4.調査内容の決定(2)

1.調査票の構成
(1)調査項目の配列は、回答者が答えやすいよう、一定の流れをもつようにする。
(2)関係する項目をまとめて配置する一方で、質問の順序による影響を考慮しなければならない。前の質問への回答が後の質問への回答に影響する(キャリーオーバー効果)恐れのあるときは、2つの質問は離して配置しなければならない。
(3)調査票の冒頭は、回答者にスムーズに協力してもらえる雰囲気を作るために、特に重要である。
(4)回答者が答えにくい、抵抗のあるような項目は、最初にはおかない。
(5)質問が多すぎると迷惑がかかる。1回の調査で許されるのは、面接なら30~40分であろう

2.質問文の性質
●質問文が備えるべき性質
「妥当性」・・得ようとする情報が的確に回答してもらえる性質(一番大事)
「信頼性」・・回答の安定性ともいう。同一の事象なら同一の回答が得られる。一般的には、現在の自分からかけ離れている事象に関する質問は、信頼性が低くなる。
「比較可能性」・・他の調査結果と比較できる

●誘導的質問
回答者を一定の方向に誘導するような質問を避けなければならない。
(×)世間では・・・と言われていますが、あなたは・・?
(○)・・・という意見に、あなたは賛成ですか?

●質問と回答の役割
投げかけられる質問が中立的であること、すべての回答者にとって同一のものであるということ

●避けるべき質問文
①あいまいな言葉を含んだ質問
②難しい言葉を含んだ質問
③ステレオタイプを含んだ質問
④二連発銃質問
⑤やたら長い質問

3.選択回答と自由回答
●選択回答法・・・調査票に(回答の)選択肢が印刷されていて、回答者がそれを選ぶ。
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社会調査3:調査内容の決定(1)

1.社会調査の企画
①調査内容:何について調査するか
②調査対象:誰に対して調査するか
③調査方法:どうやって調査するか
④集計・分析の基本方針

2.社会調査のテーマ
(1) 社会調査は「現在」の状態の把握である
(2) 特定の時代や社会・自然的集団・大規模組織に関わる現象、長期的・累積的社会現象は調査で扱うしかない
(3) 個体の状態にばらつきのある現象しか調査では扱えない
(4) テーマの水準を統一することが必要である
(5) その他、調査に適している問題であっても、経済的コスト、調査に伴う危険、あるいは社会的影響などの観点から、実施が困難なものもある

3.記述と調査事象の概念化
①記述項目(被説明項目)・・・記述の対象となる項目
『説明』・・・調査の結果、「なぜそうなのか」という問いに答えること。仮に説明の仮説が正しいとした場合、測定値間に現れる関係について述べたものが「作業仮説」である。
②説明項目・・社会調査データを用いた説明のためには、説明(仮説)とそれに対応した説明項目を準備しておくことが決定的に重要である。
③コントロール項目・・同一の状態の調査対象を選び出したり、同一状態のグループに分割したりすること。
④基礎項目

社会調査2:社会調査の用途と歴史

2.行政調査
最も代表的な行政調査は、国勢調査である。統計によって結果を公表すべき調査は、指定調査と呼ばれる。
・継続性:一定感覚で計画的に継続されていること
・全国性:国内すべての地域で調査が行われていること
・網羅性:すべての国民が調査の対象となること
・直接性:届出に基づくものなのでなく、直接調査すること
・統一性:統一的な方法で調査すること

社会調査1:現代社会と社会調査

2.社会調査の性格
・集団的特性の把握:社会調査が明らかにしようとしているのは、注目する社会事情に関する社会(または社会集団)自体の集団的特性である。
・現地調査によるデータ収集

3.個人の耳目と社会調査
・調査票調査:客観性という意味では非常に優れている
・聴取調査:調査の進め方が調査者の主観的判断に大きく依存する

14. 英語で戦争を語る

(ハッサンの父はアミールの父の使用人である)
凧揚げ合戦は、アフガニスタンに古くからある伝統行事だった。大会は朝早くから始まり、優勝したタコが空を舞っている限り終わらなかった。ある年には日暮れを過ぎてまでやっていたことがある。人々は歩道や屋根の上に集まって応援するのであった。道は糸をぐいっとひいたり引っ張ったり、敵の凧の糸を切るために有利な場所を取ろうとする参加者でいっぱいだった。
凧揚げ合戦の選手にはすべて糸を繰り出す助手がついていた。僕の場合はそれがハッサンだった。

あるとき、最近近所に家族で引っ越してきた生意気なヒンディ系の子が、「故郷には凧揚げ合戦には厳しい規定や規則がある」と言った。「決められた四角の中にたたないといけないし、風に対して直角に立たない」といけないんだと彼は自慢げに言った。「それにガラスの糸にアルミを入れたりしてはいけないんだ」

ハッサンと僕はお互いに顔を見合わした。そして笑い転げた。ヒンディ系の子は、イギリス人が今世紀初頭に学び、ロシア人が1980年代後半までに学んだことをじきに学ぶだろう。つまり、アフガニスタンのように独立心がの強い人々だということだ。アフガニスタン人は習慣は大事にするが規則は忌み嫌う。だから凧揚げ合戦の場合も同じだった。規則は単純だった。規則なしということだった。タコを上げろ・相手の糸を切れ・頑張れ(あとは知らないよ)。

ただしそれが全てではなかった。本当の楽しみは凧の糸が切られた時に始まるのであった。そこで、凧追いの出番が来るのだった。つまり糸を切られたまま風に乗って近所を漂っている凧は、くるくる回りながら畑に落ちたり、誰かの家の庭に落ちたり気に引っかかっているタコを追いかけている子供たちのことだ。
みんなかなり激しい形相でタコを追った。凧追いの一軍が街いっぱいに広がり先を急ぐのだったが、それはまるでいつかどこかで読んだスペインの牛から逃げる人のようであった。ある年に近所の子がタコを取ろうとして松ノ木に登った。彼の重みで枝が折れ、彼は9M近くも下に落ちた。背骨が折れ、二度と歩けなくなった。でも彼は手にタコを持ったまま落ちた。そして凧追いの市中にある限り、誰もそのタコを奪うことはできなかった。それは規則ではなく、習慣だった。

13. 周縁からの欲望(3)

(IBMでの仕事がつまらないのでやめてしまう。そして民間人の家に留守番として雇われるが、そこには同じアフリカ出身のセオドラという家政婦がいる。彼は、自分がかつて植民地支配をしていたオランダ人の末裔だということから、セオドラと仲良くなれない)

そしてこの、自分の年齢の半分しかない人間が、この領域の責任者となったのだ。彼女の態度によって、そして彼女の沈黙によって、セオドラは、彼のことをよく思っていないことを知らせる。彼は彼女を咎めようとは思わない。彼女の憤りの背後には、単に誇りが傷ついたという以上のものがあるのだろうかというのが問題だ。彼女は彼がイギリス人であるというのを知っている。彼女は南アフリカ人である彼、白人である彼、アフリカーナ(アフリカーンス語を話す白人:オランダ系白人)である彼に対して、人として腹を立てているのであろうか?

彼女は、アフリカーナがどのような人を指すのかを知っているに違いない。アフリカーナはアフリカ全土にいる。ローデシアにもアンゴラにもケニアにも、もちろんマラウィにも。半ズボンで帽子をかぶって大きな腹をした男だち、ドレスを着たずんぐりした女たちだ。彼がこのような人間の一員ではないということを、彼女に理解させるために、彼に何かできることはあるのだろうか?彼はアフリカを去ったのであり、永遠にアフリカをおいてくることを決心した人間であることを理解させるために。
「アフリカはあなたが所有するものであり、あなたの好きにしていいものだ」もし彼が出し抜けに台所のテーブル越しに彼女にそう言ったら彼女は彼についての考えを変えるだろうか?

「アフリカはあなたのものだ」彼がまだその大陸を故郷と読んでいた頃には、まったく自然だと感じられていたことが、ヨーロッパの視点から見ると馬鹿げているように感じる。数人のオランダ人が歩いてウッドストック海岸を上陸し、今まで見たこともなかった土地の所有を主張したということが。彼らの子孫たちが今は自分たちの所有物だとみなしていることが。

最初の上陸部隊が命令を聞き間違えた、またはわざと命令を誤解したということを考えると、二重の意味で馬鹿げている。
与えられた命令というのは、菜園を掘って東インド艦隊のためにほうれん草と玉ねぎを栽培しろということだった。2エーカー、3エーカー、もしくはたった5エーカー、たったそれだけが必要だったのだ。アフリカの最もよい土地を奪うきはなかった。もっと彼らが命令に従っていれば、僕はこの場にいなかったし、セオドラにしてもそうだった。
セオドラは、マウィの空の下で楽しくキビをこしているだろうし、彼は何をしていただろうか。彼はアムステルダムの事務所で台帳をみているだろう。

12.周縁からの欲望(2)

彼がイギリス人になったと認められる前に、彼はどのぐらい長いあいだイギリスにすまなければならないのであろうか?イギリスのパスポートをとることで事足りるのだろうか?それとも、奇妙に聞こえる外国の名前は、彼が永遠に締め出されることを意味するのであろうか?そして、イギリス人になること・・そもそもそれは、どういうことなのだ?
イギリスは2つの国の祖国であり、彼はそのどちらかを選ばなければならない。上流階級イギリス人か、中流階級イギリス人のどちらかである。彼はすでに選んでしまったようだった。彼は中流階級の制服を着て、中流階級の新聞を読み、中流階級の話し方を学ぶ。
しかし、このような外見上のものは、彼が受け入れられるには十分ではない。はるかに及ばないのだ。中流階級の受け入れ、それは1年のうちの特別な日の特別な時間だけ有効なのではなく、完全な受け入れというものは、彼の理解のなかでは何年も前に、さらには何世代も前に、決して彼には明らかにされることがないことに従って決められてしまっていたのだ。

労働者階級に関していえば、彼はこのクラスの娯楽(サッカー、パブでの飲酒)は共有していないし、言ってることもほとんど理解できないし、歓迎されているように感じることはこれっぽっちもなかった。IBMの女の子たちはそれぞれ労働者階級の彼氏がいて、結婚や赤ちゃんや公営住宅についての話題でいっぱいで、こちらが話しかけても冷たい反応しかしない。彼は確かにイギリスに住んでいるが、それは労働者階級の招きではなかった。

もし噂を信じるなら、ロンドンには南アフリカ人が何千人もいるはずだった。カナダ人もオーストラリア人もニュージーランド人もアメリカ人もいる。でも、これらの人々は移民ではないし、ここに定住するためにいるのでもないし、イギリス人になるためにここにいるわけではない。この人たちは、楽しむために来たか、勉強するために来たか、ヨーロッパをツアーで回る前に少し金を稼ぎにきたに過ぎない。この人たちはイギリスにうんざりしたら、家に帰って本物の生活を再開させるのだ。

ロンドンにはヨーロッパ人もいる。語学の勉強にきている人だけでなく、難民や古い時代のドイツのナチスの難民たちが。しかし、彼らの状況は彼とは違う。彼は難民ではない。というか、彼の中で、自分は難民であるという主張は、内務省に対してなんの役にも立たない。「誰があなたを抑圧してるのですか?」と内務省の役人は聞くであろう。「あなたは何から逃れているのですか?」と聞かれたら、「倦怠から」と彼は答えるであろう。「俗物根性から。生活の大敗から。生活から」そのような回答がどのような結果を催すだろうか?(そのような申し立てをしても意味はないということ)

11.周縁からの欲望(1)

p.109
(1960年代の物語)
もう夜はふけて夜中を過ぎている。彼が南アフリカから持ってきた色あせた寝袋にくるまって、彼はベルサイズ公園の中にある友達ポールののワンルームマンションで、ソファの上で横たわっていた。
部屋の別の場所では、ちゃんとしたベッドがあり、ポールはいびきをかきはじめていた。カーテンの隙間から、オレンジ色の混じったすみれ色の光がギラギラ光っていた。彼はクッションで膝を覆ったが、氷のようだった。そんなことはどうでもいい。彼はロンドンにいるのだ。

世界中には2箇所、あるいは3箇所、人生を最も強烈に生きる可能性がある場所がある。ロンドン、パリ、たぶんウイーン。
パリは最初の地で、愛すべき町であり、芸術の町である。
しかしパリに一人で住むには、フランス語を学べる上位の学校に行かなければならなかった。
ウイーンといえば、ユダヤ人が元々持っていた権利を取り戻すところだ。論理実証主義・12音技法・精神分析学など。

p,110
だとすると、残りはロンドンということになる。ロンドンなら南アフリカ人は証明書を持ち歩かなくてすみ、人々は英語を話す。ロンドンは、石だらけで迷宮的で冷たいかもしれないが、人を寄せ付けないその壁の向こうでは、男と女が、本を書いたり、絵を書いたり、音楽を作曲したりしているのだ。
毎日そういう人と道ですれ違うが、尊敬すべきイギリス人の慎み深さのおかげで、そういう人の秘密(本や絵を書いたり音楽を作ること)を推測することはない。

上の階にあるバスルームとトイレが住民の共有部分で、ポールの部屋は、ガスコンロと冷たい水が出る流しがある別室がついているだけであった。彼は1ルームマンションを半分間借りするのに、ポールに毎週2ポンドを支払っている。彼は自分の貯金のすべてを南アフリカから持ってきていたが、その合計は84ポンドだった。彼は直ちに仕事を見つけなければならない。

p.111
この物語は、クッツェーが書いたもので、彼がアーティストとして最も影響を受けた背景の中で樹里と拒絶の間で揺れ動く状態から書かれたものである。そして、そこには、南アフリカの最も力強さがある。
彼の仕事の主な部分は、植民地独立後を書く事で大きな取引なのかもしれない。それが、南アフリカまたは他から拒絶されるかどうかである。しかし、コエジーの書いたものの中では明確であり、彼が目撃した深い分襲(アパルトヘイトのようなもの)である。

若い頃は、自叙伝として記述できる。それらは、自叙伝の機能の自然な方法として。
多くの書き手の基本は個人の経験を通じて、自叙伝をかき、本質的に多くの行動的なイベントと回答を示す方向に向かう。
思い出は、つねに必然的に、自叙伝の場合、部分的に虚構にする。なぜなら、著者は、本質的に個人と過ぎ去った主観的なものを提供するだけでなく、それをながめることにもなり、

p.112
時系的かつ情緒的な距離から保存し、長期にわたり存在する方法として、ひとつの早期の方法として存在する。
植民地独立後のライターの間では、要望が属することと拒絶されることの両極端の間で、しばしば彼または彼女は引き裂かれる。これは、それ自身で分裂し、明らかになるかもしれない。
若い頃は、これらの3つの抜粋に与えられたテキストだけでなく、それをすることが若い人の展望であり、(彼)という主人公を参照するときの不確定な第三番目の人としてクッツェー意図的に使うものでもない。
このような場合、クッツェーは、主唱者であることを自ら認め、まだ自分自身になっていない-早期の作家の化身。時間と知識のベールを通じて休養させられる。多数の本質を再現し、しばしば、植民地独立後のアイデンティティの層を競合する。

10. 魅惑の故郷

p.99
(記憶にあった)インドのほうが、より大きな打撃だった。それは、属国だった。そこは、19世紀に我々の祖父が極貧から逃げ出さねばならなかった場所でもあった。
2つのインドは別々だった。独立運動で有名なインドは、誉れ高き名を持っていた。もう一方の個人的なインドは、かなり奥深くに隠れていた。記憶が薄れると、それは消えてしまうのであった。
我々が読むことができるインドではなかった。それは、キプリングに描かれているのインドではなく、またフォスターのものでもなく、サマーセットのものでもない。そしてそれは、ネイルやタゴールのかっこいいインドからも離れている。

p.100
プレムチャンドというインドの作家はいるにはいたし、彼がヒンディー語やとウルドゥ語で書いた物語は、我々にとってインドの過去を本物らしく思わせるものであったはずだった。
しかし我々は、彼について知らなかった。なぜなら我々は彼の作品をそのような形で読んでいなかったのである。

しかるべき時が来た時に私が言ったのは、この「個人的なインドへ」であり、独立後に偉大な名を持つインドではなかった。
私は、不安でいっぱいだった。しかし私がそこで見た、全てが見捨てられた状態というのは、私が心構えとして予想していたものをはるかに凌ぐものであった。
私が知っているほかの国で、これほど多層的に惨めさが重なっている国はなかったし、これほど混雑した国は他にはなかった。
私は世界のほかの場所から隔絶されて、不思議な大災害が起こった大陸にいるような感じがした。にも関わらず、私のとって圧倒的なものとして感じられること、こんなにも全景化されていることは、私が知っている今日の文学作品の英語の文学作品にはなかった。

p.101
キープリングの作品では、インドの飢饉がイギリス人の恋愛模様の作品になっていた。しかし、イギリスのものでもインドのものでも、インドの並外れた窮乏については言及されるとしても、まるで背景として読まれるもののように扱われていた。
そしていつもながら、インドの窮乏の中に、何か特別な精神的な要素が見出される人がいるのだった。



P.102
多くの人々の間では、国家を構成するものはなにかという疑問、現在の文化または民族文化、そしてこれらの中間の3点の間で、深いコンプレックスを感じながら個人的に反応する。
この章で取り上げるのは、国家と個人とコミュニティの中から選んだこれらのいくつかの問題を取り上げ、社会の周縁の問題をさぐる。
彼のインドの議論の中について、ネイプルは、二重になった彼の祖先の自国経験を描写し、公共と個人的なレベルの両方において、機能をもつという。
公共的なインドは、独立国家としてのインドであり、1947年の独立を超えて、騒然とした植民地以降の文化からなる国である。ガンジーのシステムはは20世紀にの世界に激震をもたらした。
しかし、それは部分的であり、しばしばこの国の悲惨な様相であった。個人的な苦境とコミュニティの苦痛は、彼にさらにはっきりとした影響を与え、歴史や文学では十分に描写されていないと感じる。

p.103
ネイポールの、神話と物語から部分的にインドの軸を扱ったこの「個別」は、彼が若い頃のイメージを燃え立たせる国に戻りたいという不安定な経験からくるものであるが、大多数のインド人の匿名性の中に横たわる彼の主人公が、インドそのものの不公平なしに持続されなければならないことあある。そしてそれは西を伴った歴史的な関係である。

このような世界的な展望からくる苦痛は、しばしばヨーロッパの正統な文学の背景として希に機能される。例えば管理者が、キープリングの物語のなかにあるように、インドの飢饉の時にお互いに顔を合わせことなく支え合う提案は、より表面的である。
そかし、ネイプルの感情と苦痛も同じであるかもしれない。一部では、彼は文化を超えた遺産だとなぞられた。
人生の大部分をイギリス人として過ごしたトリニディアンは、アイデンティティが変わることとセンスを失う間を表し、それは時々植民地独立後の作家が感じる文化交錯だとみえる。

プロフィール

Mikami Kako

Author:Mikami Kako

おことわり

保育士・図書館司書に関しては、旧システムによるものなので、現在のもの科目編成や内容にずれがあります。放大についても閉講科目が含まれます

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