化のことで、バリであれば「バリ州の文化」を意味する。インドネシア政府は各民族の文化を「民族文化」とは捉えなかった。では、各民族の文化をバリ州の芸能に当てはめて考えてみたとき、何が頂点に該当するのであろうか?

スハルト政権下では、その頂点は何も既存の芸能でなくてもよかった。選別するよりもむしろ背作者側に育成され、州にとってふさわしい芸能、さらには国家にとってふさわしい外国文化を取り入れた、新しい芸能を意味した。
・1966年 文化審議育成委員会・・教育機関の推進する「正しい」バリ芸能
・競争原理を導入するコンテストの開催
参加グループは徐々に審査する側の求める上演様式へ近づいていった。コンテストと言う仕掛けにより、人々は強制されることなく、施策者が求める上演様式にのっとり国民文化を創り上げていった。

「村落の様式」・・・伝承によるもの
「アカデミックな様式」・・・上記のように創られたもの
これはメディアの利用・学生の活動に拠るところが多い。このように「アカデミックな様式」はバリ全土に広く受容されていった。(バリ芸術祭でのアピールなど)

4、観光と芸能
バリ政府はバリ観光文化の基本コンセプトを「文化観光」と呼び、観光と文化が相互に関係を持ち、両者ともに発展される政策を取った。

■問題点と解決法
・上演の質の差・・・文化審議委員会が、観光用に上演を希望するグループを審査し、3年間限定の許可証を発行する
・内容・・・本来神々の儀礼で上演される神聖な芸能に演出が加えられることが問題になっていた。そこで政府は3つの分類を公布。
1、神聖な芸能
2、儀礼的な芸能
3、娯楽的な芸能

しかし、神聖な芸能と儀礼的な芸能の境目がはっきりしないことが問題視され、結局娯楽的な芸能の創作に拍車がかかることになる。

5、まとめ
政策は、施作者側と受けて側の両者により成立する。
最初の施作者はオランダ政府で、これによりバリ島の人々は他からの「まなざし」を意識するようになる。インドネシア独立後、施作者はオランダ政府からインドネシア政府に代わる。インドネシア政府の政策は国民文化の創出と文化観光政策への対応が中心。そのために「教育」と「競争」システムを取り入れ芸能様式を普及させていった。

現在バリで見る演目のほとんどが1950年以降に創作されたものである。しかし村落の芸能も上演を禁止されず、いわば「無視・放置」の状態だったので消えたわけではない。

インドネシアは2001年地方分権の時代に突入した。文化政策が地方政府に委譲されたことから、いまや国民文化の創出と地域文化の復権が文化政策の両輪になりつつある。
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