第9章 絶対音感と学習可能性ー反射と随意性をめぐってー

1、絶対音感とは

音の高さの認知に関する一群の条件反射的能力をさす。職業的な音楽製作において、主に準備段階で有用である。また適切な統御を欠くと、音楽製作上に支障をきたすことがある

2、条件反射としての絶対音感
日本でのみ、何か神秘的な能力であるように取り上げる。悪質な興味本位の本が出回ったなどの経緯があるのであろう、絶対音感に無用の価値を付与する傾向があるが、よくて興味本位、悪くてモーツアルトの売り出しと同様、営利のためのデマと疑えるケースも見え、またこれに対して認知科学者が鷹揚であることも、誤解の根を深くしている。

■無条件反射の成立
誘発刺激・・・大きな音がする、熱いやかんに触れる(何らかの生得反応が起こる)
中性刺激・・・小さな音が遠くでする(生得反応が起こることはない)
これらが恒常的に繰り返されると、無条件反射が誘発される。これを古典的条件付けと呼ぶ。

■早期教育において行われる絶対音感の訓練
正解を教えて慣れさせていき、正解した時には著しくほめると言う事を繰り返していくと、子供はほめられたいのでこのプロセスを繰り返すようになり、ついには音を聴いただけで正しい音名が言葉や色で見えるようになり、同時に「これで正しい」と言う納得の感情を持つようになる。早期教育で、効果的に音感を伸ばすことは事実であるが、成人後でも訓練によっては可能である。

3、ソルフェージュの中でのピッチ=音高識別能力
音を単に当てるだけではなく、その音の高さを認識する能力のこと。ピアノのように定まった音程に調律されていない楽器(ヴァイオリンなどフレットのない楽器や声楽)には、自分で音(声)を作り出す必要があり、専門家には求められる。

絶対音感とは、音を聴いたときに反射的に音名が意識に浮かぶという認知現象である。弦楽器出身の音楽家は音程に感覚を持っているが、絶対音感とは無関係に高い仕事をしているのは、そのような初歩的なレベルをクリアしたあとの音楽家を対称にしていて、より高次の音楽つくりをしているからに他ならない。

絶対音感は、音を聴いたときに、反射的に意識にあがってしまうというきわめて受け身な反射である。このような反射は、創造的な音楽作りにはほとんど役に立たない。ピッチに直結する感覚をより多く恵まれるのは、ひとつひとつ音を作り出す弦楽器である。ピアノではない。

■バイオリンの調弦
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ニ長調やト長調などの楽案は極めて弾きやすく、楽器もよく響き陽気な印象を与える。逆に嬰ハ長調などは、ひとつひとつの音程を意識して取らなければならず、楽器も自然に鳴るとは言いがたい。

グスタフ・マーラーは交響曲5番(嬰ハ短調)で、その楽器でその音を作り出すことによって、自然に弱音器がかかったような特異な響きが出るというように作曲されている。このような例が高度な音楽作りに直結するもので、単に音あてゲームのような絶対音感の神話は役に立たない。

4、絶対音音痴

■絶対音音痴とは
①弦楽器などで、自分の中に強く音名の感覚がありすぎると、弦楽四重奏などで、合奏の全体がより低い基準音にシフトしてあわせる、といったアンサンブルの緩急につけることができなくなる
②声楽などで、伴奏ピアノの調律が狂っていると歌えない。また、伴奏が転調すると楽譜を見ていると歌えない
③合奏で、ピッチの狂った音が入ってくると、過度にそれが気になって演奏上に支障をきたす

各種の音感は、自分の身についている反射的な音感を、随時組みなおしていくことが、音楽家には求められる

5、ソルフェージュと自覚的な音楽作り:オペラント条件付けへの転化

■基本的なソルフェージュ教育
①楽譜を見てそれを歌う「視唱」
②音を聞いてそれを判断したり書き取ったりする「聴音」

ピアノなどの平均率で過剰な絶対音感を持っていると、平均率の音のにごりや純正調の調和感などが感じ取れなくなってしまう(音名ばかりが意識に上る)「絶対音音痴」の是正策のひとつとして、固定ドと移動ドの双方を自由自在に行き来できる訓練がある。

■ソルフェージュの内容紹介
音部記号読み(ト音記号・ヘ音記号・ハ音記号)
リズム打ち
音程調
ポリフォニーの聴音

音感を音楽作りに積極的に役立つ力に転化するには、幼児期には古典的な条件づけのようにして与えられる各種の音感を、音楽環境の中で自分の主体的な行動に結びつける二次的なトレーニング、端的に言うなら「オペラント条件付け」への主体的な努力が必要である。「オペラント」とは学習理論において、自発的に行う行動を言う。

6、音感利用の実際:ディチューンの技法
十分によい耳を持った職業音楽家(とりわけ声楽家、弦楽器・管楽器奏者、ティンパニ奏者、指揮者)であれば誰しも、わざと音程をずらすという技法を知っている。

■正しい音程が「音楽的に正しい」とは限らない例
①ヴァイオリン協奏曲では、ソリストが音程を少し高めにとることで音楽のラインが引き立つ
②イタリアオペラの伝統の微妙な音程のずれの存在
・わざと低く・・暗めになる
・わざと高く・・明るめに
③リズムにおいては、一定前向きに傾いたようなリズムが音楽的に正解

職業音楽人として高い成果を目指すのであれば、まず標準的なソルフェージュの基礎を確立するとともに、それを自在にずらし、求める音楽の表現を作り出していく能力を磨くべきである。日本人音楽家は「技術的には世界一」と評価を獲得したが、先に進めないのは「微妙なずれをどう作り出していくか」が問われているのである。洗練の極みとは、絶対音感などではなく、むしろ微細な差異にこそ宿る。

7、微細な差異の体系:能楽・一子相伝される音感
能の伝統は、凡庸な言い回しをいかに回避し、ずらしていくかということに圧倒的な配慮がされている。(例:能管は正しい音程をとらないようにわざと細工がなされている=ディチューン)まず初心者には正しいとされる伝承を、まず型から教えていく。幼少期からこのような経験を十分積んだ上で、青年期から老年期に達する長い過程で、年相応に極めていく。

■能シテ方観世流 二十六世宗家 観世清和師と息子三太郎の場合
(3つの舞台「鞍馬天狗」 仕舞「老松」 能「隅田川」の稽古を例に)

隅田川の「お念仏」の謡いの稽古
観世清和はただ単に謡ってみせ、余計な講釈はせず息子に真似をさせる。元気よく大声で発声できているとほめる(これが十分でないと事後の過程で、謡の身体が十分に伸びない可能性がある)
                           ↓
隅田川の「仏陀」
節回しがあるところで清和師が手のしぐさで音調を示され、そこではじめて三太郎は音高(ピッチ)の存在を知る。ここで自然に親と同じ音程で謡うようになる
                           
「まず元気よく歌い、それをよくほめ、芸が嫌いにならないように、お父さんと一緒に稽古することが好きになる」ように、能楽の一子相伝はなされている。このように、芸を喜び、芸を愛し、芸とともに生きるということを、人生の最初の時点で思う存分身体にしみこませることは重要である。能楽師はまず型から入り、今度は内側から見出していけるかということが、能楽師が成人する家庭で問われる大きなステップである。

清和師自身、高校2年のある日いきなり稽古が変わって、大変厳しい能の稽古への移行があった。これは、幼児期の条件反射的な絶対音感を、成熟した能楽師として自分自身がオペラント条件付けしていけるかという、愛情のこもったシフトチェンジである。

8、複数の音感:レジスター聴について
レジスターとは、ある発音体が基音や倍音系列のどのあたりであるかを指す言葉である。おのおのの楽器の第一音域(基音周辺)、第二音域(第二倍音の領域)、第三音域以上(人間の声なら裏声など)などの差は聞き手に異なる影響を及ぼすものであり、決定的に重要である。

能楽の舞事や囃子は、比較的限られた種類のパターンを、曲により、または人によって変化させて演奏し、その差異の部分に主に名人上手の技量が現れる。それを聞き分けるのは、反射的なピッチソルフェージュでは役に立たない。「絶対音感」などという術語がよろしくないと指摘するのは、このような実態があるからである。

9、総括:市民にとって芸術の才能教育とはいかなる意味を持つか
「美術教育」は絵がうまく書けることが目的ではない。結果に目的があるのではなく、むしろその「プロセスを生きる、動く人間の心と身体」が重要である。同様に音楽も「歌や楽器がうまくなること」「音楽の小理屈を知っていること」が目的ではない。「世界の聴きかた」「森羅万象への耳の澄まし方」と、そこでの精神を教えることが重要であり、生涯にわたって終わることがない。

自分が作曲、演奏することで作曲家、演奏家になるのではなく、人が自分の作品を演奏してくれて、あるいは演奏家として受け入れてもらって、はじめて職業音楽家は社会の全体の中で生命を持つことが出来る。また、職業的であるなしに関わらず、あらゆる人が、おのおのの百人百様の才能に向かって、全面的な可能性が開かれている。
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第8章 余暇と生涯スポーツ

1、労働時間と余暇時間のパラドックス
2004年の調査では、月以上の労働時間は減少している。これは余暇時間が増えているとみなしても構わない。しかし、なぜか余暇時間が減少したと感じている人が増加の傾向がある。これはなぜか。つまり、自分が余暇時間だと思う時間の増減を聞いているのであって、労働時間以外の余剰の時間がそのまま余暇時間と意識されるわけではないことを意味している。

2、余暇の意味と起源
余暇とは、拘束を解かれて自由に費やすことの出来る時間を言う。しかし、余暇はただ空いている時間とというのではなく、何らかの意識的な活動をして初めて「余暇」と意識される側面を持つ。

そもそも人間はなぜ余暇に活動するのか。人間以外にはそれはない。
■デュマズディエの余暇活動の基本的意味
①休息・・・労働力の再生産
②気晴らし・・・余剰時間分の過剰な意欲(闘争心・競争心・性欲など)の発散。大衆的な娯楽やスポーツはこのような背景による。
③自己啓発・・・自己啓発は自己実現にも関連する、達成感を目指す活動である
余暇を存続させている社会的な要因、動機には、そのほかに、非労働型文化または遊びとしての継承ということもある。

3、余暇活動の内容
①スポーツ部門
②趣味・創作部門:園芸・芸術鑑賞・各種学習など(一般的な生涯学習活動はこの範疇に入る)
③娯楽部門:カラオケ・パチンコ・バーなど、大衆娯楽に関する活動
④観光・行楽部門

4、余暇と生涯スポーツ
日本のスポーツは基本的に外来の活動であり、欧米諸国では地域共同活動に属するスポーツクラブを中心に発展してきたのに対して、学校や職場を通じて普及した伝統がある。

現代では、スポーツはストレス解消や活力のはけ口ではなく、芸術鑑賞やゲームの参加に似たものがあり、それは日本人がスポーツに関して、「する層」と「見る層」とに完全に分離されなくなったことと深い関わりがある。

最近は参加型スポーツを楽しむ傾向が強まっており、特に女性の参加が目覚しい。人生の第三期(定年後・子育て後)の延長と生活時間の余裕、多少の経済的ゆとり、健康志向の風潮などが、「する層」と「見る層」の分離という傾向を持っていたわが国のスポーツ状況に変化が生じはじめた。しかし、国際的視点から見ると、まだまだわが国のスポーツ実施の質的な側面は低い水準にある。

ラングランの生涯教育の理念には、重要な内容としてスポーツ活動が含まれていた。そうしたことから生涯学習において、学習とスポーツを別個のものだと考える必要も妥当性もない。

5、生涯スポーツ政策と直面する諸問題
1961年 東京オリンピック開催に基づき「スポーツ振興法」発布
しかし財政難を理由に40年以上も棚上げ
2001年 スポーツ振興投票(サッカーくじ)の収益が見込まれたため、具体的な施策が出来る

■「スポーツ振興基本計画」
2000年までに成人の週1回のスポーツ実施率を50%異常にすること
2010年までに全国の市町村に「総合地域スポーツクラブ」を1つ以上育成すること

■問題点
学習活動とは違い、施設設備(体育館・運動場・プール)が必要とされる。民間では当然のことながら使用目的がはっきりしていて利用者が特定の集団に限られる。

■理由
①公共社会体育施設が人々のニーズに対して適切なサービスを提供できていない。なぜなら、国土交通省や厚生労働省がいくつもの省庁や、地方自治体が施設整備という側面から関与していることなどで、それぞれのスポーツ振興法を薦めているという統一性のなさがあるからである。そのため一貫した長期的なスポーツ振興策がたてにくい。

②生涯スポーツ指導者の質と数の不足

第7章 大学と生涯学習

1、大学の社会貢献機能
狭義の生涯学習は、内容的にはそれほど高度でも専門的でもなく、特定の職業にかかわることが少ないといった性格を持っている。一方、大学は専門的で高度な、特定の職業や資格に結びつくような教育・訓練を提供する場であると認識されてきた。確かに大学の使命は、第一に研究・第二に教育・第三に公共へのサービスであるが、公共へのサービス(社会貢献)機能は軽視され続けてきた。

■大学教員を採用する場合や内部昇進の例
教員の審査をする場合は、著書や論文の数・質のような「研究実績」であり、社会貢献が重要な要素とされることはまったくない。それどころか、教授会を欠席して社会活動をする態度が嫌われたり、マスコミに顔を出す行為が非難の対象になったりする。その傾向は最近になっても変化が見られない。確かに社会人が大学と職場を行き来する「往復型社会」の提言はあるが、具体性に乏しい。

2、大学と生涯学習市場
しかし、今日の大学のおかれている状況は極めて厳しい。2007年には大学全入時代を向かえただけでなく、2005年には私学の3割・短大の4割が定員割れを起こしている。奇しくも同じ時期に団塊の世代の定年が始まる。これにより、減少した18~22歳層に代わる成人顧客層からなる生涯学習市場に、これまでになく大学の関心が集まっている。

3、大学開放の状況
公開講座や社会人学生の受け入れは、すでに1970年代から先進的な大学で実施されてきた。しかし、受講者は伸びているものの、1講座の受講者は著しく減少している。つまり、講座の数によって受講者の増加がもたらされていると言うことである。

■原因
①地域の学習者のニーズが適切に把握されていない
②これまで大きな受講者層を形成してきた「リピーター層」の高齢化
③講座運営の適切性と柔軟性の不足
現在の大学での公開講座を支えているのは、ローテーションで担当となった職員と、ほとんと無収入に近い講義を担当する教員である。

4、大学開放の新たな動向
大学における学問的蓄積・人材・施設設備・学習機会を、入学してきた学生だけでなく社会人にも提供しようという活動が大学開放である。

■2000年 大学の構造改革プラン(遠山プラン)
「社会人キャリアアップ100万人計画」
・大学・大学院への受け入れを2006年までに100万人規模にする
・ITを使った遠隔教育や短期集中コースにより、社会人が学びやすい環境を整える

それに伴い、大学側はエクステンションセンターや生涯学習センターなどの充実を図り、受講生側もリストラなどの雇用慣行の衰退などから専門的な資格を求める動きが急増している。

■質的な変化
①「多様化」・・・学習者の関心の広がりに応じて内容が多岐にわたる
②「高度化」・・・学習者の高学歴や職業技能が複雑化したことによる
③「活性化」・・・受動的な学習者から能動的な学習者への変化

5、都市型私大における大学開放への取り組み
明治大学「リバティ・アカデミー」

■基本的使命(ミッション)1「大学の開放」
①全学部および大学院による専門的教養を提供する公開講座
②教材作成にかかわる調査研究活動
③安全工学などの萌芽的な学問分野の講座
④MOT、CIOなど実学に近隣した分野の講座
⑤英大学の遠隔講義やeラーニングによる講座の配信

■基本的使命(ミッション)2「生涯学習の推進」
①都心立地を活用したビジネスパーソン向けの公開講座
②就・転職を視野に入れた資格や語学関係の公開講座
③企業や官公庁からの研修の受託
④地域活性化に関して地域と協同して行う事業
⑤ハローワークからの委託を受けて行う再就職訓練
⑥司書講習などの専門的な職業資格を取得するための講座
最近では「社会との連携」をキーワードに、産業社会や地域社会との連携も積極的に図られている。当初は60歳以上が約半数を占めていたが、現在では20代・30代(特に女性)の伸びが著しい。

6、大学と生涯教育の今後
大学という非常に豊かな知的蓄積の場から、より大きなものを得ようとする学習者が増えたことが背景にあるが、それ以上に大学側が新しい運営・環境に対応する必要性を痛感し、これまでにない戦略をとり進めていることは重要である。

第6章 学校と社会の連携

1、学校と社会のかかわり
近年の学校教育は声域の中で子供たちを社会化していく機関として確立された。少なくとも、そのように学校と社会を明確に区分することに大きなメリットがあった。それによって、フロントエンドタイプの学校体系が確立されてきた。

戦後すぐ「地域社会学校」という実践があった。それはアメリカのオルセンの「コミュニティ・スクール」の強い影響下の元で行われた。

■コミュニティ・スクールの5つの構想
①成人教育センターとしての機能を持つ
②地域の教育資源を利用する
③地域の課題を教育課題の中に位置づける
④地域の活動に参加し社会を発展させる
⑤地域の教育活動の発展に指導的役割を果たす

高度経済成長で、コミュニティー運動それ自体は解体してしまったが、その後の学社連携理念に強い影響を与えている

2、理念としての学社連携

■1971年 中教審の46答申
それまでの家庭教育・学校教育・社会教育があたかも年齢区分のように考えられがちであったことを指摘。同じ指摘が社会教育審議会答申でも出される。

この2つの答申のため、学社連携の場合の連携主体は「学校と社会」ではなく「学校教育と社会教育」という狭い範囲にとどまることになった。つまり、学社連携の出発点は学習要求ではなく政策レベルにあったということである。

■1986年 臨教審第二次答申
はじめて「連携」の概念が登場する。
「学校開放」・・・学校が地域住民を迎え入れる場合と学校が地域へ出て行く場合の2通り

■学社連携の背景
①青少年の問題状況:都市化・核家族化・少子化・情報化・進学率の上昇などで、青少年の精神的自立の遅れや社会性や連携の欠如が見られた
②学校教育のスリム化:学校教育への過度の期待を反省
③生涯学習社会形成のプロセス:生涯学習社会を実現するには、学校教育と社会教育の協力が必要

しかし現実には学社連携が十分に進展したとは言いがたい。

3、連携から融合へ
1995年 「国立青年の家・少年自然の家の改善について」

これからの生涯学習社会においては、学校と学校外の教育がそれぞれの役割を分担した上で連携を図っていくことだけでなく、それ以上に、相互がオーバーラップしつつ、融合した形で行われていくことが大切である


4、地域に開かれた学校
・生涯学習の立場から・・・学校の積極的な利用によって地域の生涯学習機会を充実させる
・学校教育の立場から・・・地域の物・人文化を利用することで学校教育の活性化を図る

■生涯学習審議会答申
①大学における社会人学習者の受け入れ促進、公開講座の充実
②小・中・高の施設を開放し、学校教育の内容を地域に根ざしたものにすることとともに、「学校支援ボランティア」の導入により、学校と地域を結びつきを強める

■中教審答申
①いじめ・登校拒否・若年層の自殺などの問題を背景に、ゆとりを持って生きる力を育てる
②学校を社会に対して開かれた学校としていくこと
③学校が家庭や地域社会と共同して子供を育てていく
これがゆとり教育の明確な出発点のひとつである。

5、学社連携・融合と生涯学習
このような各地でのさまざまな取り組みであるが、残念ながら生涯学習側への効果は未だ大きなものとはなっていない。また、子供たちも学年進行とともに子供たち自身が忙しくなって地域の成人支援者との活動に消極的なることや、学校を地域に開放することへの学校側の抵抗感が未だに大きい。しかし、現在はようやくその一歩を踏み出したといえる。

第5章 成人教育と社会教育

1、成人教育の背景
成人教育とは、成人に対する教育行為である。しかし、本来的には成人は教育の対象として考えられていない。その成人になぜ教育が必要なのか、また成人教育のためになぜ社会の財の一部が割かれなければならないのか、そして何よりもそれが単なる趣味の集まりでなく、制度的な「教育」の範疇に含められるのはなぜか。

■理由
①学校教育の違いによって生じた社会経済的不平等の緩和ないし部分的解消(経済力の差・出身階層の差・性差)
②国民・市民の基本的な権利としての自己実現要求に応える
③移民順化政策として

2、成人教育の意味
1976年 第19回ユネスコ会議
成人教育を成人に対するすべての組織的教育過程と明確に定義づけている。このように考えると継続教育や民衆教育、社会教育と呼ばれているすべての生涯教育・生涯学習機会を含めることが出来る。

成人教育を限定的に用いる場合は、直接的に職業技能や資格に結びつくもの、イギリスにおける成人の趣味的学習や余暇活動、ドイツの一部の成人教育などである。

3、近代的成人教育の発生と推移ー英米を例としてー
■イギリス
1711年 夜間学校(社会政策としての大衆教育活動)
19C後半 ケンブリッジ大学の講師が国内各地を回る拡張講義
現在  公開大学

■アメリカ
①正規の教育を受けられなかった人や移民を対象にした識字教育、成人基礎教育、アメリカ化プログラム、夜間学校、ライシアム(本来なら学校が行うべき教育活動を補償的に行う)
②ランドグラント(土地交付)大学を各州に設置したモリル法の制定、大学拡張プログラム、公立職業学校
③通信制を取り入れた教育普及活動、日曜学校、公的継続教育機関

<アメリカの成人基礎教育の特徴>
①基本的に移民国家であること
②中等教育レベルでのドロップアウトが非常に多い。
③市や郡によって設立され、公費と寄付でまかなっている
④まったく字が読めないレベルから12年生(高3)までコースがあり、就業には高卒資格が不可欠なため高卒資格取得のための過程や準備過程が用意されている。
⑤性別は女子の受講生、人種ではアフリカ系アメリカ人が比率を伸ばす傾向にある
⑥女性の場合シングルマザーが多い
⑦入学時のレベルは小学校高学年から中学校低学年程度である

4、日本における社会教育の形成
19C前葉  石田心学の講舎(塾)が成人を対象に実践的哲学を各地100箇所以上で教える。しかしこれが明治以降の近代社会に引き継がれることはなかった
明治以降  天皇中心の中央集権国家に適応した考えを身につけさせるための国家主義的な教化活動企図した
1921年(大正10年)  文部省の官制改革により、社会教育行政を推進。社会教育は全体主義的な国民国家の教化および質のいい労働者の育成を目指した「上(国家)からの要請」と一般大衆が教育機会を求める「下からの要求」の混在した公的な教育的営為として成立した。

■上からの要請・・・伝統的な若者組を地域青年団に、婦人に対して婦人会の組織化を図るなど「動員」という形での社会教育
■下からの要求・・・大正期まで徹底して抑圧を受ける

大正デモクラシー  労働学校、農民学校が各地に生まれる。これにも「治安維持法」などの抑圧が加えられたが、政府は青年団天幕講習会や成人教育講座など大衆の興味を引こうとする新たな試みも始めた。しかし、社会教育の理念は、あくまでも国民教化にあったのであり、その後、農村恐慌下の自力更生運動と戦時下での大政翼賛会の成立によって、社会教育は全国民を巻き込んだ国家主義による一大教化運動として体系化されていった。

5、戦後社会教育の復興と変質

1946年 公民館設置運営要領
民主主義を我が物とし、豊かな教養を身につけ、郷土の生活を豊かにする施設として公民館が規定される

今まで教化されてきた国民に、今度は民主主義をうえつけるための社会教育の場として、公民館が中核をなすように期待された。

1949年 社会教育法の成立
社会教育を「学校で行われる教育活動を除き、主として青少年および成人に対して行われる組織的な教育活動」と定義する。
1950年代後半  青年や婦人のグループ学習活動、労働者のサークル活動、母親運動、市民運動が盛んになる
1959年  社会教育法の大幅な改正
これにより補助金による団体指導と行政指導の強化を試みたが、そのことが活動の選別に繋がり、本来自由であるべき学習活動への官僚支配だと批判を浴びる。また公害などで住民運動が盛り上がった。高校全員入学運動や親子映画会など、地域の父母や教師を巻き込んで教育文化活動が高まりを見せたのも、高度経済成長期を通じてのことである。

■公民館活動
教育の機能を果たすというより、農村の会所として伝統的に存在した公民館ではあるが、大都市には大規模な公民館が建設されていったのに対し、農村部の公民館活動は衰退の一途をたどった。

1980年~90年代  市民文化論や生涯学習民営化論などの影響もあって、戦後40年にわたって継続されてきた社会教育行政が、生涯学習社会への移行と言う大きな転換を余儀なくされた。

1988年  生涯学習振興法設立
それまで教育委員会の専権領域であった社会教育の領域に、知事や市町村長が参加してくることを促した。これにより以前の社会教育行政が再建される動きがある。

■生涯学習振興法
民間事業者の協力を生涯学習の振興に積極的に認めているが、民間の成人教育事業が着実にマーケットを拡大してきたという現実を、遅くらばせながら追認したということである。いずれにせよコミュニティーセンターが主要駅前に設置されるなど民間活力の比重を一段と高めた生涯学習活動が展開され始めている。各地で「公民館VSコミセン」と言われる対抗関係が生じているのはそういう背景があるからである。

6、現代の社会教育ー終焉か変貌かー

松山圭一「社会教育の終焉」(1986年)
社会教育行政は国民の市民性の未熟さのうえにのみ成り立つにすぎないので、市民の文化水準が行政のそれを超えている今は、社会教育は必然的に終焉すべきである


トーマスの論理
①市場原理のもとでは、一定水準以上の経済状況にある人々だけしか学習機会を十分に享受できない
②健全な農村社会を維持することは、利潤を生む民間企業には不可能である
③社会的マイノリティに対する配慮をなし得ない
④民営企業は教育に関する専門スタッフを抱えにくい

現在の「生涯教育振興法体制」は社会教育終焉論や民営化論と社会教育擁護論をの折衷的な構造を持っている。今後は多様な学習要求に多様な行政、多様な機関というあり方がもっとも現実的であり、社会教育行政のような包括的な行政への回帰はありえない

第4章 職業と教育訓練

1、職業と職能
職業は単なる労働ではなく、社会の分業体系に組み込まれた一定の職能を伴う持続的活動である。しかし、旧来のフロントエンドタイプの教育システムであっても、学校だけで実際の職業的スキルをすべて身に付けさせてきたかというとそうではない。
①職場で必要とされる実際的名知識技能は就職後に提供されなければならない
②昇進や配置転換で、そのつど新たなスキルを身に付ける必要がある
そこで、就職後の職業生活においても、なんらかの形で教育訓練の機会「企業内教育」が求めらることになる

■企業内教育について
日本社会では、伝統的に職業に従事しながらそれを十全に遂行するための技能を取得すること「OJT(On-the-Job-Training)」が堅固に根付いていた。それは商家の丁稚制度や職人の徒弟的な伝統の継承があり、終身雇用制による企業の「囲い込み」が常態となっているからである。

2、日本型企業内教育とその変遷
■徳川期
町人学・・・読み・書き・そろばん、商人・町人としての心得や知識、技能、生活上の倫理(三網五常十義)などの指導が、商家の手代、丁稚や親方についている徒弟に対する教育の基準となっていた

■明治期以降
官制や企業付設の職工養成所が設けられた。しかし民間の製造業では、義務教育終了後に職業教育を就業しながら行うというOJT的な携帯が継承されていた。それは第二次大戦後にも基本的には継承された。

■戦後
しかし戦後は次第にアメリカの合理的経営管理教育に基づく人事教育が入ってくる。最も影響力の大きかったのはデミングの開発したQCである。
QC・・・Quality-Controlの略。品質管理だけでなく、「QC活動」として経理や総務にもサークル活動として浸透した。
とはいえ、一般的には終身雇用や年功序列、企業内組合、新規学年一括採用など、いわゆる「日本型経営」が堅固であることには代わりはない。

3、OJTの経済合理性

■ベッカーの定理
働く労働者が一定期間の訓練を受ける
         ↓
その間生産に従事しない(当然訓練を受けていないものより賃金が低くなる)
         ↓
訓練後、受けなかった者より生産性が高くなる
         ↓
企業は長く仕事に従事するように動機付けるため、生産性の上昇分の一部を賃金に換金する
         ↓
企業にとっても労働者によってもその技能を有能に活用できる
         ↓
労働者の企業内部への「囲い込み」


4、日本型雇用制度の変化
■日本型雇用制度が近年見直しを迫られている理由
①著しい技術革新(コンピューターの導入)
技術の陳腐加速度が早まり、従来型の「熟練」の価値の低下
②雇用携帯の変化
フルタイム正社員→契約社員→パートタイマーへ
女性労働力の増加傾向
③労働と個人生活との関係の変化
技術革新により労働時間の短縮が進み、生活の重心が自由時間や余暇に移ることで、実労働時間からOJTを排除する風潮や新たな技能の習得は自己責任の範疇に属するという風潮を生む

このような理由から、従来の企業内教育を維持することが難しくなっている

5、リカレント教育とその背景
ラングランの「生涯教育論」では、「生まれてから死ぬまで誰もが与えられた教育を強制される」という印象があった。コレに対して批判の先頭に立ったのが教育研究革新センターであり、「リカレント教育」という教育改革理念を打ち出した。

リカレント教育は、すべての人に対する義務教育終了後または基礎教育終了後の教育に関する総合的戦略であり、その本質的特徴は、個人の生涯に渡って教育を交互に行うというやり方、すなわち他の諸活動と交互に、特に労働と、しかしまた、レジャーおよび隠退生活とともに交互に教育することにある

■簡潔なまとめ
①従来青年期に限定されていた教育機会を個人の全生涯に渡って分散
②学校による教育と職業経験とを交互に行うことによる効果を重視
③そうしたシステムが十全に機能するように諸環境を整備すべき

6、近年の取り組み
それには18歳未満人口の減少に伴う経営危機から社会人をターゲットにした市場の拡大という要素があることは疑いのない事実である。

また、企業内教育においては、新しい技能や知識を習得する必要が生じた場合に、直属の上司や先輩が指導役「メンター」「エルダー」と呼び、ある程度専任化・組織化することでOJTを効果的に動機付けしようとしている企業が多くなった。

一方、従来型の職能教育・企業人教育の範疇でなく、啓発教育などの活動も活発化している。企業ではこのような自己啓発活動に対して、通信教育の費用補助・資格取得への援助・講習会への派遣・学会への参加援助などの支援を行っている。

定年準備教育では、定年後の不安や緊張を緩和し、定年後の生活への適応を図るための教育プログラムがある。(PREP)

第3章 人材養成と学校教育

1、近代社会における人材概念
人材は、単に労働者とかサラリーマン、社員などという表現とは異なり、企業や職場にとって役立つ具体的能力や知識、技能を有する働き手といった印象で用いられる概念である。

一般に、資本主義的な生産形態は、その進展に伴っカンやコツといった熟練した働き手に固有の複雑な技能を単純化し、伝統的な職能を解体していく傾向を持っている。一方で、一定の職務につくための学業水準は確実に上昇している。

20年前は一部の技術者のみが使っていたパソコンが、いまやかなりの職場で必須となっているように、このような技能水準の上昇は、必然的に数学や外国語の要求水準を上げる。つまり現代社会は、個人の特殊な熟練はそれほど求めないが、汎用性のある能力は、要求水準を高めていくという傾向を持っている。

2、学校の人材養成機能
■アメリカの教育学者ホッパーの「学校教育の中心的機能」
①社会化
その社会の自立した構成員として必要とされる知識・技能を身につけ、規範を内面化すること
②選別
子どもたちを彼らの能力・実力に適合した階層的地位に振り分けるための評価
③正当化
①②の機能とその結果を正当なものとして認定し、一定の権威を持って明示すること
(これが一番大事)

このようなシステムを従前に機能させるため、学校教育には全員が意欲的に参加するように仕向ける機能(ウォーミング・アップ「国民的統合の基礎))と、選抜の結果をスムーズに受け入れる機能(クーリング・アウト「職業階層への分化を軋轢泣く進める機能」)が備わっている。

3、教育暦(学歴)と人材雇用市場
教育暦の高いものは短いものより高賃金で、良好な雇用条件の元に働いている。しかしこれには次の4点が常に成立していないといけない
①教育・訓練には人々の生産性を高める効果がある
②教育・訓練を受ける人々は、対費用効果が最大になるような教育への教育への投資行動をとる
③労働市場は完全に競争性であり、情報の伝達も安全である
④人々は、訓練・教育によって、すでに一定水準の技能や知識を身に付けた労働主体として市場に登場する

しかしこうした前提は、恒久的に成立するとはいえない。なぜなら大卒者より有能な高卒者の存在が決して稀ではないからである。なぜなら、実際は就職してから学ぶことのほうが多いのが現実であるから。ではなぜ高学歴者はそうでないひとより高収入なのか。

■スクリーニング(ふるいわけ)仮説
求職者は自分の能力を最大限に見せ、雇用側は必要な能力をより少ない費用で確保しようとする。そのような関係では、雇用側が個人の能力を適正に把握することは難しい。そこで「性別、年齢などの属性」「職歴・学歴・成績・資格などの業績」「実施するテストの結果」「面接」などによって篩い分ける(マーケット・シグナリング)

マーケットシグナリングには雇用差別の要因を背t名する統計的差別理論がある。人種や女性、低学歴者を門前払いすることがあるが、これは雇用側がそういうグループに属するものは生産能力値が平均より劣るということを、統計的・経験的にしって(あるいは信じて)採用を差し控えるからである。その結果求職者は、さしあたり学んだ中身ではなくラベルとしての教育暦をアピールすることになる。・・・学校教育の空洞化

実は、あらゆる労働市場でも求人・求職競争は完全に自由ではない。例えば中間管理職に空きが出れば、外部募集をせず内部の昇進で埋められる。・・・内部労働市場

それに対して求職者と求人者が賃金や雇用状態を媒介として取引する公開の競争的労働市場は「外部労働市場」と呼ばれ、新規卒採用・特殊な能力や技能を持つもの、パート職などである。

内部労働市場では若い新卒者が選好される。技術そのものではなく訓練しやすさ(トレナビリティ)に関して行われる。これが学歴競争を激しくさせる最大の要因である。新卒者は働かせてみないとわからない一面がある。教育暦はそれを推測する最も重要な情報のひとつとなる。

4、日本型学校教育の特質

■アメリカのカミングスの分析
①教育に関する関心の高さと多様性
②低コスト
③平等な教育条件の配分
④カリキュラムのレベルの高さ
⑤統合性
⑥身分の保証された教師
⑦良心的な教師
⑧全人教育への指向
⑨公平な授業

■カミングスが触れなかった高等学校における実践を中心に観察したローレンは「日本の学校教育は非常に効率的で、建前としては平和主義を堅持し、秩序だった教育実践が行われている」と指摘している

■学校戦後教育の特徴
①戦後一貫として単線型に近い形態をとっていた・・エリートと大衆という二極分化が起こらない
②厳密な年齢主義を堅持してきたこと・・・進級は年齢のみになり、能力による階層化が阻止された
③学級(学校)家族主義という文化を堅持してきたこと・・・本来なら大に集団であるはずの学校を、あたかも第一集団のように意識させ、統合性を高める上で効果を持った
④教員の質が保たれていること
⑤家庭との関係が保たれていること・・・学校教育の正当性が保たれてきた
⑥上級学校への入試の厳しさが維持されてきたこと
⑦努力主義が文化として尊重されてきたこと

5、日本型学校教育の変質

1980年代・・・受験戦争の激化、教育需要の多様化と不整合、親の高学歴化とのギャップ、画一的過ぎる平等主義
1984年・・・学歴主義の弊害が取りざたされる(学校改革が論じられる)
1990年代・・・様々な不整合が生じるが、改革は実現までに時間がかかったり、タイミングを逃したり中途半端な改革で済まされたりした。
①学力低下
②画一的試験制度の問題点と顕在化:大学の受験科目にない勉強はしない、点の取りやすい科目に人気が集中する
③組織としての学校集団の危機:いじめ、学級崩壊、教師のアパシー、全人教育の危機
④規範形成力の低下と逸脱行動の増加:非行数・非行率の増加

6、フロントエンド・システムの見直し
一度学校を卒業したら再びそこに回帰出来ないというシステムを見ることが問題である。個々人の必要に応じて自由に学習と労働の間を行き来でき、そのことによってなんら不利益も被らない、という制度を整備していくことが有効な解決策となる


第2章 近代化と教育

1、前近代としての封建社会
封建社会は、農業生産が発達し、安定したことにより、それ以前の軍事的優越性などの目に見えない条件ではなく、恒久性のある実態的な生産手段としての土地の所有を源泉とすることの可能となった社会である。つまり、所有する土地が支配力の客観的な指標として明示されることである。それゆえ封建社会は、必然的に身分制社会という形態を取る社会であった。

しかし、封建社会での土地所有者は、より高い地位や権力を欲し、戦闘力を保持することで主従関係や所領の安堵という土地所有の正当性を根拠とするのが一般的になった。権力者の支配の正統性は、絶対的な宗教的権威に裏打ちされることにより安定する。封建制での身分制も、宗教を精神的支え(正当性の原理)として、人を統制していった。

しかし中世末期の農業革命と商人資本の蓄積、エンクロージャー(土地囲い込み)による都市への人口集中などにより状況は一変した。

封建社会の末期には、共同体を解体して市場経済を広く浸透させることで利益を得た産業資本家(プチブルジョワジー)層が、領主や聖職者と対立し、18C以後、従来の社会的勢力を打破するだけの勢力を身に付けた産業資本家層によって引き起こされた市民革命が起こる

2、伝統的な秩序と規範の崩壊
市民革命は、封建制と秩序を破壊し、市民社会を創出することに成功した。しかし一方で、人々の結びつきや伝統的な規範、宗教道徳を弛緩させ、弱体化させてしまった。

しかし、一時的に無秩序化しても産業の発展と合理的な活動によってやがて改善されるはずだという楽観論がはびこった。福沢諭吉の「学問のススメ」もそうした放任主義的な自然調和観に基づいてかかれたものである

■学問のススメ
福沢諭吉が最も強く主張しているのは「人は平等に生まれた」ということではなく「平等に生まれたはずの人間に上下の差が生じているのは、実学的な学問により自らの価値を高めたか否かである」ということである。

3、市民社会における身分制学校の利用
しかしその後、個々の産業資本家による利潤追求が社会の利益と相反することが往々にして起こった。(例 女工哀史)機械化に伴い、熟練を要しなくなった肉体労働は、産業資本家や親によって児童・年少者の労働需要に拍車をかける。

このような中で社会改良家は、対応策として被支配層の子女のための学校「ビレッジ・スクール、寺子屋」を提唱する。しかし、従来の支配層が自分たちの身分や特権を世代を超えて維持するために運営していた学校は形を変えて(大学や藩校)存続していた。

4、国民国家と国民教育
国民国家とは、市場経済の発達によって形成された民族的統合を基礎に、民族的同一性を持つ人々が、自国意識と共族意識を持って成立させた、排他的な主権を有する政治的統合体を意味する概念である。

■国民国家の条件
・近代市民社会である
・一定の同一性を持つ国民からなる国家である
・言語・文字・度量衛・通信・報道といったコミュニケーション手段に共通性があること
・単一の中央集権的な政体の存在
これらに加えて、他の国民国家に対する独自性を有していること

■国民としての態度と行動
①国内で必要とされる何らかの生産活動に参加すること
②生活財を得るための消費活動に参加すること
③社会生活への参加

5、学制序文と教学聖旨

1872年 「学制」の序文
1879年 「学制」を廃して出された「教育令」の教学聖旨

学制は自由放任的な教育観を提示したのに対して、教学聖旨は明らかに一定の国民形成に向かって明確な姿勢を打ち出している。これが後の1890年「教育勅語」に繋がる

第1章 生涯学習の理念

1、生涯学習前史
明治5年の学生発布以来、日本では100年以上の長きに渡って西欧型の学校教育システム体系が行われてきた。その背景には近代社会が産業化を進めていく上で効率的な教育システムを求めたという背景がある。それは、準備期間と活動期間を混在させずに、準備のみを目的とする期間を前もって一定期間に終えておき、その上で生産活動にその成果を最大限に活用していくという「フロントエンドタイプ」の教育システムが適していると考えられたからである。

2、生涯教育理念の登場
しかし、第二次世界大戦後の社会と経済の復興が第一段階を迎えたころより、産業化の進んだ諸国の教育システムには変化が生じる
①質や多様性に対する社会の要請が強まった
②直線的に拡大してきた学校教育と教育政策に疑問が呈されるようになった
③技術革新の発展により、フロントエンドタイプの教育が効果を演じてきた

生涯に渡って学ぶという概念は、1960年代に登場したが、当初は生涯学習ではなく生涯教育として提唱された。当時のユネスコ成人教育課長ラングランは次のようにまとめた。
■ラングランの生涯教育
「生涯教育は生涯にわたって統合される教育である」(アンチフロントエンドタイプの教育論)
①人の誕生から死に至るまで、一生を通じて教育の機会を提供する
②人間の発達における総合的な統一性という観点から、様々な教育機会を調和的に統合する
③労働日を調性し、教育活動や文化活動に利用しうる休暇などの措置を促進する
④既存の小中高等学校を地域文化センターとして活用する
⑤従来の教育観を根本的に改め、教育本来のあるべき姿を回復するために、生涯教育の理念の浸透に努める

ラングランの教育理念は、社会と人々の側からの両方の要請があげられた。技術の進歩はオートメーション化、労働時間短縮を実現し、生活の中に「生きがい」や「自己実現」を追及する余裕を与えたためである。

3.生涯教育と生涯学習
ラングランの教育理念には「人が生涯に渡って教育される」という批判も多かった。そこで、1972年に元フランス首相フォールを委員長とするユネスコの教育開発委員会は「フォールレポート」をまとめる。①学習者を教育される客体としてではなく、自己教育の主体としてとらえなおすこと
②社会的地位や財産知識などを手に入れるための「持っために学ぶ」から「人として生きることを学ぶ」へと転換すべきである(知ることを学ぶ)
フォールレポートは「生涯教育から生涯学習へ」という大きな転換を決定付けた

■生涯学習の理念
制度的に支援され、権威によって提供される
生涯学習は、より自立的、自己管理的名活動をシフトした概念である。

4、生涯学習の現代的意味
1989年 「生涯学習の振興のための施策の推進体制の整備に関する法律」(生涯学習振興法)の成立。
1993年 ユネスコの21世紀教育国際委員会設立。1996年ドロールレポートを出す。
「知ることを学ぶ」「為すことを学ぶ」「「ともに生きることを学ぶ」「人として生きることを学ぶ」の4原則を提示。
1999年 ケルン憲章
「われわれの社会的、経済的目標を達成するためには、生涯学習への投資に対する更なるコミットメントが必要である」
①生涯学習は貧富を問わず無料であるべき
②生涯を通じて学習を継続することを奨励または可能とすること
③発展途上国は援助を受けるべき

■生涯学習の定義
生涯のあらゆる時点で、あらゆる場において、あらゆる教育資源を活用してなされえる、自発的かつ自立的な学習行動



5、生涯学習をめぐる諸概念
■継続教育
義務教育の後という意味では職業補習教育、中等教育の後では専門教育、就業後であれば現職教育、学校教育後と言うことであれば成人教育を言うことになる。

■成人教育
成人に対して提供される教育を言う。職業的な知識技能や専門性の高い教育は含んでいない。何らかの事情で学校教育機会を逃してしまったり、移民などで新たな社会化が求められる場合に、成人後教育は提供される(識字教育・移民教育)しかし今日では趣味や楽しみなどのレクリエーション目的にも対象が拡大している

■高齢者教育
背景には高齢化の進展で、職を退いた後も余生とは捉えられなくなったこと、年金で高齢者にも経済的名余裕が出来たこと、高齢者全体の学習意欲の高まりなどの要因がある。高齢者に対する教育には、社会的地位役割の考慮、一般の成人とは異なった動機付けの方法などが必要であり、成人教育の延長線上にあるものではない。

■リカレント教育
学校教育が終了した後に職業生活に入ってからも、必要に応じて教育を受けなおすこと。どちらかというと教育を受ける側から見た概念ではなく、提供者側の意味合いが強い概念である。職業技能の向上といった現実的で具体的な目的のために制度的な教育機会に回帰するのが本質である。

■リフレッシュ教育
1993年に当時の文部省から出された新しい概念
①対象者が職業人であること
②教育内容が職業上の知識・技能に関するものであること
③実施機関が高等教育機関であること
それまでの社会人特別選抜や夜間大学院、昼夜開講制、科目履修制度などの、職業人に対する柔軟な高等教育機会の提供という大きな枠組みの中に整理したもので、現実には高等教育政策と生涯学習政策との相互補完的融合である

第8章 身体活動能力とその発達に及ぼす遺伝的要因

1、遺伝学研究の方法

■動物実験にみる遺伝の証拠
「親から子へ」というのが、文字通りの遺伝の概念であるから、累代の表現形(外から見てわかる特徴)を観察して筆禍うするのが最もシンプルで説得力がある方法である。

米国のラットの持久的運動能力の遺伝の証明
メス・オスそれぞれ96匹のマウスの運動能力を測り、最も高い群・低い群の中だけで交配させるという操作を6代まで繰り返す。その結果、世代が下がるにつれて高能力群と低能力軍の差が大きく開くことがわかった

■人間の遺伝学研究
家族(家系)内の類似性を手がかりに遺伝的効果を探る。遺伝子を一定の割合で共有する血縁者の間に類似性が認められれば、その形質が遺伝的に決定されていることを示唆する。しかし、2万はある人間の遺伝子の中から目的のものを探し出すのは容易ではない。
・表現型から遺伝子へ・・・トップダウン
・遺伝子から表現型へ・・・ボトムダウン

2、遺伝的効果の捉え方(双生児を中心に)

■類似度の定量
双生児データの有効性


遺伝子の共有割合
対差の由来
生活環境の類似度
一卵性
100%
環境
同じ
二卵性
平均50%
遺伝子
環境
同じ

■遺伝率の解釈上の留意点
①級内相関係数(R)、遺伝率(H2)は分数の比
・表現型分数(VP)は、標本分数の「社会」に依存・・・トップダウン型研究に共通
②双生児対の生育環境の類似度
一卵性>二卵性なら遺伝率は上昇

3、身体活動能力にみられる遺伝性
■遺伝率・遺伝的分散
遺伝子の関与は、持久的運動能力ではあまり強くないが、瞬発的能力ではかなり強い可能性がある

■遺伝子の探求
①ACTN3遺伝子と運動能力
<性質>
・速筋繊維に特有のたんぱく質を作る(働かない人が一定割合存在する)
<研究方法>
オリンピック選手などの一流選手
3タイプ(RR・RX・XX)の出現頻度を比較

②ACE(アジシオテンシン変換酵素)遺伝子
・Ⅰ型、D型→3タイプ(Ⅱ、ⅠD、DD)
・心臓機能と関係している
・運動能力との関連

このような運動能力に関連するとみられる遺伝子はいくらでも見つかっている

■身体活動能力の成長・発達
若い人を対象とする場合の難しさは、彼らが発達途中であると言うことである。最終的名到達レベルへと向かう過程にみられる個人差まで扱うことになる。

PCI(成長・発達を通じてパフォーマンスが高い・低いことを表す成分)に遺伝関与が見られることは従来からわかっている。片方が早熟ならもう片方も早熟で、晩熟ならもう片方も晩熟である。

4、まとめ
・遺伝率X%→個人能力のX%が遺伝で(100-X)%が環境
・対象はあくまで集団である
・社会のありかたを反映している
・遺伝子の力を表す絶対的な値はない
そういう意味で、「遺伝子ですべてが決まる・決まらない」の論議は無意味である

第7章 偏差値に基づく能力評価の意味と限界

1、偏差値とは

■偏差値とは
あるひとつの基準で測定される課題の達成度(パフォーマンス:そこから潜在的な能力が推測される)は、対象が人間であり、しかも一般の人々を代表すると見なせるほど大きな集団であれば、ほとんどの場合に「正規分布」すると言われる。
seiki_graph.gif

人間のパフォーマンス分布がこのようになるという経験的事実は、平均を集団の代表値とする一般的な慣習の根拠となる。ただ、個人差(ばらつき)についての情報は全く得られない。そこでばらつきの指標として「標準偏差」(S」がある。
stdev3.gif
(こういうのは苦手なので説明は飛ばします。さっぱりわからん・・)

■偏差値の実用上の意味と限界

あるひとつの基準(方法)で測定された

ある特定の集団のパフォーマンスの中で

パフォーマンス分布の正規性を前提としている

すると理論的に
・異なる基準で測定されたパフォーマンス同士は比較できない
・同一の基準で測定されても、異なる集団から得られた偏差値は単純に比較できない
・そもそもパフォーマンスが正規分布しない場合には解釈が難しい
等が導かれる

2、具体論から考える偏差値の意味と限界

■体力が低下している子ども・青少年は誰?
子ども・青少年の体力が低下しているというのは、今日ではもはや常識である。しかし一方では、国際的なスポーツ競技大会で10代の日本人選手の活躍が目覚しい。全国高校体育連盟の記録では、陸上競技においてはまったく低下が見られず、むしろすこしづつ向上していることがわかった。

■推論
現象1・・・子ども・青少年の運動能力の低下
現象2・・・トップレベルの水準はむしろ向上
このことにより、個人差が下方へと拡大しているのではないか

3、学力とは何だろう?
入試上位者のうち入学後も成績が上位だった人、逆に入試下位者のうち入学後も成績が下位だった人の割合はともに55%であった。特に成績下位者が下位に留まるという点で、入試成績よりも高い相関がみられる

■推論
①入試後の成績の相関
一般入試の成績<高校(AO、推薦入試)の成績
②入試後の成績の水準
一般入試の入学者<AO、推薦入学者

大学入試センターによれば、全国の大学が掲げる「求める学生像」には、基礎学力や教科学力に続いて興味、関心、思考力などの語が頻出する。後半の三つは通常の筆記試験で測ることは難しい。一般的な入試の成績と入学後の成績の相関が低いことの背景には、おそらくそういうものがあるだろう。

3、まとめ
偏差値が便利であることは間違いない。しかし、正しい意味や限界を踏まえてデータを吟味する姿勢は必要である。

2004年、国際数学・理科教育動向調査2003で、各新聞が「理数の学力 小中も低下」と見出しをつけ、1999年から2003年までの4年間、中2の成績がに579点から570点に低下したことを記載。これにより大騒ぎになる。

しかし、翌日「平均点を500点として相対的に算出した」との記載があり、結局これでは日本の国際的な偏差値は、前回より平均に近づいただけであることがわかる。偏差値に基づく能力評価にまつわる問題の多くは、偏差値それ自体の性質よりも、人々の利用、応用の仕方に起因する。

■報道問題からわかること
①平均得点の低下(579から570)
②得点は全体平均を500点としたときの相対値
これにより学力が低下したとはいえない

プロフィール

Mikami Kako

Author:Mikami Kako

おことわり

保育士・図書館司書に関しては、旧システムによるものなので、現在のもの科目編成や内容にずれがあります。放大についても閉講科目が含まれます

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